遭難事件とグラサン少女(下)




〜12〜



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突然、誰かの叫び声が聞こえて、僕は机の上に広げた写真たちから目を離した。
女の高い叫び声・・・これは、大海なぎさの・・・だろうか?
何かあったのだろうか。少し、嫌な予感がする。

「今のは、なぎさちゃんの叫び声っ!?」

そう言って、僕の背後にあるベッドから、蒼谷ゆいが飛び起きた。
ロビー横のテーブルに突っ伏して寝ていたところを、無理やり起こしてこっちに連れてきたのだ。
まぁ、部屋に戻ってくるなり再びぐっすりと寝てしまっていたのだが・・・。

「・・・たぶん、そうだと思いますけど。」
「何を悠長なこと言ってるんだ! あぁ、なぎさちゃん! 今行くから!」

そう言って、蒼谷ゆいは部屋を飛び出して行ってしまった。
後先考えない、というのは彼のことを言うのかもしれない。

僕は万が一のことを想定し、この僕以外に誰もいないはずの部屋に声をかける。

「何か、悪霊でも出てきたのですかね?」
【いや・・・違うね。確かにこの山のどこかには、さっきも言ったけど強力な霊力を持った何者かがいる。
 けれども、この建物の中じゃないよ。だから、何か他のことだよ。】

僕の体の中から、そんな落ち着いた声が聞こえた。
僕に真実を見る力をあげると言って、僕の中に入った【九神霊】の【魔神レニオル】だ。

「それじゃあ・・・いったいなんでしょうか。」
【行ってみないと、それは私にもわからないよ。】
「・・・」

僕は、蒼谷ゆいの後を追うことにした。

廊下をやや早歩きしながら、考える。
確かに、あの叫び声は普通じゃない。
大海なぎさとは、一対一で何度も話を交わしてきたが、こと冷静さに関しては、意外なほど高い。
僕に、夕波みつきよりやっかいだと思わせるほどに。
普段はそんな様子は見せない、かわいらしい女の子なのだが。
いったい、何があったのか。

叫び声が聞こえたのは、僕たちが泊まっている部屋より階下のほうだ。
この建物は3階建て。そして、僕たちが泊まっている部屋は3階。
ならば1階か、それとも2階か。

3階から2階に降りるため、階段を下る。
2階についたところで、1階から上がってきた、この徒然荘の主人である枕崎紀之さんにばったり会った。
紀之さんは、何事かと言いたそうな顔をしていた。

「・・・枕崎さん、やはり叫び声をこの階から聞きましたか?」
「えぇ、突然大きな声が聞こえたんで、びっくりして来たんですよ。」
「そうですか。」

そこで、どこからか、人の声が聞こえた。
この声は、蒼谷ゆいだ。

「どうも、こっちみたいですね。」
「・・・えぇ。」

紀之さんの後をついていくように、僕は声がした方へ向かった。
そこは、僕たちが泊まっている部屋の真下。
確か、同じ宿泊客の鳥羽義政さんと亀山弦一さんが泊まっている部屋のはずだった。
その部屋の前で、蒼谷ゆいと、鳥羽さんたちと一緒に来ていた高倉なみさんが居た。
蒼谷ゆいは、顔を蒼白にして。高倉さんは、その場に座りこんでしまっていて。

「いったい、何が・・・」

その僕の疑問は、部屋の中を覗いてみて、やっとわかった。

部屋の中には、夕波みつき、大海なぎさ、亀山さん、そして亀山さんと一緒にここに来ていた白河忠志さん。
最後に・・・部屋の中央に、鳥羽義政さんの姿。
鳥羽さんも、亀山さん、高倉さん、白河さんとともにここに来ている人だった。
その鳥羽さんが、腹部から多量の血を流して仰向けに倒れていたのだ。

「こ・・・これは・・・」

僕の隣にいた、紀之さんがそうつぶやく。これは、事件だ。
僕たちに遅れて、廊下の方から、紀之さんの子である、早子さんと兼好さんが何事かと走ってきた。
みんなが集まっている部屋を、2人も覗き、この惨事を見てしまい、言葉を失っている。
そんな様子を白河さんは見て、

「・・・これは、大変なことになったな。」

そう言った。


>>


白河さんに、部屋を不用意に触らないようにと言われ、一旦部屋を出た僕たちは、開きっぱなしのドアから部屋を見ていた。
部屋では、白河さんと亀山さんが、鳥羽さんの死体を見て、何かを調べている。
その2人の姿を部屋の隅の方で紀之さんは見ていた。

廊下に出された僕たちは、とりあえず成り行きを見守っていた。
叫び声をあげていた大海なぎさは、先ほどから怯えるように夕波みつきの体にしがみついている。
高倉さんは、かなり沈んだ顔で、1人、窓の外の吹雪を見ていた。
雪の量はかなり多い。この調子では、2階も埋まってしまうかもしれない。

「はぁ、こいつは何なんだ・・・。自殺か? まったく迷惑な話だな。」

ため息をつきながら言ったのは、枕崎兼好さんだった。
不本意で、家族とともに働いていることがあまり気に入ってない様子をいつも見せている割には、
迷惑だと言っている辺り、本心は家族が大切だと思っているのかもしれない。

そんな言葉を聞き、窓の外を見ていた高倉さんは、泣きそうな顔で言う。

「そんな、自殺なんてあるわけないじゃない! 鳥羽くんが・・・自殺するなんて・・・」

兼好さんが、自殺か、と言ったのには理由があった。
それは、倒れていた鳥羽さんの右手に、血だらけの包丁があったからだ。
どうみても、自分の胸を刺して死んだ、という感じがする。

「自殺じゃないとしたら、なんですか? 誰かが殺したと言うんですか?」
「そ・・・それは・・・」

まるで畳み掛けるかのように言う兼好さんに圧され、高倉さんは今にも泣き崩れそうだった。
それを見て、兼好さんの隣にいた、兼好さんの妹である早子さんが言った。

「ちょっと、お兄ちゃんっ! さっきからいったい何を言ってるの。高倉さんがかわいそうじゃない!」
「・・・」
「高倉さんは、鳥羽さんと今年の秋に結婚する予定だったのよ?
 それなのにお兄ちゃん、ちょっと言い過ぎよ!」

それは初耳だった。
死んでしまった鳥羽さんと、高倉さんは結婚する予定があったのか。
それなのに、結婚する前に自殺を・・・?

いや、これは本当に自殺なのか?

「お兄ちゃん、どこ行くの!?」

いろいろ頭で考えている間、兼好さんは突然廊下を階段の方へ歩き出した。
「トイレだ。」と言い、振り返ることもしないまま、行ってしまった。
それを見て早子さんは、すまなそうに高倉さんに謝っていた。

この事件が、自殺であるとするには、少し理由が見えてこない気がする。
部屋の方を覗いてみても、今のところ遺言らしきものは見つかっていないこともある。
ならば、誰かに殺されたのだろうか? 誰が殺した?

ここは、いわば天然の密室空間。
真夏なのに豪雪が降るというおかしな山の中腹にある、小さなロッジ。
宿泊客は、僕たち4人と白河さんたちしかいない。
あとは、このロッジの経営をしている枕崎さん親子の3人。
これ以外に、この場所には誰もいない。そうなれば、この事件が他殺であるならその誰かが犯人となる。

まぁ、まだ自殺か他殺かなんていうのは・・・

「ん? ちょっと待って、なんかおかしい。」

突然、夕波みつきが口を開けた。

「なんかおかしい、か。何かに気づいたみたいだね。」

部屋の中から、白河さんと亀山さんと紀之さんが出てきた。
この言葉を言ったのは、その中の白河さんだ。

「白河さんと亀山さんにお聞きしたいんですけど、これは自殺、じゃないですよね?」
「・・・ふむ。どうしてそう思うんだい?」
「最初は、自殺する理由がないから・・・と思ったんですけど、いろいろ考えてみたんです。
 そうしたら、ちょっと変な部分に気づいてしまって。」

そう言って、夕波みつきは、部屋の中にある死体を指差す。

「自殺なら、包丁で死ぬ必要があるかどうかはともかくとして、どうして右手で、しかも順手で持っていたんですか?
 この前、鳥羽さんといろいろお話をしていた時、確か左利きって聞いていたんですけど。」
「おぉ、驚いた。まったくその通りだよ、みつきちゃん。鳥羽は、確かに左利きだ。」

言われてみれば、左利きの人間が、右手に包丁を持って自分を刺すだろうか。
それも逆手でなく、順手で。

「調べた限りじゃあ、結構傷が深かった。左利きの人間が、右手の順手で胸を刺しても、あれほどの傷はでないだろうな。
 それに、人間っていうのは、倒れるとき、本能として咄嗟に前に倒れるようになっている。
 仰向けになって倒れる場合は、前方に危険がある場合か、本能が出る間もなく気を失うか。」
「・・・私たちの判断では、これは他殺、と考えてます。」

白河さんの説明に、亀山さんが加える形で、この事件が他殺ではないか、ということになった。
確かにあの死体には、そういう違和感があった。自殺ではありえなさそうな死体。

「とりあえず、みんな一か所に集まっていた方が・・・ん、兼好くんの姿が見当たらないな。」
「兼好さんなら、先ほどトイレに行きましたよ。」

夕波みつきがそう言うと同時、廊下の向こうから、兼好さんの姿が出てきた。

「ふぅむ・・・あまり勝手なことをしてもらいたくないんだがな。」

肩を下すようにため息をつく白河さんを余所に、夕波みつきは言う。

「一か所に固まっていれば、この中にいるかもしれない犯人も余計な行動はとれないから、その方が安全ですね。」
「あぁ、この中に犯人がいるとは思いたくないが・・・な。」


>>


ひとまず、外が猛吹雪の状態ではどうすることもできないために、
僕たちは1階のロビーに集まって、今晩を乗り越えることになった。
天候は良くなる気配は無く、それどころか徐々に積雪量が増しているために、完全に1階部分は雪に埋まり、
2階の窓ギリギリまで雪が迫っていた。

鳥羽さんの死体は、白河さんたちが「たまたま倉庫にあった」というブルーシートをかぶせ、その状況を維持しているという。
後の実況見分の時に、困らないようにするためらしい。

テーブルを囲って座った僕たち4人は、それぞれ異なった表情・態度をしていた。
大海なぎさは、先ほどからずっと元気がなく、うつむいている。
無理もない。死んでしまった鳥羽さんと一番会話を交わしていたのだから。
蒼谷ゆいは、そんな様子で隣に座っている大海なぎさを見て、どう声をかけようか、と何度か口を開け閉めしている。
しかし結局かける言葉は、今のところ見つからないらしい。

そして、僕の隣に座っている、夕波みつきの方に目を向けると・・・

「ん? どうした? 水原。」
「・・・いえ。先ほどから、何やら難しい表情をしているので。ちょっと気になって。」
「ふむ・・・」

おそらく、この事件のことについて、いろいろ考えているのに違いない。

「水原、ちょっと話があるんだが、良いか?」

そんなことを夕波みつきから急に言われ、いったい何のことについて聞かれるのかといろいろ考えた。
すると、夕波みつきは立ち上がり、こちらを見てくる。どうも、2人きりで話したいらしい。

「・・・わかりました。」
「お・・・おい、ちょっと2人ともどこに行くんだ?
 みんな一か所に集まっていないと危ないって、白河さんも言っていただろう?」

蒼谷ゆいが、そういうことを言いだすのも、もっともだと僕は思った。
まだ鳥羽さんの死亡が、自殺によるものだと決まったわけじゃない。
殺人事件なら、まだおそらくこの徒然荘の中に犯人がいるかもしれないのだから。

「水原がいるから大丈夫だ。それにすぐ戻ってくる。」
「こらこら、勝手な行動を取ろうとするな。2人とも。」

僕の後ろから、そんな言葉が聞こえ、振り返ると白河さんがいた。
白河さんは他の人たちと一緒に別のテーブル席にいたのだが、
僕と夕波みつきが動いたことに気づいて、こちらに来たらしい。

「そういうことは、謹んでくれ。万が一ということもある。」
「それじゃあ・・・白河さんも、一緒に来てもらえませんか? 白河さんが一緒なら、少しは安心できるんですけど。」

夕波みつきのその言葉に、少しむっとした表情になる白河さんだったが、
1つため息をついて、「わかった」と言ってくれた。

ロビーにいたみんなに、ちょっとこの場を離れることを告げ、僕と白河さんは夕波みつきの後についていき、
そして階段を上がって、2階の廊下へと戻ってきた。

「・・・いったい話とは何でしょうか?」と、夕波みつきに尋ねる僕。
神妙な顔つきで、夕波みつきは口を開いた。

「私、鳥羽さんは誰かに殺されたんだと思っているけど、水原と白河さんはどう思う?」
「・・・まぁ、殺人事件とは思っていますけど。」
「私もだな、みつきちゃん。だからこそ、ロビーにみんなを集めたんだ。」
「じゃあ、いったい誰が・・・?」

その夕波みつきの疑問に、僕は答えることができなかった。

犯人について、いろいろ僕は考えてきたが、僕たちサークルメンバーの4人以外の誰かが犯人であることは、
ほぼ間違いがないとは思っている。白河さんたちと、この徒然荘の枕崎さん親子3人は、前から面識があった。
だから、この事件は、何らかの鳥羽さんに対する恨みがあっての犯行のはずだ。

とすると、白河さんたちの中か、枕崎さん親子の中に、犯人が・・・
しかし、そんなところまでは想像がつくが、それ以上のことはわからなかった。
情報が少なすぎる。今の僕では、犯人を特定することが出来ない。

「君たちの中に犯人がいない、ということを私は思っている。
 何せ、君たちと私たちの間に、面識はほぼ無かった。鳥羽は、あれでも人間関係に気を使う方だったからな。
 よほどのことが無い限り、恨まれるようなことも無いと思うんだが・・・。」

白河さんは、そんなことを言った。
犯人はおそらく、白河さん、高倉さん、亀山さん。それに、枕崎さん親子の3人の、合計6人のうちの誰か。

「それに凶器になった包丁は、ここの徒然荘のものだったよ。
 死体を確認していたとき、一緒にいた枕崎に確認してもらったが、間違いなく調理場の包丁と言っていた。」

調理場の包丁・・・?
調理場と言えば、事件が起こる前に僕は一人で行ったが・・・。
・・・その時、そこにいたのは、枕崎兼好さんだった。

「包丁が無くなっていたことに、枕崎さんたちは気づかなかったんですかね・・・?」
「さぁ、どうだろうな。聞いてみなければわからないが。確か、今日の調理当番は兼好君だったな。」

凶器が調理場の包丁なら、怪しいのは、枕崎兼好さんか。

「それじゃあ一度ロビーに戻って、ちょっとみんなにいろいろ聞いてみた方が良いと思う。」
「・・・そうですね。この一件を終わらせないと、ただでさえ気まずいですから。」

僕たちは、会話もそこそこに、再びロビーに戻るのであった。



続く