遭難事件とグラサン少女(下)




〜13〜



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「ちょっとみんなに聞きたいことがある。」

ロビーで、そう口を開いたのは白河さんだった。
これから私たちは、事件のあった時間について、みんなが何をしていたのかを聞くのだ。
他殺という可能性がある以上、これは聞いておくべきという考えのもと、白河さんが先手を切ってくれると言っていた。

「な、なんすか、急に。」

それまでロビーにあった静寂が破られたため、蒼谷はそう言った。戸惑いを隠せないらしい。
蒼谷の隣に座って、顔をうつむかせていたなぎさも、顔を上げ、こちらを見ている。

「今日の夕方5時から、鳥羽の死亡が発覚した7時15分ごろまでの、みんなの行動が知りたい。」
「・・・アリバイの確認、ということですか? 白河先輩。」

すっかり意気消沈していた高倉さんも、ようやく口を開けた。
高倉さんにとっては、鳥羽さんは大切な婚約者だったに違いないから・・・犯人ではないかもしれない。

「あぁ、そうだ。まぁいきなり言えというのも強引だから、私から先に話すが。」

そう。白河さんも、犯人の候補として含まれてはいるのだ。
ただ、さっき水原と二人で話すためにロビーを出ようとしたとき、白河さんもついて来たことから考えると、
もし白河さんが犯人なら、余計な行動をしようとする私たちを意地でも止めるか、3人だけになった時点で、
私たちを襲撃することも可能だったはず。なのにそれをしなかった・・・。
それならば、白河さんが犯人、という考えはあまりピンとこない。

「私は、5時過ぎにこのロビーから2階にある私の部屋に戻って、シャワーを浴びた。そのあと5時半に、
 枕崎の使っている1階の一番奥の部屋に行って、1時間半ほど会話した。
 そして部屋に戻ろうと階段を登る途中で、なぎさちゃんの悲鳴を聞いたんだ。」

白河さんは、そのまま階段を上がって私たちの部屋に来て、私たちと一緒にいた亀山さんとともに、
現場検証をしていたから、その先の話はわかっていた。
5時から5時半まではシャワーを浴びていた、というのは証言できる人がいないかもしれないが、
枕崎さんと話していたことに関しては、本人に聞いてみればわかることになる。

「・・・死亡推定時刻とかってわかるんですか?」

私の隣に立っていた水原が、白河さんにそう尋ねた。

「まぁ、おおよそだが。6時45分ぐらいだと思っている。死後硬直はまだはじまってなかったからな。」

そうなると、6時45分ごろに1階にいた枕崎さんと白河さんは、犯人じゃない、ということになる。
・・・犯人が、枕崎さんと白河さんの共犯で無い限りは。

次に、私がその時間の辺りに何をしていたのかについて、大まかなことを話した。
部屋でなぎさがシャワーから出てくるのを待っていて、いつの間にか寝てしまっていたこと。
大雪のために、明日帰ることができなくなってしまいそうだと思い、枕崎さんに相談したこと。
その途中で、部屋に入れ無さそうにしていた亀山さんの姿を見て、合流したことなど・・・。

そういえば亀山さんは、いったいなんで鍵も持たずに部屋を出ていたのだろうか?
1人で部屋を出ていくなら、鍵ぐらい忘れずに持っていくのが普通だと思うのだけれど。

「亀山さんは、私となぎさに部屋の前で会う前に、何をしていたんですか?」
「・・・」

私の質問に、亀山さんは口をすぐに開かず、無言で私を見つめた。
なんか、とても嫌な感じがする。でも、何だろうか。亀山さんの、この無言は少し・・・。

「これを・・・読んでいました。1階ロビーのテーブルで。」

亀山さんは、ズボンの割と大きめのポケットから、1冊の本を取り出した。
『レヴィアタン号殺害事件』と書かれているそれは、わりと有名な推理小説だ。

「わざわざ、1階のロビーで読んでいたんですか?」
「・・・えぇ。5時30分過ぎから7時前まで。たぶん、ちょうど白河先輩が、枕崎さんとお話をされている間だと。」

なぜ1階のロビーで読んでいたのかについては、何も言わなかった。
それに、1階のロビーで本を読んでいたということについては、どうも証明できる人がいないみたいで、
犯人の候補から、今のところは外すことはできないだろうと思う。

亀山さんの後は、水原が、その時何をしていたのかについて話した。
どうも、私となぎさが部屋に戻った5時過ぎから5時半ごろまでの30分間、1階の調理場で、枕崎兼好さんと話をしていたらしい。
それ以降は、寝ぼけている蒼谷を背中におぶって3階の部屋に戻り、写真の整理をしていたという。
何度か寝ぼけて、寝たり起きたりを繰り返していた蒼谷が言うには、確かに部屋にずっといたと証言している。

水原のついでに、兼好さんにも聞いてみると「ちょうど5時から今晩の料理をずっと作っていた」と、ちょっと機嫌が悪そうに答えた。
ただ兼好さんについても、水原と一緒にいた時間からあと、5時半以降の行動については証明できる人がいないことになっている。

今のところ、アリバイが成立しないのは、亀山さんと兼好さんの2人になる。
あと話を聞いていないのは、高倉さんと、枕崎早子さんの2人・・・。

「・・・早子さんは、その時間どうしていたんですか?」

水原がそう切り出すと、ちょうどテーブルの上のポットを使って、
コップにみんなの分のコーヒーを注いでいた早子さんは、申し訳なさそうに言った。

「少し体調がよくなかったので、実は4時半過ぎから1階の私の部屋で仮眠を取っていたんです。
 本当は、今晩は私が皆さんの料理を作る予定だったのですけど・・・。」

どうも、体調が優れないことを兄である兼好さんに言ったら、当番を変わってもらえた、ということになるらしい。
その言葉になぎさが気遣って、声をかけつつ、コーヒーを注いでいる早子さんを手伝い始めた。

「今は体調は大丈夫なんですか?」
「えぇ、おかげさまで、少しは良くなりました。」

これが事実なら、早子さんも犯人に該当するということはないと思う。

「高倉・・・今、話せるか?」

その横で、今度は白河さんが高倉さんに声をかけた。
鳥羽さんが死んでしまったことに、一番の衝撃を受けているはずの高倉さんに、
本当は今は質問をすべきではないのかもしれない、と私は思っていたのだが、
私の代わりに白河さんが質問してくれたために、思わずほっとしてしまった。

高倉さんの、理知的に見える優しそうな目の奥に、辛さがにじみ出ているのが見える。

「・・・はい。私は、5時過ぎに部屋に戻ったあと、30分ぐらいお風呂に入っていました。
 そのあとは、持ってきていたノートパソコンと自作の資料を使って、少しの間、小説を書いていました。」
「あぁ、そういえば小説を書いたり読んだりするのが趣味って言ってましたよね。」

私はそれをはじめて聞いたが、そう付け加えた蒼谷は、そういえばなぎさや鳥羽さん、
そして高倉さんと一緒によく話していたから、きっとその時に聞いたのだろう。

「はい。よく、空いた時間を使って書いていたので・・・。
 そして、7時過ぎに突然私の部屋のすぐ近くから悲鳴を聞いて、いったい何があったのかと思って廊下にでたら・・・。」

高倉さんが泊まっていた部屋は、鳥羽さんと亀山さんが泊まっていた部屋のすぐ隣だったため、
私たちの姿を見つけ、そして鳥羽さんたちの部屋を覗いて、事件を知った・・・ということになる。

「・・・小説を書いていある間、隣の鳥羽さんたちのいた部屋から物音が聞こえたりしませんでしたか?」

そう聞いたのは、水原だった。
確かに、鳥羽さんが部屋の中で死亡・・・それも他殺の可能性のある死に方をしていたのだから、
犯人ともみ合ったり、会話か何かが聞こえても、おかしくは無いと思う。

「部屋から、というわけでは無いのですけど、7時ごろにドアをノックするような音が何度か聞こえてましたね。」
「確か、それって・・・」

なぎさが、そうつぶやきながら私の方を見てくる。たぶん、なぎさは、
「私たちは7時過ぎに、1階のロビーに行こうとしていた途中、2階で部屋のドアをノックしていた亀山さんと会っている」
と言いたいのだろう。言葉がうまく出てこない様子のなぎさの代わりに、私がそれを言った。

「なるほど、そうだったんですか。つい集中してしまうと他のことがあまり見えなくなってしまうので・・・。」

それ以外に何か不審なことがなかったかどうかを尋ねてみたが、高倉さんからそれ以上有力な手がかりを聞くことはできなかった。

「・・・これで、とりあえず全員の5時から事件発覚までの行動は分かった。
 あとは、この状況で出来ることは無さそうだから、このまま吹雪が止むのを待つしかないな。」

そう白河さんは言って、最後に、わざわざ教えてくれてありがとう、と一礼した。
白河さんとしても、誰かを疑うことは、やはり気持ちの良いものではないと感じているに違いない。
だけど、他殺の線が濃厚である以上、警察官としての一種の使命を背負って、白河さんはみんなに事情を聞いた。
それは、なんだか・・・

「悲しいな・・・」

誰にも聞こえないぐらいの、わずかな声で、私はそうつぶやいた。


>>>


時刻は、9時を回ったところだった。

結局みんな一緒に居た方が安全だろう、という白河さんの考えのもと、
この1階のロビーにあるテーブル席で、ちょうど夕食を食べ終わったところだった。
食事中は、ほとんど会話をする者はおらず、沈黙状態がずっと続いていた。
昨日までは元気だった大海なぎさや蒼谷ゆいも、鳥羽さんの死からくる気まずい雰囲気に完全に飲み込まれていた。

相変わらず、外の天気は変わらないのだろうか。
ロビーのカウンターで、枕崎紀之さんが携帯ラジオをいじっているが、ピーピーガーガーと、ノイズ音しか発していない。
窓から外の景色を見ようにも、この1階は完全に雪に埋もれてしまっているために、その様子を伺うことはできない。

「食器の片づけをしたいんだが。」

テーブルに座り黙って腕組みをしていた白河さんに、そう申し出たのは、枕崎兼好さんだった。

「わかった。私も手伝おう。」
「・・・白河さん、あなたは仮にも客だ。客に手伝わせる料理人は料理人じゃあない。」

料理人、ということを自ら言ったことに、そういえば、あの時の僕は少し驚いたような気がする。
まぁ、実際に、このタイミングで僕がどう思っていたか、細かいことは覚えていないのだけれど。

「それじゃあ、付いて行くだけでも良いだろうか。一人で行動されるのは、困るから。」
「・・・わかりました。」

少し不機嫌な態度で、兼好さんはそう言う。
白河さんは立ち上がり、テーブルの上に広がっていた食器をまとめはじめる。
それを見て、高倉さんや、隣のテーブルに座っていた夕波みつきたちも、同じように動く。
僕も、その場の空気を読んで、使っていた食器を重ねる。
誰もが無言で、同じことをしている様子は、少し滑稽にも見えた。

「・・・すみませんが、お手洗いに行ってきても良いですか?」

その無言の空気を破ったのは、他でもない僕だった。
別に、無言状態が嫌だったとか、そういう理由ではなく、純粋に用を済ませたかったのだ。
1つの場所に閉じ込められただけでなく、殺人、そして精神力を消耗するような圧迫感の漂うこの環境では、
少しでも解放されたい、しておかなければいけないことを済ませたい、と思うのは当然のことだ。

僕の発言に、白河さんは何と答えただろうか。確か・・・

「あぁ、誰か他に行きたい人がいれば、その人と一緒に行ってくれ。」
「・・・それじゃあ僕も行きます。」
「そうか、わかった。」

僕は、水原月夜を連れて、ロビーから少し奥に入っていった、調理場へと向かう廊下の途中にあるトイレに向かった。
みんなの姿が見えなくなる場所まで来たところで、僕の隣を歩く水原月夜が言う。

「・・・あぁいう空気は、あまり好ましくないですよね。正直なところ。」
「・・・」
「沈黙が嫌いなわけではないのですけれど。行動が制限されるというのは、どこかもどかしくて。」

水原月夜の顔を横目で伺うと、その眼にはやはり疲労が浮かんでいた。無理もないだろう。
どんな人間だって、それぐらいは当然だ。そして、人は不自由になればなるほど、
それから一時的にでも解放されたとき、蓄積されていた不満や疲労が放出されて、本来の動きを取り戻す。
だから、このタイミングで僕は動くのだ。

「しかし、このタイミングでしたら、行動がそれほど制限されるわけでもなさそうなので。
 少し、いろいろとお話を伺いたいのですが、よろしいですか? 亀山弦一さん。」

僕はその時、かなり久しぶりに、僕自身もあまり気に入っていない気味の悪い微笑を浮かべた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


目の前にいる見た目好青年な男、亀山弦一さんが、僕の問いかけに対して、
今まで見せなかった表情を見せたとき、思わず僕の背筋に、悪寒がした。
しかし、それは表には出さず、あくまで冷静に尋ねる。

「・・・教えてください、亀山さん。事件のあった時間の前後、本当は何をしていたんですか?」
「さっき言った通りです・・・。ロビーで本を読んでいました。」
「それは嘘でしょう? 本当のことを言ってください。」

亀山さんの証言には決定的な嘘があったことを、僕はあの時聞き逃さなかった。
だから僕は、亀山さんの証言のすぐ後に、僕自身も嘘の証言をしたのだ。
あの場面で亀山さんが嘘をついたことには、何らかの意味があると咄嗟に判断したからこそ、僕の嘘の証言が活きる。

亀山さんは5時半過ぎから7時前ぐらいまで、ロビーで本を読んでいたという。
そして、その証言の後、僕は5時半ごろまで枕崎兼好さんの料理している姿を見た後、
ロビーに戻って、寝ぼけ眼の蒼谷ゆいを連れて、部屋に戻った・・・と言った。
でも、部屋に戻ったのは確かなのだが、ロビーを後にしたのは、時計が6時を示す少し前だったのだ。
5時半過ぎからロビーにいたのなら、僕はその姿を目にしているはずである。

しかし・・・実際は。

「・・・そうですね。あれは嘘です。」

意外にも、正直に答えてきたことに、僕は驚くと同時、少し身の危険を感じた。
証言が嘘だと、このタイミングで言うということは、真実を明かしても問題が無い、と考えている可能性がある。
そしてその考えの先には・・・ひょっとしたら。

「・・・こうして見ると、水原月夜という君の存在が改めて恐ろしいと思いますよ。
 でも・・・安心してください。この事件の犯人は私じゃないです。」
「その言葉を・・・信じろと言うんですか?」
「・・・そのうち、嫌でも信じなければならない時が来ます。」

その時、亀山さんの表情が、どこか憐みを含んだようなものに変わった。

「まぁ、今はそんな話は良いんです・・・。君と私がやるべきことは他にあります。」
「いったい何を・・・」

亀山さんはおもむろに、ズボンのポケット・・・さっきの小説が入っていたところとは逆側から、何かを取り出した。
最初は、何らかの凶器ではないかと思って身構えたが、それが普段は首からかけるタイプの銀時計だとわかると、
僕は少し安心し、体勢を元に戻した。銀時計を見て、時間を確認したのか、それをポケットに戻す。

「まだ少し・・・時間はありそうですね。」
「・・・」
「私は・・・水原月夜くん、君がこういう行動を取ることはわかっていました。だからこそ、嘘をついたんです。
 君とこうして2人で話すことも、もう決まっていたことですから。」

亀山さんがいったい何を言っているのか、それを理解することはできないが、先ほどから違和感が頭をよぎっている。
今までの亀山さんは、こんなに饒舌な感じではなかった。亡くなった鳥羽さんと比べたら、失礼ながらまったくしゃべらなかった印象があるからだ。
人が饒舌になる時は、大抵、他人に自分の話を聞いてもらいたい時か、嘘をついている時。
ならば・・・これは、どちらだろう。

「・・・1つ聞いても良いですか?」
「なんでしょうか。」
「・・・亀山さんは、この事件について、何か知っているんですか?」

僕のその質問に、どう反応するかで、少し探りを入れてみる。
しかし・・・

「それについて、私から言えることはほとんどありません・・・。
 ただ、君がもっと深く考えれば、答えは必ず出るということだけは、ヒントとして出しておきましょう。」
「・・・」

まるで予め、僕が何を質問するのかを見通していたかのように、即座に回答されてしまった。
それが暗示していることは、まるでわからない。
でも、それだけヒントをもらえることができたなら十分だった。
亀山さんから見れば、僕はまだ考えが浅かったのだ。ならば、もっと深く考える必要があるだけ。

「ありがとうございます。」
「無いとは思うけど、一応聞いておきましょう。質問は他にありますか?」

答えはノーだ。
これ以上尋ねても、きっと有力な情報は教えてくれないだろう。
それに、何故か僕自身のプライドが、亀山さんに対して質問を重ね続けることを許そうとしていないこともある。
しかし・・・亀山さんは、この事件の解明の手がかりを持っているだとしても、なぜ事件解決に名乗りを挙げないのだろうか。
それだけが唯一、気がかりだ。

僕は横に首を振る。

「それでは・・・そろそろロビーの方へ戻りましょうか。」
「お手洗いは良いんですか?」

皮肉で言ったつもりだったが、亀山さんは微笑を浮かべるだけで何も答えずに、ロビーの方へと歩いて行ってしまう。
その背中は、まるで「君ならもうわかっているだろう?」と、こちらに伝えてきているようにも見える。
僕はそれを追って、ロビーへと戻ろうとした。でも・・・。

違う。

ここでロビーに戻っても、僕ができることはおそらく何もないだろう。
亀山さんは何と言っていた? 「もっと深く考えれば、答えは必ず出る」と言ったはずだ。
何の考えもなしに行動しても、その答えとやらは導き出せないことを、亀山さんは教えてくれた。
ならば、僕はロビーに戻るべきじゃない。

「・・・レニオルさん。」

僕は、僕の中にいる【魔神レニオル】に小さな声で話しかける。
すると、落ち着いた口調で男の低い声が僕の中から返ってきた。

【私も、その判断は正解だと思うよ。】
「僕はいったいどうすればいいんでしょう?」
【君は真実を見ることができる。その力は与えたはずだよ。】

そう、確かに【九神霊】の【魔神レニオル】に最初会ったとき、僕は真実を見ることができる力というものを、
交換条件のなかで手に入れたはずだった。でも、その力を今まで一度も行使したことがなかったために、
いまいちその実感が湧いてはいない。それに、どうすればその力を発揮できるのかも、聞かされていなかった。
それを質問しても、いつも曖昧な返答ばかりしてくるのだ。

【難しくはないさ。もう君は、その力を何度も使っているのだから。】

僕は「それはどういうことですか?」と聞こうとした。でもすぐに、その質問は無意味だということに気づく。
レニオルに言うべきことは・・・

「レニオルさん、力を、貸してください。」
【・・・何をすれば良いんだい?】
「時間の流れを、いじることはできますか? できれば、少しの間、時間を止めてほしいのですが・・・」

時間の流れを止めている間に、鳥羽さんの死体が今も置かれている2階の部屋に行き、何らかの情報を手に入れる。
まだ、何かを見落としている気がするのだ。白河さんたちも気づかなかったようなものが見つかれば・・・。
この事件を解決できるかもしれない。

【そうか。水原君はそう考えるのか。事件のあった時間まで戻してほしい、ではなく、時間を止めてほしい、と。】
「事件のあった時間に戻っても、僕が事件を未然に止められないと思いますからね。
 僕が過去に戻って事件を防げるなら、今の時点で問題は収まっているはずですし、
 それに過去に戻ったときに、現場に僕がいたら、犯人に気づかれてしまいますから。」

この判断で・・・正しいはずだと思う。
最大限に思考した結果、それが導き出されたのだ。これより良い考えは・・・思いつかない。

【わかったよ。時間を止める呪いをかけてあげよう。まぁ、厳密にはちょっと違うものになるけれど、
 ようは、この建物の中にいる人たちに気づかれないように行動できれば、問題はないんだね?】
「えぇ、お願いします。」
【それじゃあ、呪いをかけよう。一瞬立ちくらみをするかもしれないが、まぁ安心していいよ。】

そう言われるや否や、視界が一気に捻じ曲がり、平衡感覚が乱れた。
が、すぐに元に戻る。

「これで、時間は止まったんですか?」
【この建物の内部のみだけどね。外の時間にして、約30分ほどは止めていられるよ。
 それ以上は、この山のどこかにいる、強力な霊力を持った何者かに気づかれる恐れがあるから無理だよ。】
「・・・わかりました、ありがとうございます。」

タイムリミットは、外の時間で30分。
この時間内に、有力な証拠が見つかればいいのだが・・・。
いや、見つけなければならないのだ。

「それじゃあ、ロビーに行ってみましょうかね・・・。」

体感時間では、亀山さんと2人でお手洗いに行くと言ってから10分ぐらい経っているから、
白河さんに何か言われたりしないだろうか・・・と、考えていたが、それは杞憂に過ぎなかった。
ロビーに戻ると、そこには不自然な姿で動きを止めたみんなが居た。
やはり、時間が止まっているのだろうか・・・。
試しに蒼谷ゆいの目の前で手をかざしてみたが、反応は無かった。

「本当に・・・便利な呪いですねこれは。」

そうつぶやくが、レニオルの返事は無い。

「とりあえず、部屋に行きますか。」

誰も答えないことをわかっていて、僕は1人、2階へと続く階段を登り始めたのだった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「あぁ・・・動き出したんだね。」

僕はそうつぶやく。
また1つ運命の歯車が動き出してしまったことに、僕は安堵する。
物語が正常に動いていることを確認するたび、不安な心が落ち着きを取り戻すのだ。

ポケットから、首にかけるための紐がついている小さな銀時計を取り出す。

これは、かつて僕と行動を共にしていた、彼からのただ1つの餞別だった。
この銀時計が無ければ、僕はここに存在していないだろうし、きっと運命の歯車も正常に動かなかった。
だから彼には感謝しなければならない。僕のことを救ってくれた彼には。

銀時計の針は、先ほど見たときは止まっていたが、今は正常に動いている。
これが動いているということは、この場所の時間は止まっているということだ。

そういう、ちょっと変わった銀時計を片手に、僕は目の前のドアを開く。
僕と、鳥羽先輩が使用していた部屋。今は、鳥羽先輩の死体のある部屋。
ドアを開けて眼の前に映るのは、床に広げられた青いビニールシート。
一部が盛り上がっていて、その下に鳥羽先輩の死体があることが遠目に見てもわかる。

彼は、必ずこの部屋に来る。
この建物内の時間が止まった瞬間、それは確実な運命として決まった。

そして、僕の後ろに、誰かの気配がして・・・
振り向くと、予想通り、彼が立っていた。
その銀縁メガネの奥にある2つの瞳は、驚いたかのように見開かれている。
無理もない。時間が止まっていると思っていたはずなのに、その中で自分以外に動いている人間がいたのだから。

「なんで・・・ここにいるんですか?」
「それが、運命だからだよ。」

僕は彼の疑問にそう答えた。

「この建物の中は時間が止まっているはずなのに、どうして動いているんですか? と言いたそうな表情をしてるね。」
「・・・あなたは、いったい何者なんですか?」

彼は、警戒して僕から距離を取っている。
僕が化け物にでも見えているのかもしれない。

「自己紹介は既に済ませているはずですが・・・私は、亀山弦一です。」
「・・・まさか、悪霊の類じゃないですよね。」
「とんでもないです。ただ、少々の呪いについては心得ていますので。」

本当は、時間の流れを止めるなんて言う呪いは、少々というレベルでとても収まるものではない。
空間を限定して発動するものであっても、かなりの霊力を必要とすることを、僕は知っているからだ。

「・・・それで、この部屋で僕を待ち伏せして、いったい何の用でしょうか?
 それに、おそらくあなたは僕が時間を止めることを知っていた・・・。それは何故です?」
「焦らなくても、順番に話しますよ。」

僕はそう言って、先に鳥羽先輩の死体のある部屋に入る。
そして廊下に立っている彼を手招きし、部屋に入るように指示した。
彼はおとなしく部屋に入った。それを確認して、僕はドアを閉める。

「まずは・・・ちゃんと私の言ったことについて理解してくれたことを、素直に感謝するよ。本当にありがとう。」
「・・・あれだけ言われれば、さすがの僕でもわかります。
 でも、僕がそういった力を持っていることをあなたは何故知っていたんですか・・・?」

僕は彼を連れ立って部屋の中央に向かう。
背後にいる彼の表情を、僕は伺うことはできないが、手に取るように彼がどう考えているかがわかる。

「ある人から聞いたんだよ。まぁ、そんなことは今はどうでも良いと思うよ。時間が、無いんだろう?」
「・・・」

僕と彼は、鳥羽先輩の死体が覆い隠されている青いビニールシートのすぐそばまでやってきた。
彼が部屋を見渡している間に、僕はビニールシートを取り去り、鳥羽先輩の死体を曝け出す。
胸から出ている多量の血、右手に持っている血だらけの包丁・・・それは無残な姿だった。

「・・・鳥羽さんは、左利きだった。それなのに右手の、しかも順手で包丁を持っているというのはおかしい、
 というのが先ほどの話でしたよね?」

彼は、僕にそう確認を取ってくる。

「これが他殺であるとするなら、包丁の出所である、この徒然荘の調理場・・・。
 そこに出入りできた人物が、僕は怪しいと思うのですが。亀山さんはどう思っているんですか?」
「・・・そうだね。君の思うとおりだよ。」
「ならば・・・考えうる容疑者は3人。枕崎さん親子ということになります。」

まぁ、そう考えて正解だ、と僕は思う。
しかし父親である紀之さんは、白河先輩と長時間話をしていたというアリバイがあるため、容疑者から外れる。
そして息子の兼好さんは、調理場で夕食の用意をしていた。ただし、途中で調理場を抜けた可能性は無いわけでは無い。
最後に娘の早子さん。どうも夕方から体調を崩していて、本来は今日の夕食を作る当番だったらしいが、
それを兼好さんに代わってもらって、部屋で寝ていた・・・と言っていた。

「そして、枕崎紀之さんは明確なアリバイがあるため、容疑者から外れます。
 ならば犯人は、兼好さんか早子さんのどちらか・・・というのが僕の今のところの予想です。」
「それじゃあ・・・君は犯行の動機も予想できるかい?」

実際には、僕は彼がそこまで予想できていないことを知っているにも関わらず、あえてそれを聞いた。

「・・・わかりません。ですが、兼好さんは事件のあった時間帯に調理場にいました。
 包丁を持ち出して使用するなら、兼好さんが一番容易に行動できると思うんですけど。」
「兼好さんが犯人と?」

彼はそこで黙ってしまう。
まだ、決定的な証拠をつかめていないだけに、犯人を断定することはできないのだからしょうがない。

「白河先輩は、鳥羽先輩の死亡時刻を6時45分ごろ、と言いました。
 ですがそれは本当に正しいのでしょうか?」
「・・・そう言われても。」
「死亡時刻の操作なんて、意外と簡単なんですよ。死後硬直から逆算しようとしても、正しい答えに導けないこともあるんです。」

僕がそういうと、彼は何かに気づいたような表情をする。
もし彼が、本当の死亡時刻が6時45分よりもずっと前だということに、その仕組みとともに理解したのなら、
きっとただしい犯人を導き出せる、とそう思った。

僕と彼は、そのあと言葉をいくつか交わして部屋を出た。
その時の、堰を切ったように彼の口から、この事件の真相についての予測が出てきたことは、僕を震えさせた。
改めて彼の、そして彼の背後にいる「その力の元凶」に恐怖すら感じたことは、僕が客観性を持ってしまった故からなのかもしれない。



そして、この事件は解決に動きだし、また歯車が1つ回る。
あまりにも狂ってしまっている・・・この呪われた世界は、また一歩、開かれるのだ。



続く