祭りと花火ととグラサン少女
〜4〜 【ふたりきり】
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時は、大学祭前日。
月日が経つのは、本当にあっという間だった。
地道な写真撮影の合間を縫って、僕は小鳩真理の動向を探っていたが、あれ以降、小鳩真理は一切動く様子が無く、
本当に大学祭で勝負する気があるのだろうか……という疑問さえ抱いていた。
もう明日には大学祭を控えているということもあり、大学は出展するブースの設営で大騒ぎになっていた。
もちろん、僕たちも、設営に追われていた。
「ちょっと水原君、これ運んでもらって良いかなーっ!?」
大海なぎさが、部室からテーブルを抱えて持ってきたようで、僕はすぐに近寄って、代わりにテーブルを持った。
「水原! それ運び終わったらこっち手伝ってくれよー!」
テーブルを持つと同時、蒼谷ゆいの声が聞こえた。
蒼谷ゆいは、僕たちのブースに来場した人たちが、写真を撮ってくれたものを貼りつけるためのボードを取り付けていた。
ホームセンターで購入した工具を駆使して、汗を掻きながら作業する蒼谷ゆいは、このサークルの中でも貴重な、
体力系男子ということで、大変重宝していた。まさかこういったところで、力を発揮するとは、世の中わからないものだと僕は思った。
テーブルを所定の位置に置いた僕は、急ぎ蒼谷ゆいの補助に向かい、工具を手に取って、ボードの取り付け作業に取り掛かった。
蒼谷ゆいは僕ほど背が高くないため、自然と高い部分の取り付けは僕が担当することになり、ニ十分かけてようやく終わった。
「ふーっ! 暑い暑い。もう十二月だってのに、こんな汗掻くとは思わなかったぜ。なぁ、水原。」
「そうですね……。夏の時と言い、今回と言い、どうも僕は季節とは真逆の気温を感じているような気がしますよ。」
そんなことを言いながら、僕は、夏の一件を思い出した。
最近は、いろいろと右京こまちに鍛えられていたとはいえ、まだまだ僕の体力は平均並みだった。
額に滲んだ汗を拭こうと、腰に下げていたはずのタオルに手を伸ばした僕は、しかし、違和感に気付いた。
タオルが無いのだ。テーブルを動かしていた時に落としてしまったのだろうか。
せっかく一段落して、床に座り込んだと言うのに……。僕は気怠い身体を起こし、タオルを探し始めた。
ところが、タオルが見当たらない。テーブルを運んだルートには落ちていなかった。
このブースと、部室の間のどこかだろうか。そこそこ距離があるため、探すのは骨が折れそうだと思ったものの、
何故かその時の僕は、タオルを探すことを優先してしまった。
ブースを出ると、ふと隣のブースを覗き込みたくなった僕は、そっと様子を見てみた。
やはり、隣のブースには何も物が置かれていなかった。ただ、がらんとした空間が広がっているだけだった。
各ブースは白くて高い板で仕切られているため、ブース内で作業していた僕は隣の状況を伺うことが出来ていなかったのだ。
もしかしたら、作業しているニ十分の間に、何か変化があったかもしれない。そう思ったのだが……。
「……戦意喪失でしょうかね。」
僕はそう呟いて、タオル探しを再開した。
結局のところ、タオルはブースから二百メートルぐらい離れた場所にあったのを発見した。
荷物を運んでいる時に落としてしまったのでは、と当初は思っていたが、その落ちていた場所はトイレ小屋の前だった。
そこで、僕は先刻トイレに行ったことを思い出した。おそらくその時に……。
「……が、もし……だったら……」
ふと、喧噪の中、僕は聞き覚えのある声を耳にした。小鳩真理だ。
耳を澄まして、僕はその声の発信源を求めた。聞こえてくるのは……トイレ小屋の裏の草むらからだった。
「そう。とりあえず今日は帰らないって、お父様に伝えておいてくださいませ。心配は要りませんわ。
えぇ……えぇ。お兄様、お願いします。」
そこには小鳩真理が、携帯電話で誰かと話をしている姿があった。
今日は帰らない……。一体どういうことだろうか。
小鳩真理は電話を終え、こちらに向かって歩いてきた。
僕は、一瞬の判断で草むらに身を隠して、小鳩真理をどうにかやり過ごした。
その時見た、小鳩真理の表情は……あまり明るくは無かった。
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「みんな、お疲れ様。」
冬の太陽が空の彼方に沈むのは早い。時計は午後五時を過ぎていて、空は薄暗くなっていた。
完成されたブースの中央に僕たちは集まり、夕波みつきがそう言って、話を切り出した。
「明日はいよいよ本番当日。上手く行くことを……そして、サークル存続を願って……。」
「うんっ! みんなでここまで頑張って来たんだもん。きっと大丈夫だよっ!」
「そうそう、俺たちの成果を、みんなに、それと小鳩真理に見せつけてやろうぜ!」
最初は、僕が起こした個人的な問題だったはずの、小鳩真理との一件は、すっかりサークルの問題にすり替わっていてしまった。
もしかしたら、僕が別の判断をしていれば、みんなを巻き込むことは無かったのかもしれない。
……僕は、そのことをこの場でみんなに謝罪しようとした。しかし……。
「なぁに、そんな暗い顔してんだよ、水原!」
蒼谷ゆいも。
「本番前に、もう疲れちゃった、のかな? 大丈夫? 水原君。」
大海なぎさも。
「ほらほら。これからなのに。」
夕波みつきも、僕が言いかけている言葉を既に知っているような表情で……。
「……そうですね。大丈夫です。頑張りましょう。出来る……限りのことを。」
相変わらず、僕は、僕自身でも不気味と思っている不自然な微笑で、そう答えるしかなかった。
そこで、僕は以前から考えていた、一つの提案をみんなに出した。
「写真、撮りませんか。」
僕の発言に、みんなは笑顔を浮かべながら、黙って頷いた。
ブースの前に僕たちは並んだ。カメラは結局、代表して大海なぎさのカメラを使うことになった。
カメラを準備している時の大海なぎさの表情は、やはりいつもとは違って、鋭くなっていた。
そこまでカメラに貪欲な理由を、そういえば一度も聞いたことが無かった僕は、いずれそれを尋ねようかとも思った。
やがて、準備が終わったのか、カメラから離れてこちらに寄ってきた大海なぎさを迎え入れ、僕たちはカメラの方を向いた。
緑色に光るタイマーランプの点滅間隔が、どんどん狭まっていく……。
三、二、一……
フラッシュが煌めき、僕たちは【友情】を写真に収めた。
夕波みつきより、解散の宣言がされた。
大学の規定する下校時刻も迫っていたため、僕たちは足早に帰宅準備をした。
夕波みつきと大海なぎさが先に帰り、次に蒼谷ゆいがブースを出て行って帰宅した。
僕は、細かい後片付けを引き受けることを前もって言っていたため、準備が遅くなってしまっていたのだ。
「もう少し……早く準備しておくべきでしたね。」
そんな後悔を呟きながら、ようやく荷物をまとめ終わり、荷物を持ってブースを出た。
隣のブースを覗き込むが……やはりそこには何も無かった。
小鳩真理は、本当に勝負を放棄してしまったのだろうか……。
「それは、無さそうですね。」
トイレ小屋の裏で、小鳩真理が誰かと電話していたことを思い出す。
あの電話の相手は……僕の推測では、小鳩真理の兄、小鳩辰也だろうか。
小鳩辰也は、現在この大学に在籍する大学四年生で、かなりの秀才と噂されていた人物だった。
僕も、何度か姿を見たことがあった。小鳩真理とは違って、まるで宝石の輝きを思わせるような人物だった。
小鳩真理は、そんな兄に「今日は帰らない」と言っていた。
その言葉が差す意味は……。
「実力行使……。」
思わず僕が、薄笑いを浮かべてしまう程、それは安直なアイディアだった。
大学に残って、僕たちが帰った後を狙って、僕たちのブースを壊すつもりだろう。
小鳩真理に残された手段は、もうそれぐらいしか残っていないはずなのだから。
それに、小鳩真理が直接手を下さずとも良い。あの巨体を持つ部下なら、この程度のブースなどあっという間に壊してしまうだろう。
「それはそれで、面白くなりそうですね。」
僕は、帰宅するのをやめ、泊まり込みを決意し、荷物をブースの端に置いた。
しかし、今は十二月。真冬である。
ブースには暖房器具として灯油ストーブが置いてあったが、今使ってしまえば、明日の分の灯油が無くなってしまう。
どうしたものかと考えた挙句、たまたま近くに置いてあった段ボールと新聞紙を使って、身体を覆った。
野宿の経験は無かったが、以前テレビで遭難した時にどうすれば寒さを凌げるか、ということを放送していたのを思い出したのだ。
【そんなことしなくても、私が暖を取れるようにしてあげるよ?】
最近は随分と静かにしていた、僕の中に潜む異界の神【魔神レニオル】が、久しぶりに僕の身体の内側から声を発した。
「どうにかなるので、大丈夫です……。」
【そうかい。まぁ身体を壊さないようにね。】
レニオルは少し残念そうに言うと、再び静かになった。
すると、すぐに大学のチャイムが鳴って、最終下校時刻が過ぎたことを知らせた。
大学は最終下校時刻が終了してしまうと、大学各所にある門が施錠されてしまい、出入りが出来なくなってしまうシステムだった。
当直の警備員が三人体制で夜間の校内見回りをしているが、それ以外に校内には誰も居ないはずだった。
でも……おそらく小鳩真理はどこかに居るだろう。いつ現れるか、僕はそれが楽しみでもあった。
ガサガサッ
ふと、何かが動くような音が聞こえた。
僕は身体を起こし、ごく小さな声で、僕の中に居るレニオルに話しかけた。
「念のために聞いておきますが……近くに他の霊体の存在はありますか?」
【君の眼に映らないのであれば、居ないはずだよ。】
「そうですか……。」
清宮山での遭難殺人事件の時は、ロッジの近くに二つの霊体の存在があったため、力の行使を制限されていた。
後に、その霊体の一つが右京こまちであったこと、もう一つが清宮山に住んでいた雪女であったことが知らされていたが……。
今回は、その時の状況より、いくらか自由だった。
万が一……相手が小鳩真理ではなく霊体だったとしても……。
「さぁ、一体誰でしょうか。」
明らかに何者かの気配を感じ、僕はわざと大きな声でそう言った。
その気配は、紛れも無く人間の気配だった。
「本当に……あなたは嫌らしいわね。」
「お互い様ですよ。」
電気をつけていなかったため、相手の姿こそ見えないものの、確かにそんな女の人の声が聞こえた。
小鳩真理の声で間違いは無さそうだった。
やがて、月明かりに照らされた小鳩真理が、姿を現した。
「考えてみれば、とても簡単なことです。あなたはブースの準備も何もしていませんでした。
そんな状況で、僕たちのサークルに勝つ方法があるとするならば……。僕たちのブースを壊してしまえば良い。ただそれだけです。
そうなれば、僕たちは何も出来なくなります。後はゆっくり、あなたのブースに休憩出来るような簡易な椅子とテーブルを置けば済みます。」
「あなた、まさかそこまで……。」
僕は、既に知っていた。
小鳩真理がトイレの裏で電話をしている姿を目撃した後、僕はブースの準備の間に、大学の至るところを捜索してみた。
すると、大学の裏門の傍に一台のトラックが止まっているのを発見した。
トラックには何も書かれていなかったものの、トラックから運び出されてくるものは、高級そうな椅子とテーブルだった。
大学生が準備出来るようなシロモノでは無いと判断した僕は、もう一つ発見をしたのだ。
それらの荷物を運ぶ人たちを指揮しているのが、小鳩真理の兄、小鳩辰也だったことを。
「あなたはお兄さんに頼んで、高級な椅子とテーブルを大学に運んでいてもらいました。
おそらく、あなたはこんな風に、お兄さんにお願いしたのでしょう。『来場者のみなさんが休憩出来るようなスペースを提供したいから』と。」
小鳩真理は、僕の言葉を聞いて、苦虫を噛んだような表情を浮かべた。
「そして、後はこのブースに運んでもらえば良い。自然にあなたのブースへの来場者は増えるでしょう。
一方、僕たちのブースは無残にも破壊され……。僕たちはあなたに完敗を喫する。そういう筋書きをあなたは描いたのでしょうか?」
「水原月夜、あなたは本当に嫌らしい人間ですわね。私が知っている中で、一番嫌らしい人間ですわっ!
えぇ、そうですわ。私は、あなたが今仰った通りのことをしようとしていますわ。」
小鳩真理はついに白状した。
「ですが、あなたには私を止められませんわ。何故なら、乃木が居ますもの。」
「いいえ……無駄ですよ。ブースは破壊させません。」
しかし……小鳩真理は自信満々だった。
「乃木、行きなさい。あの水原月夜を黙らせ、このブースを壊すのです!」
僕に対して指を指しながら、そう高らかに叫んだ小鳩真理。ところが……。
数秒待っても、一分待っても。あの乃木という大男が現れることは無かった。
「ど、どういうことですのっ!? 乃木!? どこに居るんですの!?」
「僕が予防線を張らない人間だと思っているんですか?」
その言葉に、小鳩真理は僕を睨みつけた。
「水原月夜、一体何をなさったの!?」
「簡単な交渉ですよ。僕は以前に、あなたの父上様で、この大学の学長である小鳩源太郎さんに交渉したんです。
内容は……あなたの部下である乃木という大男に、数日間の休暇を与えるように……と。」
「な、なんてことを……。」
大学祭の前後数日間、乃木という大男の部下を小鳩真理から離すことは、僕が最初に学長室で小鳩源太郎と話した時に、依頼したことだった。
実力行使に出ないとも限らない小鳩真理の行動を予測してのことだったが……それが見事に功を奏していた。
「僕は、ずっと前からいろいろと準備をしてきました。あなたがどういった行動を取るか、それについても調べさせてもらいました。
生活リズム、思考、好みの食べ物から、あなたが隠している趣味のぬいぐるみ作りまで……。」
その時の小鳩真理の顔が、少し赤く染まったようにも見えた。
「それらを調べる為に、いくらか大学の勉強を犠牲にしてしまいましたが……。
大体、本当にあなたは大学の授業に参加する意欲を示さないようですね。
出たい授業を欠席しなければならなかった僕の身にもなって欲しいものです。」
「そ、そんなの私には関係の無いことですわっ!」
「まぁ……そうかもしれませんね。情報収集は僕の癖のようなものなので。これは僕の責任かもしれません。
ただ、本当ならば、このような状況になる前に、事態を収束させておきたかったのですが。」
もっと早く解決出来たのではないか、という思いは、前から僕の胸にはあった。
最善の解決方法が他にあるのではないか。僕はそればかり考えていた。
余計な問題を早く無くし、少しでも夕波みつきに関する情報収集を進めたかったのだ。
「でも、仕方ありませんね。それで、あなたはどうしますか? まだ実力行使でブースを壊そうと思いますか?
それとも尻尾を巻いて逃げますか? この僕から。」
わざと挑発するようにそう言った僕に対して、小鳩真理はすぐに噴火しそうな火山にも思えるような怒りを見せた。
「逃げる!? ふざけないで頂きたいわっ!」
小鳩真理は、足元から何かを拾い上げた。
……角材の切れ端だ。片付け忘れていたものだった。
「私に負けは許されませんのよ……。私に負けはっ!」
角材の切れ端を持って、小鳩真理は僕に向かって来た。
それは僕にとってイレギュラーな行動だった。
人間の、しかも女性に対して拳を振り上げるようなことは、僕には出来なかった。
いくら、武器を持っていようとも……。
バシッ!
小鳩真理が振り上げた角材の切れ端は、先端が鋭かったため、受け止めようと伸ばした僕の右手を切ってしまった。
「うぐっ……。」
思わず僕は呻いた。
カランカランと角材の切れ端が、床に落ちる音がして、小鳩真理は僕から数歩後ろに下がった。
小鳩真理は……衝動的に攻撃してしまったのだろうか。その表情は、先程とは打って変わって、青ざめていた。
僕の右手から流れる血の量は、切り傷にしてはやや多いため、それを見て正気に戻ったのかもしれない。
「あっ……えっと……。」
小鳩真理は、何かを言いたそうにしていたが、言葉が上手く出てこないのだろうか、戸惑いを見せていた。
「ははは……。あれだけ大男の部下に、暴力を奮わせておきながら、あなた自身は手を汚すことは無かったんですか……。
実に……憐れですね。その表情。その思考。その行動。僕の足元にも及びませんよ……。」
僕の右手からは、相変わらず血が流れていたが、気にせずに言葉を紡ぎ続けた。
「あなたは、自分自身に力があると思い込んでいました。あの男より私は金がある。あの女より私は美しい。
いつも他人を見下し、自分は上に立つべき人間だと思い込んでいました。
……さて、ここであなたに一つの質問をしましょう。僕は今、右手から血を流しています。あなたから見れば、手負いの小汚い犬、でしょうか。
一方、あなたは高貴な、金持ちのお嬢様です。どこにも傷を負っていない、完璧に研磨された宝石と例えばよろしいでしょうか。
この状況で、あなたはどちらが力ある者だと思いますか?」
小鳩真理は、すぐには回答せず、歯を食いしばって、僕を睨みつけた。
「答えられませんか。残念です。ちなみに正解は……。」
「お前だ……。」
「はい?」
僕は、小鳩真理の発言がわざと聞こえなかったかのように、聞き返した。
「私より、お前の方が……。」
「残念。不正解です。正解は……あなたです。」
「えっ……?」
小鳩真理という名前なだけに、鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべた。
「ここまで二十年弱生きてきて、あなたは本当は辛い思いをたくさんしたはずです。
それなのに、あなたは気丈に振る舞い続けた。僕という強敵に対しても、あの大男が傍に居ないのにも関わらず、自ら武器を取った。
僕には……それは出来ませんね。敵わないと思ったら、逃げるのが僕なんです。」
「そんな……。」
その間にも、血は止まることなく、滴り続けていた。
「僕は……あなたから逃げることにしましょう。」
僕のすぐ傍にあった荷物を左手で持ち、僕は小鳩真理の横を通り過ぎて、ブースを出ようとした。
しかし……。
「ま、待ちなさいっ!」
僕は、小鳩真理に左手を掴まれた。
まるで、僕が最初に小鳩真理の手を掴んでしまった時と、同じように……。逆の立場で。
「右手から流れている血……。止血しなければ危ないですわよ。
そ……それに、か弱い女性を一人、薄暗い所に置いて行くつもりかしら?」
「……それも、そうですね。申し訳ありません。」
僕が荷物を降ろすと同時、小鳩真理はポケットから綺麗そうなハンカチを取り出して、僕の左腕の服の裾を捲り始めた。
そして、手際よくハンカチで止血すると、ふぅと一息ついた。
「申し訳、ありませんでしたわ。」
小鳩真理は、俯き加減にそう言った。
「僕の方こそ、あなたには幾度となく、失礼な言葉を向けてしまいました。謝るのは僕です。」
心の底から、僕はその言葉を吐き出した。
小鳩真理に対抗して、同じような言葉を浴びせたとはいえ、武器を持たせるまでに思い詰めさせてしまったのは僕の責任だった。
やはり……もっと良い手段で、この問題は解決出来たのではないか。そう思った。
僕は、小鳩真理に帰宅を促した。
しかし……今日は帰宅しない、と兄や父親に言ってしまったこと。
こんな時間まで校内に居たことを警備員の人に知られて、父親にまで伝わってしまったらかなり叱られてしまうという不安があること。
そんなことを理由に、帰宅を拒否されてしまった。
仕方なしに僕は、ブースにあった椅子を用意して、座った。
「……勝負は、私の負けで良いですわ。今から私のブースの準備をしたところで、敵いませんもの……。」
小鳩真理の表情は暗かった。
やはり性格的に、負けず嫌いだったようで、とても残念そうに見えた。
「まだ、わからないですよ。実のところ、僕たちは、あなたがどんなブースを設営されるのか、とても興味を抱いていました。
【友情】というあなたの生活とはかけ離れたテーマで、どういった行動を起こされるのか……。」
「そんなテーマに関するアイディアなんて……私には何も思い浮かびませんでしたわ。私は【友情】を経験したことがありませんもの。」
「奇遇ですね。実は、僕もまだ【友情】を経験したことはありませんよ。」
僕のその発言は真実だった。
夕波みつきにしても、大海なぎさにしても、蒼谷ゆいにしても、僕との関係は【友情】で繋がってはいなかった。
過去を遡っても、僕と【友情】を作り上げた人物は……居ないような気がしてならない。
「でも、僕は今のあなたなら、誰かと【友情】を作ることが出来ると思います。」
「……どうしてそう思うのかしら?」
「なんとなく、ですよ。」
小鳩真理は、小さな声で「そう……」と呟いたかと思うと、可愛らしくクシャミをした。
「ふぅむ……。結構冷えてきましたからね。大丈夫ですか?」
「……寒いですわ。これでも着込んできたつもりでしたのに。」
僕は、着ていたコートを脱いで、小鳩真理に黙って渡した。
「受け取れませんわ。」
拒もうとする小鳩真理だったが、僕は一度手を差し伸べたきり、戻すつもりは無かった。
それを察したのか、小鳩真理は申し訳なさそうにコートを受け取り、羽織った。
僕は、心の中でレニオルに、身体の保温を維持出来るような呪いをかけてもらえるようお願いし、この夜を凌ぐことにした。
時間が経つにつれて、意識が遠のき始め……。
僕と小鳩真理は、椅子に座り、腕を置いたテーブルに顔を埋めて、眠りについた。
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「サークル『アルバムズ』では、現在、【友情】写真撮影会を開催中です! 皆さん、寄って行ってください!」
ブースの前では、蒼谷ゆいが声高に周囲に呼びかけをしていた。
待ちに待った大学祭当日。多くの来場者が大学に詰めかけていた。
その来場者たちを、一人残らず呼びかけんと、蒼谷ゆいはかなり気合を入れていた。
「はい、撮りますよー。いちたすいちはー?」
ブースの中央では、大海なぎさがカメラを構えて、次々とやってくるブースの来場者たちの写真を撮り続けていた。
大海なぎさの表情は、今まで見たことも無いぐらい、輝いていた。
いつもの明るさの数十倍、いや数百倍はあるのではないかと思うぐらいだった。
「どうもありがとうございます。どちらを展示用にしますか?」
その大海なぎさの後ろでは、夕波みつきが、撮影を終えた来場者たちと写真の選出を行っていた。
一組の来場者につき、展示用写真、記念用写真の二枚を選ぶシステムになっていて、それを取りまとめるのが役目だった。
展示用写真は、僕と蒼谷ゆいが昨日頑張って取り付けた大きなボードに取り付けていった。
そして、僕の役目は、ブース来場者数のカウント、そしてもう一つ……。
「三名、そちらの方で休憩を取るようなので、テーブルと椅子の準備お願いします。」
「わかりましたわ。」
隣のブース……小鳩真理が今朝、部下を総動員して急ピッチで設営した休憩スペースへの連絡係を担っていた。
今朝一番に、僕が小鳩真理に提案したことだった。
椅子とテーブル、それに希望者には小鳩家のお抱えシェフが作るデザートを提供する。それが、小鳩真理のブースだった。
小鳩真理のブースには、僕たちのブースで撮影した記念写真を見て、デザートを食べながら笑顔で談笑している人々の姿があった。
「こちらは、少し混雑してきましたわ。もし、また来場者がこちらにいらっしゃるようでしたら、五分待ちと伝えてくださいませ。」
「わかりました……。」
「水原、君。」
初めて、小鳩真理は僕を呼び捨てにしなかった。そして……
「……ありがとう、ですわ。」
その時、僕は、小鳩真理の笑顔を見た。
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大学祭もクライマックス。
ブースによる展示の時間が終了する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ふー、みんなお疲れ様ぁ!」
大海なぎさは、やりきった、と言いたげな表情でそう言った。
「あぁ、もう俺、声ガラガラだぜ。数日はノドやばいかもなぁ。」
しゃがれた声で蒼谷ゆいは言ったが、やはり蒼谷ゆいも、表情は達成感に満ちていた。
「みんな、本当にお疲れ様。小鳩さんも、ありがとうね?」
「え、えぇ。」
夕波みつきは、そう言いながら小鳩真理に優しく微笑んだ。
小鳩真理の表情はやや複雑になっていた。
【さぁ、いよいよ大学祭もフィナーレです! 皆様、夜空をご覧ください!】
校内アナウンスが流れ、僕たちは夜空を見上げた。
この大学の大学祭では、毎年最後に花火を打ち上げるという話を聞いていた。
ドーン、ドーン、ドーン!
花火がいくつも夜空に上がり、大学祭のラストを演出した。
それから五分間、僕たちは花火を見ながら、それぞれ想いを馳せた……。
ただし、僕の隣に居た小鳩真理だけは、花火ではなく、僕を見ていたようだったが……。
きっと……気のせいだろう。
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大学祭も終わり、冬休みも終わり、あっという間に年明けとなってしまった。
大学祭での感動も少し色褪せ始めてしまった周りの雰囲気だったが、僕たちだけは違った。
「見て見て! 写真現像してきたよっ!」
小鳩真理を含めた僕たちはサークルの部室で、大海なぎさが持ってきた写真を見ていた。
「すっげぇえええ、この花火良く撮れてるなぁああ。」
蒼谷ゆいは、そんな感嘆の声を漏らした。
さすが大海なぎさ、花火の撮り方まで完璧なところを見ると、
もはや写真撮影で右に出る者は同年齢では存在しないのではないかとさえ思ってしまう。
「でも、やっぱり私はこの写真が一番好きかな。」
夕波みつきがそう言って手に取ったのは、小鳩真理も含めて、僕たちが大学祭終了後に撮った記念写真だった。
「だから、この写真は小鳩さんにあげても良いよね? なぎさ。」
「うん、もちろん!」
「というわけで、はい、どうぞ。」
夕波みつきに写真を渡された小鳩真理は、黙って写真に見惚れていた。
その様子を見ていて、大海なぎさは笑顔で小鳩真理に問いかけた。
「これからは、私たち『アルバムズ』の一員、で良いんだよね、小鳩さん?」
「……ごめんなさい。そういう約束でしたわね。でも……。」
小鳩真理は、そんな言葉を発した。
「でも、私、別の大学に編入することに致しましたの。」
「えっ!?」
大海なぎさは驚きの声を上げた。
僕は、冬休み前に個人的に話をしていたため、その話を既に聞いていたから、そこまで驚きはしなかった。
きっと、小鳩真理なりの決意の現れなのだろうと思ったのだ。
「今まで、私はお父様に頼り過ぎていましたわ。大学の学長で、お金持ちの箱入り娘……。
そんな風に陰で呼ばれることは、もう嫌ですわ。だから、今度は私自身の力で、切り拓いて行くことにしましたの。
……あなた方とのお約束を破ってしまうことになりますけど……。」
小鳩真理は申し訳なさそうにそう言った。
「……大丈夫。小鳩さんなら、きっと。」
夕波みつきは、微笑を浮かべてそう答えた。
大丈夫だ。小鳩真理は、もう鳥籠の中で飼われていた、小さな鳩では無いのだから……。
僕もそう思った。
「ありがとう……。」
そして、小鳩真理は、僕の方を向いた。
「あなたとは、またいつかじっくりお話がしたいですわね。」
「えぇ。その時は、あなたは【友情】を得て、さらに強くなっているでしょうか……。楽しみにしていますよ。」
小鳩真理は、僕の言葉に返答せずに一礼すると、僕たちの部室を出て行った。