遭難事件とグラサン少女(中)




〜9〜



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「やはり・・・来たか。」

屋敷で一人、正座で精神統一をしていると、夜の暗闇が広がる庭に1人の男がいるのに気がつき、そうつぶやいた。
月明かりに照らされているその男は、銀縁メガネに整えきっていない髪を持った、長身の男。水原月夜。
6時間ほど前、私が後ろをつけていたときは持っていなかった、大きな旅行鞄を持っている。
ここにくることは予想していたが、いったいなんのつもりだろうか。

「・・・あぁ、やはりこの行動もあなたの予想の中ですか。その表情からすると。
 本当にあなたは怖い人だ、右京こまちさん。」

庭から、私の方を見て、水原はそう言う。

「私は、お前の方が怖いと思っている。お前には私の屋敷の場所を一切伝えていなかったはずだ。
 それなのに、どうしてお前はここにいる?」
「それは・・・秘密です。教えてほしいですか? 交換条件なら教えますけど。」
「・・・断る。それに、お前の隠していることなど、脅せば吐かせることぐらい簡単だ。」

それに、水原は不気味に笑う。

「・・・あはは。それじゃあ脅してみてください。それぐらい簡単なら、わざわざ『どうしてここにいる?』なんて
 聞かないでしょうから。まぁ、あなたが本当に僕を脅す気でないことはわかっていますけれど・・・」
「私は、本気だ。」
「・・・そうですか。」

私は立ち上がり、腰に下げていた、包帯に巻かれている刀・・・
『影桜』という呪われた刀を手に取り、一瞬で庭の水原との間合いを詰めた。
水原の首に、包帯のまかれた刀をぴたっとつけて言う。

「ずいぶん、肝が据わっている。この状況でなぜお前は笑っている?」
「・・・なぜでしょうか? あまりにあなたの力にビビってしまい、動けなくなってしまいました・・・と。」
「ほざけ。お前は・・・何者だ?」

水原は、刀を持っている方の私の腕をそっと退かして、微笑む。

「最初にお互い、自己紹介しましたよね? 僕は水原月夜です。」
「・・・そうじゃない。お前の名前を聞いているんじゃない。」
「よくわかりませんが・・・もしかして僕を人間じゃないなんて思っていらっしゃるんでしょうか?
 大丈夫ですよ。僕は正真正銘の人間です。日常を、悪霊退治に費やしているあなたなら、それぐらいの分別は・・・」
「もういい」

私は、刀を腰に収める。水原に脅しは効かないということはわかった。
本当に水原が人間であるかどうか・・・それぐらいは判断できる。
水原の言うとおり・・・確かに正真正銘の人間だ。
だが、私の心のどこかが、水原月夜は人間であって、しかし人間でない何かがある・・・と言っている。

目の前の水原は、ほっとしたような安堵の表情を見せた。

「・・・あぁ、よかったです。右京さんが僕を殺さなくて、本当によかったです。
 これなら、安心して僕はあなたについていくことができます。」
「いったい、何を言っている? お前が私に・・・ついていく?」
「・・・はい。僕が、あなたの協力者になります。」

水原は、急に何を言っているのだろう?
突然すぎて、まったく私は理解が出来なかった。
ついていく・・・? いったいどういうことだ?

「理解できない、という感じでしょうか? 僕は構いませんよ。あなたについていくことは。」
「お前の言っていることはさっぱりだ。協力者?ついていく? わかりやすく説明をしろ。」

私がやや強く問い詰めると、少し困ったような顔をして水原は言う。

「・・・ですから、あなたのお手伝いをしましょうということです。あなたはそれを望んでいる。
 僕のような人間・・・いえ、僕という存在を欲している。」
「望んでいるだと? ふざけるな。お前の協力? ただの人間が、最下層の霊にすら及ばない人間が、私についていく?
 足手まといにすらならないお前が、いったい何を・・・」
「そうでしょうか?」

水原は、背後にある夜空に浮かんだ月の方を向いて、続けた。

「あなたは、僕を脅そうとした。でも、結局成果はなかった。それはなぜでしょうか?
 答えは簡単です・・・。それは、あなたが僕を一瞬でも恐れてしまったからです。」
「なっ・・・」
「僕は、正真正銘の人間です。と言った時、あなたは心のどこかでそれを疑ったはずです。
 一度でも疑ってしまえば、頭の中にそれは残り続け、自分の行動を制限してしまう・・・。
 あなたの言う、ただの人間、霊にすら及ばない人間に対して、なぜそのような行動をとってしまったのか。
 僕に秘められている力なんてありませんけれど、あなたに対して駆け引きを持ちかけて、僕が有利に立つことはできました。
 それだけでも、あなたは僕に価値を・・・見出したのではありませんか?」

恐ろしい男だ・・・と思ってしまった。
水原は、武器を使うことすらなく、言葉だけで優位に立ってしまっていた。
そして、私の思考をほとんど見透かされていた。
私の行動が、水原の思い通りになってしまっていたというのだ。

「・・・それに、あなたは既に先日僕に『情報』と『武器』を与えてしまいました。
 無能な人間に、果たしてそんなもの、与えるのでしょうか?
 少なくとも僕はあなたより、夕波みつきに関するアドバンテージは持っていると思っています。
 あなたは、それを無視できない。これも僕にある価値です。」
「・・・黙れ。」
「わざわざ僕に会いにくるだけでも、あなたにとって僕は価値ある人間とは思っていましたが・・・
 先ほどの駆け引きでも僕が優位に立つのなら、これは僕が予想していた以上に」
「黙れと言っている!」

私は、再び腰の刀に触れ、一瞬で後ろ向きに立っている水原の、今度は腰のあたりに刀の先をつける。

「それ以上しゃべるな。しゃべれば、お前の命は無い。」
「どうぞ。サクっとしてくれて構いません。」
「・・・くっ。」

・・・できない。水原の腰に、刀が触れているはずなのに、それ以上先へ進めない。
あまりにも、水原の言っていることが正しすぎて・・・

「・・・私の、負けだ。」

刀を、私の腰に完全に収める。完敗だ。

「いえ、あなたの勝ちですよ、右京こまちさん。あなたは、僕の予定通りにうまく行動してくれました。
 もし途中で僕を傷つけたりするようなことがあれば、僕はあなたへの協力をやめ、夕波みつきにすべて話そうとしました。
 そして途中で殺してしまえば、あなたは夕波みつきに関する情報を得ることが難しくなります。
 ・・・あれだけ毎日、悪霊に襲撃されているのなら、よっぽどのことがなければ外には出ないのでしょう?
 悪霊退治の依頼を受けるだけで精いっぱいのあなたには、夕波みつきと接点を持つ僕の存在は必要不可欠ですから。
 しかし・・・僕は傷一つ負わず、あなたと渡り合えました。
 これで僕は安心して、夕波みつきについての情報をあなたに渡すことができます。」

それが、水原の言っていた「協力者になる」ということの意味だったのかと、私はようやく理解した。

「情報についての見返りは、今は必要ないので気にしないでください。
 時がきたら、ちょっとお願いすることがあるかもしれませんが・・・。」
「わかった、良いだろう。」

それでは、と水原は言って、こちらに向き直る。

「僕は今日からしばらくここでお世話になりますけど、大丈夫ですね?」
「・・・は?」
「いえ、実はだいぶ前から母親が病気で入院していまして。
 父親は気づいた時には死んでいたので、家には僕一人しかいないんですよ。
 ですから、家で暮すより、ここであなたと一緒に暮したほうが、あなたにとっても都合が良いでしょう?
 いちいち僕が情報を届けるためだけに、ここに来るんなら、住んだ方が僕は楽ですし。」
「・・・」

だから大きな旅行鞄を持っているのか・・・と思った。

「だが、私にとって良い都合など・・・」
「いやぁ、しかしこの屋敷はずいぶん広いですよね。使用人は見当たりませんけど・・・」

そういうことか。住むからには家事全般をやる・・・と言いたいのだろう。

「使用人は雇っていない。昔はいたが、逃げ出してしまった。私の家族は・・・皆死んだ。」
「・・・そうなんですか。それは失礼なことを聞いてしまいました。どうもすみません。」

不気味な微笑を浮かべ、頭を下げる。
失礼なやつだとは思うが、それも水原の計算のうちかもしれない。

「構わない。部屋なら、空いているところを好きに使え。」
「・・・どうもありがとうございます。」

頭を下げたまま、水原は言う。

「ただし、屋敷の一番奥の部屋はダメだ。理由は教えん。」
「わかりました。」

素直なほど、裏ではきっとその部屋を覗くだろうと思う。
一番奥の部屋は、右京家に代々伝わる、呪いの詰まっている部屋なのだ。
普通の人間では、開けた扉の隙間から中を覗くだけで、呪いがかかり、死んでしまうだろう。
理由をあえて教えないのは・・・水原が私の言葉をおとなしく聞くかどうかのテストだ。

「・・・それでは、私は精神統一に戻らさせてもらう。もう夜も遅い。
 お前は学校があるのだから早く寝た方が良いだろう?」
「はい・・・そうさせてもらいます。」

水原は軽く会釈をして、屋敷の玄関の方へ向かっていった。

「・・・ふむ」

まったく、厄介なことになってしまった。
水原がいつか屋敷を訪れることがあるだろう・・・とは思っていた。しかしこんなに早いとは。
それにいったいどうやって、屋敷の場所を見つけたのだろうか。
住所録などには、一切記載がないこの屋敷。表向きの表札には、別人の苗字が貼られているはずなのに。
後をつけられていた・・・ということは無いだろう。それならば、私が気づかないはずがない。

「・・・本当に、水原月夜・・・お前は何者だ。」


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


それは、綱渡りだった。
一歩間違えれば、死が待っている、恐怖の綱渡り。
しかし、その綱渡りを・・・無事に渡りきったと思う。

「・・・危ないところでした。」

安堵のため息をついて、玄関で僕は靴を脱ぐ。

これは賭けだった。右京こまちが僕の想定内の行動を起こすことに、命を賭けた。
もし右京こまちが僕の価値を見出していなければ、それは僕と右京こまちの負け。
もし右京こまちが僕を恐れるあまりに、凶刃を振ってしまえば、それも負け。
右京こまちの冷静な判断、または、僕の適格な発言が狂ってしまえば、負け。
唯一、僕と右京こまちが勝つ方法は、僕の価値が右京こまちに認められること・・・。

右京こまちがこれを理解してくれたから、勝つことができた。
右京こまちには感謝しなければならない。

「これで・・・僕も少しは動くチャンスができました。」

2度、刀を突き付けられたときは、やはりこの賭けは失敗だったかと思った。
1度ぐらいなら、きっと刀を振るうことがあるかもしれない、と予想はしていたが・・・

「思ったより、右京こまちは感情のコントロールがうまくは無いようですね・・・。
 今回はうまく行きましたが・・・次・・・その次は・・・」

まだ、この綱渡りははじまりでしかない。
ここから本当の賭けがはじまるのだ。すべての流れを自分に引き寄せ、右京こまちのシナリオを超える。
夕波みつきと『烏丸家』の関係の全貌をつかみ、そのうえで、巨額の富を得る。
そうすれば・・・そうすればきっと、母親の手術費用も少しはどうにかなるだろう。

母親の体調は、ここ半年で急激に悪くなる一方だ。
今まで、偽物の心霊写真を作って売ってきたが、それで得た金ぐらいでは、
もう母親の入院費用と手術費用は賄うことができなくなりはじめていた。
最初は、なんとかなるだろう・・・と思ってきていたが、そうも言えなくなってきた。

だから、どうにかしてお金を得なければならなかった。
本当は普通に金儲けのために夕波みつきと『烏丸家』の関係を利用しようとしていただけだったのに・・・。
いつの間にか、こんなことに巻き込まれていた。

だが、もうここまで来てしまった。

やはり、歯車を止めることはできない。
うまく動かなければ、大事な母親さえ、救うことはできない。

「・・・本当に、めんどうな世界ですね。」

窓から見える月を見て、僕はそうつぶやいた。



続く