祭りと花火ととグラサン少女




「祭りと花火とグラサン少女」


〜2〜 【小鳩真理】

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その日の私は、あまり良い気分では無かった。

いつもなら、静かに大学のカフェで昼下がりの一時を過ごすはずだったのに、なぜか落ち着かなかった。
少しでも油断すると、あの水原月夜の顔を思い出してしまうからだった。

「きぃいいっ!」

金色の髪が乱れるほど、頭を左右に振った。

「なんですの、なんですの、なんですのっ! この私をあれほど見下すなんてっ! 大体、この私と取引をするというだけでも相当な特別扱いをしてあげていますのにっ!」
「どうしたんだ、真理。随分機嫌が悪そうじゃないか。」

そんな声をふいにかけられ、私ははっと我に返った。

「お兄様っ!? ……いつの間に。」
「珍しいね、真理がそんなに取り乱すなんて。」

声をかけた主は、私の兄、小鳩辰也だった。
私と同じ、金色の髪は、短く刈り上げられていて、顔に浮かべている微笑はまるで世界中の悪を、一瞬で善に変えてしまうのではないか、そう思ってしまうほどの優しさに満ち溢れていた。
私の三歳上で、私と同じ学部に所属の、学校一の秀才。

「僕で良ければ、何か相談に乗ろうか?」
「いえ……私は大丈夫ですので、お兄様はお気になさらないでください。」

私は、実のところ、兄が苦手だった。
傷一つ見当たらない、完璧な宝石と例えたら良いのだろうか。兄は、私にとってそんな存在だった。
私が唯一、そのすばらしさを認めざるを得ない人物。それが兄だった。
私のプライドも、兄の前ではまったくもって無力で……。それが兄を苦手とする理由だった。

「そうか……。大学での学生生活はどうだい? 友達は作れたかい?」
「私とまともに話してくれる人なんて、誰一人としていらっしゃいませんの。でも、私は楽しんでいますわ。」

私の発言に、兄は何故か苦悩を示すような表情を浮かべた。

「そうですわ、お兄様。私と同じ学年で同じ学部の、水原月夜、という人間をご存知ですか?」
「水原……。あぁ、そういえば噂には聞いたことあるかな。」

噂……?

「入試試験で過去最高得点を叩き出し、入学してからも成績優秀。確か春学期の成績は学年トップだと……。」
「そ、それ本当の話ですのっ!?」

思わず、テーブルに両手を打ち付けて、立ち上がった。

「まぁ落ち着いてよ、真理。あくまでも噂さ。教授たちの間でね。で、その水原君がどうかしたの?」
「はぁぁぁ……。」

それが事実なら、私は実に嫌な人物と関わってしまったのかもしれない。
私は頭を抑え、溜息をついて、席を離れた。

「あれ、どこに行くんだい?」
「ちょっと、息抜きに……。」
「たまにはちゃんと授業出るんだよ。」

私は兄の言葉に返事をせず、その場を去った。
この憂鬱は、しばらく続くのかもしれない。


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突然部室に入ってきた水原から、私たちはとんでもない話を聞かされていた。

「と、言うわけなんですが……どうしましょうか。勝負、受けますか?」

水原から一通り説明を受けて、私はふぅっと一息ついた。
水原が小鳩真理との関係を修復するまでは、水原を除いた私たち三人で、今後のサークル活動を考える予定でいただけに、その話は私の想定を遥かに超えたものだった。
小鳩真理、彼女がこの部室に現れたあの時から、なんとなく嫌な予感がしていた。
それがまさか、サークル存亡の危機にまで発展してしまうとは、全く思っていなかったけれど。

「水原は、勝負、受けたい?」
「えっと……僕は、まぁ受けるべきだと思います。」
「なぎさは?」

隣の席に座るなぎさに尋ねてみたが、なぎさは「うぅん、どうすれば良いのかなぁ」と、あまり浮かない表情で呟くばかりだった。

「俺も、水原の意見に賛成だぜ。せっかく作ったサークル、そんなことで潰されてたまるかよ。」
「まぁ……勝負を受けなければ、有無を言わさずサークルの活動を停止させる、と言ったんじゃ、受けるしかないのかなぁ。」

蒼谷の意見に、ようやく腰をあげたのか、なぎさも勝負を受けることに賛成の意を表した。

「わかったわ。それじゃあ水原、勝負を受けることを伝えておいて。」
「わかりました。」

水原は一言答えると、すぐに部室を出て行ってしまった。
今から返事をしに行くのだろうか……。しかし話では、明日の朝に返事をすると言っていたような。

「んー、なんか大変なことになっちゃったね。大学祭、どうしようか。」

水原が小鳩真理の相手をしている間、私たちにできることは、大学祭でどのような企画を開くか……それを考えることぐらいだろうか。


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僕はポケットから、「秘密のメモ帳」を取り出した。
このメモ帳には、今まで僕が集めたあらゆる情報が人物別に書き込まれていた。
夕波みつきや大海なぎさ、蒼谷ゆいはもちろん、右京こまちや烏丸祐一郎など……。
そして、今日、僕はまた新たにページを一つ作成していた。「小鳩真理」と書かれたページを。

既に集めた情報を、僕はゆっくりと見返した。
大学の学長の娘であること。振る舞いはとても自分勝手で、サディスティック、攻撃的かつ挑発的な発言が多いこと。
部下か執事であろう大男を従えており、安易に暴力を振おうとすれば、返り討ちに遭いかねないこと。

「情報が、足りませんね。」

明日、小鳩真理に勝負の申し受けを伝える前に、最低限こちらが優位になるような情報を、二つ三つ得ておきたかった。
あのまま部室に居るよりは、こうして情報を集めるために動いた方が有益であると判断しての行動だった。
僕が今いる場所は、部室棟と、広い芝生を有する運動場の間に存在する、百段はあるかという長い階段だった。
運動場に向かって下っているその階段の、上からの景色は、この大学の中でも有数の絶景スポットだった。
天気が良ければ遥か向こうにある海さえも見渡せるはずなのだが、今日はどうも天気が悪く、見えてはいなかった……。

「さて、どう動きましょうか。」

情報を集めるとはいえ、簡単なことでは無い。
小鳩真理に、僕が情報を集めていることを知られるのは危険と考えていい。
相当、僕のことを敵視していたあの様子では、向こうも何らかの手段を使って、こちらの動きを探っていてもおかしくはない。
学長の娘だ。教授たちから話を聞くぐらい、造作も無いだろう。

僕は、今度は、この大学の中心となる校舎の方へ向かうために、歩き出した。
あるアイディアが頭に浮かんでいた。 それは小鳩真理をもっともよく知る人物に、直接接触するというアイディアだった。
すなわち、この大学の学長、小鳩源太郎に。
小鳩源太郎は、僕が小鳩真理の部下の大男に攻撃されそうになっていたところを、目撃していた。

僕が小鳩源太郎に会いに行って、それについて相談を持ちかけたら、どういう反応を示すだろうか。
「娘さんに、サークルを潰すぞと脅されているんです」と言えば、もしかしたらこの問題は簡単に解決するかもしれない。
そういう考えが浮かんだこともあったが、それはすぐに頭の中から消した。結局、僕はなんだかんだで小鳩真理との対決を楽しんでいたのだ。
夕波みつきや右京こまちとはまた違う勝負相手が出来て、僕は湧き上がる高揚感を抑えきれずにいたのだ。

そして、この瞬間を……。

十分後、僕は学長室の前に辿り着いた。
中から複数の人の声が聞こえたことから、おそらく学長が誰かと話しているのだろうと思った。
僕は失礼ながら、ドアをノックした。

「ちょっと待ってくれ。」

部屋の中から、聞き覚えのある低い男の声が聞こえた。間違いない。学長の小鳩源太郎だ。
十数秒、ドアの前で待っていると「どうぞ」と声がかかり、僕はゆっくりとドアを開けた。

「失礼します。」
「ん、君は……。」

小鳩源太郎は、僕の顔を見て、少し驚いたような表情を浮かべた。
不思議なことに、小鳩源太郎以外の人間は、部屋には居なかった。
いったい誰と話をしていたのだろうか。

「文学部、一年生の水原月夜です。お忙しい中、申し訳ありません。」
「あ、あぁ……。いや、大丈夫だ。昨日、真理と一緒に居たことで、話があって来たんだろう?」
「はい。少しお話、というか、ご相談がありまして。」
「そうか。まぁそこに座ってくれ。」

様子を見ている限り、どうやら話が簡単に通じそうな人物で、僕は一安心した。
これがもし小鳩真理同様の態度を示すようなら、僕の作戦を変更しなければならなかった。
僕は小鳩源太郎に促されるまま、高級で柔らかそうなソファに座った。
小鳩源太郎は、窓際にあった学長専用の机を離れ、僕の向かいのソファに腰掛けた。それも結構神妙な表情で。

「君のことはよく聞いている。入試試験では、歴代最高得点を叩き出し、春学期の成績もすべて優秀。とても貴重な逸材だと。」
「いえ、その話は今は申し訳ありませんが……。それより、真理さんのことについてですが。」

真理さん、僕がそう言うと、小鳩源太郎はますます表情を硬くした。

「昨日、秋学期説明会の際に、学生指導教諭の斎藤先生に反抗し、離席しようとしていた真理さんを、僕は引き止めました。
その時のやり方が、真理さんの気に食わなかったのでしょうか。僕は真理さんに敵視されるようになってしまいました。」
「うむ……。経緯は、昨日、真理から聞いた。本当に君には申し訳ないことをしてしまった。」

どうも話によれば、昨日、小鳩真理は事の一部始終を既に話していたらしい。
小鳩源太郎は、親として厳しく叱りつけた、と僕に言ってくれた。
しかし、小鳩真理のあの様子では、まったく懲りてないだろう。

「真理さんは、僕が所属するサークルの部室を欲しがっているようで、その部室を賭けて、大学祭で勝負をするように挑んできました。」
「な、なんだと!?」

狼狽えたようにソファから半分立ち上がった小鳩源太郎。
この様子を見る限り、どうも小鳩真理はまだ勝負をすることについては話していなかったようだ。
まぁ、それはそうだろう。もし話してしまえば、反対されるに決まっているからだ。

「落ち着いて、僕の話を聞いてください。サークルの部長は、その勝負を受けることを許可してくれました。
僕の所属するサークルが出展するブース、そして真理さんが出展するブースで、どちらがより多くの人を集められるか。
もし真理さんが勝った場合、僕たちが使用している部室は、真理さんにお渡しします。
逆に、僕たちが勝った場合、真理さんには、僕たちのサークルに入ってもらおうと思っています。」
「真理を、サークルに……?」

鳩が豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべた小鳩源太郎。
それに対し、僕はわざと不気味な微笑を見せた。

「真理さんは、学力が大変優れているというお話を聞きました。しかし、あのように振る舞われていることで、周囲の人間からは距離を置かれているのではないでしょうか。
僕は、そんな真理さんを放っておくことはできません。真理さんは、才能を持てあましています。そこで、ご提案なのですが……。」

僕は、前もって考えていた、とある提案を小鳩源太郎に話した。
すると、小鳩源太郎は、僕の提案に快く賛同してくれた。

「可能な限り、君の提案に協力しよう。」

小鳩源太郎は、そう言いながら右手を差し出してきた。
交渉成立。僕の作戦は、ゆっくりと、しかし確実に動き出した。


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「いったい、何の用ですの?」
大学の正門から出ようとしたところで、二人の人物に進路を塞がれた。
あの水原月夜が所属するサークルの部長である夕波みつきと、その友人の大海なぎさだった。

「待ってたんだよー。」
「待っていた、ですって?」

太陽のような眩しい笑顔を見せながらそう言った大海なぎさに、私は不満げたっぷりな表情で返した。

「ちょっと、お話がしたいと思っていたの。」

大海なぎさとは対照的に、冷静さを持っている夕波みつきが答えた。
私は話をする気が無かったため、何も言わず、二人の間を通って、学校を出ようとした。
しかし……。

「良いですよ。お話がしたくないのであれば、それでも。その代わり、あなたは損をします。」

そんなことを夕波みつきに言われて、私は立ち止まった。
さらに夕波みつきは言葉を続けた。

「水原から話は聞いたけれど。小鳩さんと水原の問題なのに、私たちまで巻き込まれるのはフェアじゃないよね。
私たちまで巻き込むのは、やめて欲しいと思っているの。やめてもらえるなら、水原に不利な話ぐらい、いくらでもするから。」

水原月夜に不利な話……。
聞いておいて、損はしないかもしれない。
私はそう思って、振り返り、夕波みつきたちを見た。

「立ち話も疲れるからさー、どこか座って話しようよー。」

大海なぎさがそんなことを言った。

「良いですわ。そういうことでしたら。」

私はそう言うと、ポケットから携帯電話を取り出した。
二言ほど話すと、すぐに電話を切り、私は一つの提案を持ちかけた。

「私の屋敷に招待して差し上げましょう。移動は、こちらに車を回すよう、執事に指示しておきましたわ。」

数分して間もなく、白塗りのリムジンが正門の前に停車した。

「さぁ、行きますわよ。」


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「わぁ、おっきいなぁ。」

陽も落ちかけた頃、私となぎさは、小鳩真理に連れられるまま、小鳩家の屋敷にやってきていた。
私の隣で、なぎさはそんな感嘆の言葉を口にしていた。
小鳩家の屋敷は、私がかつて住んでいた烏丸家の屋敷と遜色ない、大きな屋敷だった。
西洋風の白塗りの屋敷は、まるで外国に足を踏み入れてしまったかのような錯覚さえ覚えた。

「こちらですわ。」

小鳩真理は、颯爽と屋敷に向かって歩き出した。
私たちは、少し遅れて、小鳩真理に着いて行った。

「ねぇねぇ、みつき。凄いお屋敷だねぇ。」

小声でなぎさがそんなことを言ってきた。
確かに凄いかもしれないけれど、私はそこまで凄いと簡単に言うことはできなかったため、曖昧な返事しかできなかった。

「で、あの水原月夜に不利な話、と言うのは?」

そして、私たちは客間へ通されたや否や、いきなり小鳩真理から、そんな言葉を聞かされた。
この様子では、本当に水原のことしか眼中に無いのかもしれない。

「水原君はねぇ、とっても負けず嫌いなんだよ。勝つためなら、なんでもやっちゃうんだよ。」
「例えば、どんなことですの?」
「この前なんかね、みつきが持ってきたトランプでババ抜きして遊んだんだけど、蒼谷君を陥れるために、心理攻撃やっちゃったんだよ!
 秘密をバラされたくなかったら、ババ以外のカードをください、って。」

なぎさは、まるで会話を楽しんでいるかのように、一人笑顔でそう言った。

「勝つためなら、手段を選ばない、と。」
「そうそう。だから気をつけた方が良いよー。それに水原君、怖いもの知らずだからねぇ。
相手がどんな人でも、すぐに交渉みたいなことを持ちかけて、自分の都合の良いような状況作っちゃうんだよ。怖いよねぇ。」

小鳩真理の表情を伺ってみた。
やや、不満げな表情だろうか。思ったより有力な情報では無いと、思っているだろうか。
でも……そうだとすれば、こちらの作戦通りに事は運んでいる。

「もう少し、水原月夜の弱みになるようなことはありませんの?」
「あるわ。とっておきの弱みが。」

私は、口を開いた。

「水原は、数時間前に、あなたのお父さんのところに行ったわ。」
「な、なんですって!?」

狼狽えたような様子を見せた小鳩真理。

「たぶん、あなたが私たちと勝負しようとしてることを話したと思う。」
「なんてことですの……。」
「さっきもなぎさが言ったけれど、水原は勝負となったら、あらゆる手を使うわ。
もし本当に勝負しようと言うのなら、覚悟した方が良いと思うけれど。」

小鳩真理の顔色は青かった。
やはり、小鳩真理は父親が苦手なのかもしれない。
水原が言っていたように。

「気分が、悪くなりましたわ。すみませんが、今日はもうお帰りになってくださいませ。また、後日改めてお話を聞かせて欲しいものですわね……。」

ヨタヨタと、ふらつく足で、小鳩真理は客間を出て行ってしまった。
結局、私となぎさは、到着から三十分もしないうちに、屋敷を出た。
水原の予想では「一時間ぐらいは、大丈夫でしょう」と言っていたけれど、どうも小鳩真理に与えたダメージは、水原の予想を遥かに超えていたらしい。
小鳩真理と会って話をすることは、水原の作戦だった。
小鳩真理が、父親に対してどのような考えを持っているか、この勝負にどれだけ気合いを入れているかを探るための作戦だった。

その結果は、明らかなものだった。

「うーん。大丈夫かなぁ。体調悪かったみたいだけど。」

帰り道、そんなことを言ったなぎさは、本当に優しい子なんだな、とつくづく思った。


続く