終わりの世界とグラサン少女




〜11〜



<<<



「ちっ、囲まれたか。」
「強行突破は難しそうですね。」

私と亀山弦一は、【都市中央機構棟】の正面まで来ていた。
ようやくたどり着いたかと思ったのもつかの間、突然【クィドル】たちに囲まれ、進路も退路も塞がれてしまった。
少なくとも、150体以上は居るだろうか。ここまで多くの【クィドル】を相手にするとなると、気を緩めるわけにはいかない。

「まぁ良い。さっきユニカから受け取ったこのコートを試す良い機会になりそうだ。」

私は背中に羽織っている紅いコートに軽く手を触れる。
私の先祖である紅天聖が使っていたというコート。少し触るだけでも、まるで紅天聖が息づいているかのような鼓動を感じる。
今の私なら、使いこなせるだろうと判断したのは、私自身の心境の変化があったからだった。
私の心を縛り付けていた鎖が1つ、水原が好きだという気持ちを吐き出したことで外れた。
・・・それまで、まったく自分の気持ちに気が付かなかったわけじゃあない。あえて無視していたと言うべきだろうか。
でも、水原や夕波みつき、烏丸祐一郎など、いろんな人と話すうちに、私はどうしてここにいるのかが解るようになったのだ。
呪いや悪霊に関する問題を解決しようと言う使命感ではない・・・。好きな人とともに戦いたいという心が、私を奮い立たせている。

「あまり不要な戦闘は回避した方が良いと思いますが・・・。」
「だったら、私がこいつらを相手している隙に【都市中央機構棟】に入れ。どちらにしろ、ここで誰かが殿を務めなければならない。
 お前より、私の方がそれに適しているだろう?」
「・・・わかりました。ですが、無理をしない程度に。」
「それはこっちの台詞だな。」

亀山弦一は、そうですね、と言いながら薄笑いを浮かべる。
腰から、【影桜】を抜く。【紫炎帯】を刀身から解き、懐にしまう。

「行くぞ。」
「・・・わかりました。いつでもどうぞ。」

私は【影桜】を構え、【都市中央機構棟】の入口への突破口を開こうと突撃する。
そのすぐ後ろを亀山弦一がついて来る。
【クィドル】たちは、黒いマントの内側に蠢いている無数の腕を器用に動かし、次々と魔法陣を形成していく。
見ただけでわかる。これから【クィドル】たちが放とうとしている呪いは、今までの私では対処できなかったであろうものだ。
・・・でも、今ならどんな呪いでも打ち破れる気がする。 

「・・・紅天聖、私に・・・力を!」

羽織っている紅いコートが、急に熱を帯び始める。
その熱は、私の身体の芯まであっという間に達し、全身を駆け巡る。

「うぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

胸の高鳴りが抑えきれず、私は叫び声を上げる。
気が付けば、右手に構えている【影桜】の刀身が燃え上がっている。
その【影桜】を・・・横一閃に振る。進路を塞いでいた【クィドル】たちが、たったの一撃で10体ほど焼失する。
そこに飛び込むように、亀山弦一は走る。あっという間に左右から【クィドル】たちが迫ってきたが、私がそれを阻止する。
また後ほど、という亀山弦一の言葉を聞き流し、私は【クィドル】たちとの戦いを始める・・・。



今まで感じたことも無いような膨大なエネルギーが、私に注がれている気がする。
次々と迫りくる【クィドル】を、斬り、焼き、消していく。
戦っているうちに、真っ黒だったはずの髪が、紅色に染まっていることに気が付く。
そればかりか、着ている和服までもが、紺色から紅色に変化している。

「はは、ははははははははは!」

楽しい。
ここまで戦いが楽しいと思ったことが、今まであっただろうか。
いつの間にか、私は高笑いをしている。

「もっと、もっとだ! もっと力を!」

【クィドル】を倒すたび、私の中で、何かが歓喜の叫び声を上げる。
誰だ、誰だお前は。紅天聖、お前なのか?

「覚醒しましたか。」

視界に【クィドル】以外の霊体の存在が飛び込んでくる。
その霊体が体中から放っている霊力は、【クィドル】の比にならないほど大きい。
だが、そんなことはどうでも良い。力さえ得られるのなら、誰でも良い。
立ちはだかる者は消す。消す。消す。

「おぉ、怖いですねぇ。あまり目覚めすぎると、本当に自我を失ってしまいますよ。」

何かが私に口を利いてくる。しかしそれに何の意味があるだろう?

「【クィドル】のような傀儡では、あなたの相手にならないことは最初から承知の上・・・。
 ですが、塵も積もれば山となる、とはよく言ったものですねぇ。
 これだけの霊体の力を得てしまえば、私のような【九神霊】と対等に渡り合えるだけの力を、あなたは得てしまうでしょう。」

うるさい。まずはこのうるさい奴から消してしまおう。
もはや常人では不可視の域に達するほどの素早さで、私はそのうるさい奴に接近する。
そして、下から掬い上げるように【影桜】で斬り上げる。刀身に纏わりつく炎が、刀の動きに少し遅れて弧を描く。
・・・しかし、そのうるさい奴は、あと少しと言うところで一歩後退して、私の攻撃を避ける。実に目障りだ。

「ですが、あなたには強大な力を得てもらわなければならない。それが進藤竜一の望みです。
 世界を救うためには、あなたの力が必要だ・・・と進藤竜一は言っていましたからね。」

私は斬撃の体勢から、突きの体勢に変える。
刀は本来突きには向かないが、炎を纏っている場合、突きは炎弾を放つ良い手段となる。
そうして、突きと、それから繰り出す炎弾で、攻撃を繰り返すが、いずれも器用に体を捻るだけで避けられてしまう。

「・・・もっとも、そんなこと、どうでも良いと思っていますけどねぇ。
 【はじまりの魔法】が誰の手に渡ったとしても、結局世界は変わらない。
 今は、進藤竜一の存在と行動がおもしろいから、付き合っているに過ぎません・・・。」

本当に、こいつはよくしゃべる。
余計なノイズは聴きたくない。私は、ただ力が欲しい。

「あぁ・・・完全に覚醒しましたか? もはや人間の領域などを軽く凌駕し、神に牙を剥こうとするほどに。
 出来れば、もう少し早めに覚醒してほしかったものです。大海なぎさに余計な事を吹き込む前に・・・。」

【影桜】を横に薙ぐ。
うるさいやつ、うるさいやつ、うるさいやつ。

「そろそろ時間ですね。進藤竜一も、きっと夕波みつきと接触している頃でしょう。
 あなたには、その時が来るまで、眠っていてもらいましょう。」

うるさいやつは、そう言って、私が見たことも無い魔法陣を両手で形成していく。

「・・・これで3人目。」

魔法陣から放たれた黒い矢が、私の左腕を貫く。
余裕で避けられると思っていた・・・。油断した。
腕に激痛が走る。腕の感覚が無くなっていく。

「あぁああああああああああああああ!」

まるで明かりのまったく無い暗闇に放り込まれた感覚に襲われていく。
視界がどす黒く染まっていく。



どこだここは。
何も見えない。何も感じない。
ミニョルフは・・・ミニョルフはどこに行った?
【クィドル】たちも・・・。

「こまちさん。起きてください、こまちさん。」

誰だ? 私を呼んでいるのは誰だ?
水原、お前なのか?

・・・



「こまちさん、しっかりしてください!」

視界が開ける。それと同時、【影桜】を・・・。
【影桜】が・・・無い。

「なっ・・・。ここは。」
「あぁ、ようやく起きてくれましたか。」
「烏丸祐一郎・・・。」

私は、知らないベッドの上に寝かされていた。
ベッドのすぐ傍に、私の顔を覗きこむ人間が2人。
1人は、烏丸祐一郎。そしてもう1人は・・・。

「それに、大海なぎさ・・・。」
「よかった。目を覚まして。」

大海なぎさは、朝に遭った時とはまるで別の表情を浮かべている。
敵意のようなものは感じられない。優しく微笑みかける大海なぎさの表情は、最初にあの雪山で出会った時と同じ表情だ。

「どうなっている・・・。ここはどこだ?」

ベッドから起き上がろうとするが、頭痛が響き渡り、途中で力なくベッドに倒れる。

「無暗に動いたらダメです。まだミニョルフがかけた呪いが残っていますから・・・。」

大海なぎさはそう言った。
呪い・・・そうか、私はまたミニョルフに負け、呪いをかけられたのか。
でも、どうして大海なぎさと烏丸祐一郎が一緒に?

「ここは【都市中央機構棟】の中にある牢獄です。私はみつきちゃんたちと逸れてしまったところに、
 国家国防省の兵たちから襲撃を受けて、ここに囚われの身となってしまいました。
 なぎさちゃんは、国家国防省に反逆して捕まり、私と同じく・・・。」
「そうか・・・ここは牢獄なのか。」

周囲を見渡すと、この部屋には簡素なベッドが2つと、使い古されたような机が1台あるぐらいで、他には何も見当たらない。
窓には鉄格子がはめ込まれている。鉄格子の間から差す日の光は、橙色に染まっている。

大海なぎさは、国家国防省を裏切り、捕まった。
それが真実であるかどうかは、本人の眼を見ればすぐに解った。

「脱出は、できないのか?」
「試してみましたが・・・少なくとも私たちの力ではダメです。物理衝撃も呪いによる破壊も。」
「打つ手・・・無しか。」

1つため息をつく。
ここに私と烏丸祐一郎がいる・・・。言い換えれば、水原たちを守れる者がいないということになる。
亀山弦一は、上手く合流できただろうか。完全な信頼こそ出来ない、怪しい人間だが、確かに頭だけは水原と同じぐらいキレる。
実際の戦闘力では私の足元に及ばないが・・・頼みの綱とすれば、亀山弦一だけしかいない。

「時が来るのを、待つしかないか。」

徐々に暗くなりはじめる空を、鉄格子越しに見ながら、私はそう呟いた。



>>



夕波ひより、確かに彼女はそう呼ばれた。
長い金髪に麦わら帽子とサングラス、白いワンピースをつけた女の子。
顔は、夕波みつきによく似ている。まさか・・・本当に・・・。

「時が来たのね。いずれこうなることは解っていたけれど。」

そう話す声も、夕波みつきに似ている。少し鋭い声であることを除けば。

「お・・・おい、何が一体どうなってんだよ・・・。」

隣で蒼谷ゆいが困惑した表情を浮かべている。僕が聞きたいぐらいだ。
さっきまでそこで血を流して倒れていた夕波みつきの姿は、無い。
代わりに、夕波みつきによく似た人間が、そこに立っている。どんなトリックを使えばそんなことができるのだろうか。

「さぁ、夕波ひより。【はじまりの魔法】を私に渡してほしい。
 これまで夕波みつきが背負ってきた残酷な運命を、これからは私が担う。」

進藤竜一はゆっくりとそう言った。
しかし、夕波ひよりは左右に首を振る。

「だめ。あなたじゃ出来ない。私の大切なみつきを助けるためにあなたが【はじまりの魔法】を肩代わりしたところで、みつきは何も変わらない。
 そんなことが可能なら、私がとっくに【はじまりの魔法】を背負って、死んでいるもの。」
「私は違う! 夕波みつきを残酷な運命から救い出して、世界を救うことができる!
 もし、このまま夕波みつきが【はじまりの魔法】を背負いつづけたら、本当に世界が・・・。」

悔しそうな表情を浮かべる進藤竜一。
それは、まるで愛する者を助けたいのに、助けられないようなもどかしさを見せている・・・。
進藤竜一は・・・夕波みつきのことが好きなのか?

夕波ひよりは、僕と蒼谷ゆいの間を通り、一歩一歩、進藤竜一に近づく。
背の高さはだいぶ違う。進藤竜一の背が僕と同じくらい高いこともあるが、夕波ひよりも夕波みつきと同じくらい低い。

「あなたの頑張りを、私はずっと見てきました。あなたが何者で、何をしようとしているのかも、すべて知っています。
 あなたは、見ているこっちが恥ずかしくなるほど、私の娘であるみつきを愛してくれています。」

夕波ひよりは、進藤竜一が右手に持っている銃に、優しく手を触れる。

「・・・でも、みつきは、最初から残酷な運命を背負わなければならない存在です。」
「そんなこと・・・私は認めたくない。」
「認めざるを得ないことぐらい・・・あなたなら解るでしょう?」

俯く進藤竜一。
2人がいったい何を話しているのかはわからない。
あまりにも持っている情報が不足しすぎている。
どうして夕波みつきが、死んだ母である夕波ひよりの姿になってしまったのか。
どうして進藤竜一が、そこまで夕波みつきに拘るのか。

「次元と時の法則・・・これがある限り、みつきを助けることは出来ないの。」

次元と時の法則・・・?
またしても、知らない言葉が飛び出してきた。
先ほどの【終わりの魔法】といい、完全に情報面で出遅れてしまっている。

「あなたが出来ることは1つ。このまま、【はじまりの魔法】をみつきから奪わないこと。
 たとえ奪おうとしても、次元と時の法則を破ることはできない・・・。最終的に、みつきも、人間も、世界も滅びるの。」
「私は世界を救う・・・。夕波みつきは殺した。あとは【はじまりの魔法】を得るために、あなたを倒すだけなんだ。」

進藤竜一は、銃に軽く触れている夕波ひよりを振りほどき、夕波ひよりに銃口を向ける。

「あなたは、そもそも本物の夕波ひよりじゃない。夕波みつきに秘められたもう1つの呪い、【終わりの魔法】だ。」
「・・・えぇ、そのとおりね。本当の私はもう死んでいるから。」

銃口を向けられてもなお、夕波ひよりは冷静を保っている。

「最初に私が【終わりの魔法】を作った時は、これで夕波みつきを救うことができる、そう思った。
 でも違った。私は判断を間違えた。【終わりの魔法】を使ったところで、運命を変えることはできなかった。
 だから、今度は【終わりの魔法】を壊す。壊して、【はじまりの魔法】を担って、世界を救う。」
「・・・あなたは狂ってる。」
「そう、狂っているのさ。たった1人の愛する人を救うためなら・・・”僕”は!」

引き金を引く進藤竜一。
急いで止めに入ろうとしたが、既に遅かった。
銃弾は夕波ひよりの頭を貫く。

しかし・・・。

「・・・無駄よ。」

平然と立ち続ける夕波ひよりを見て、僕と蒼谷ゆいは驚いた。
頭を貫通した銃創が、すぐに治っていく。まるでアメーバが高速で動くように、傷口周辺の皮膚組織が銃創を塞いでいく。
本物の夕波ひよりではない・・・【終わりの魔法】と呼ばれる呪い、進藤竜一はそう言った。
それは言い換えれば【終わりの魔法】という呪いが、夕波ひよりの姿となって現れていることになるのだろうか。

「私は人間じゃないわ。ただの呪い。」
「くそっ・・・くそっ!」

次々と銃弾を撃ち込む進藤竜一。
それらをすべて、まるで後ろに居る僕たちを守るかのように身体で受け止め、即座に傷を再生していく夕波ひより。
弾が切れたのか、カチンカチンと虚しく進藤竜一の引き金が音を鳴らす。
すると今度は、懐からナイフを取り出し、夕波ひよりに斬りかかる。

「何故、余計な抵抗をするの?」

肩から腰にかけて斬られた夕波ひよりだが、先ほどと同じように、すぐに傷口が塞がっていく。
どんな攻撃も無駄なのかもしれない・・・。今の進藤竜一は、霧に向かって攻撃しているようなものだろうか。

「ははっ・・・そんなこと、私自身にもわからないさ。解っているはずなのに、それでも足掻こうとする。
 いったい、人間の思考とはどうなっているんだろうね・・・。」

息を荒げる進藤竜一は、攻撃の手を止め、そう言った。

「まぁ【終わりの魔法】を打ち破る方法は、もうわかっているんだ。良いさ・・・ははは、どんな手を使ってでも、世界を救うんだ。」



バキューン!



その時、部屋に1発の銃声が聞こえた。
進藤竜一・・・では無い。部屋の外から聞こえた。
咄嗟に、扉の方を見る。閉められていたはずの扉が、開いていた。

「ようやく来たか・・・。」

進藤竜一はそう呟いた。

扉から、1人の人間が入ってくる。
黒いコートを着た、長身の男。亀山弦一だ。

「見つけましたよ、進藤竜一。」
「やぁ、待っていたよ。」

少し冷静さを取り戻したのか、進藤竜一は落ち着いて亀山弦一のことを見据えながら答えた。
夕波ひよりは、亀山弦一を見るや否や、進藤竜一の元を離れ、亀山弦一の隣に駆け寄った。

「ひよりさん、とりあえずお疲れ様です。一先ず、蒼谷君を連れて、ここを出てください。
 蒼谷君、大海なぎささんの居場所がわかりました。この建物の30階です。」
「なにっ!?」

蒼谷ゆいは、その言葉に驚きの声を上げた。

「私と水原君は残りますので、2人は先に行っててください。」
「おぅ、わかった!」

勝手に話が勧められていき、口を挟む間もないまま、蒼谷ゆいは夕波ひよりとともに部屋を出て行ってしまった。
部屋には、僕と亀山弦一、そして進藤竜一だけになってしまった。



「・・・あなたは、この3人で話がしたかったんでしょう?」

亀山弦一が、進藤竜一に向かって、そう言い放った。

「次元と時の法則に縛られていることを理解していながら、あなたはあえて、夕波ひより・・・”僕”の作った【終わりの魔法】を逃がした。
 結局、あなたも運命を変えようと、僕と同じように足掻いているのでは無いでしょうか? 違いますか?」
「・・・違わないな、その通りだよ。」
「あなたは何者なんですか? あなたは何をしようとしているんですか?」

それは、むしろ僕が2人に言いたい台詞だろう。
亀山弦一も進藤竜一も、僕よりさらに高い次元で話しているようにしか思えない。
【終わりの魔法】、次元と時の法則・・・。いったい何がこの状況を生み出しているのか・・・。
その根本を知っているのは、この2人だけなのかもしれない。

「いずれわかるさ。」

進藤竜一は、見覚えのある不気味な微笑を浮かべる。



そして、太陽が沈んだ。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「な、なぁ、ほんとにあんたは夕波みつきの母親なのか?」

俺は、恐る恐る、前を走る謎の女性に、そう声をかける。

「・・・そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるわ。」
「いったい、何が、どうなってるんだか、俺に解りやすく教えてくれよ。」
「私は、元々、あなたの言うとおり夕波みつきの母、夕波ひよりだった。」

俺たちは、エレベーターに飛び乗り、30階のボタンを押し、すぐに扉を閉める。
エレベーターのボタンの前に佇む、夕波ひよりは、夕波みつきとは違って、どこか人間らしくない冷たい印象を受ける。

「知っているとは思うけど・・・私はみつきを出産すると同時に息絶えた。
 身体が弱かったから、出産に耐えられるかどうか、5割の勝負だったわ・・・。そしてその勝負に負けたの。」
「じゃ・・・じゃあ、あんたは何者なんだよ。烏丸公爵と同じ、幽霊ってやつか?」

烏丸公爵と出会うまでは、幽霊なんてまったく信じていなかった。
でも、歴史の教科書に載っている人物とまったく同じ人が、俺の目の前に現れたのだから、俺はもう幽霊の存在を疑えなくなっている。
とは言っても・・・この女性を幽霊と思うにはどこか胡散臭い。何か、まったく別の存在のような気がする。

「幽霊・・・とは少し違う。進藤竜一も言っていたけど、私は【終わりの魔法】という呪いなの。」

エレベーターが止まる。30階に着いたのかと思ったが、なんだか様子がおかしい。
どこの階にいるのかを示す電光板が32階を示している・・・誰か乗るのか?
身構えて、扉が開くのを待つ。少しずつ、扉が開く・・・が、誰も見当たらない。
扉から少し身を乗り出して外の様子を伺っても、誰も居ない。ただのいたずらだろうか・・・。

「エレベーターを降りましょう。おそらく、このエレベーターは完全に使えなくなったわ。」

そういえば話に聞いたことがある。
緊急事態が発生したときは、自動的にエレベーターが一番近くの階に止まる、ということを。
誰かが遠隔で操作しているのだろうか。

俺と夕波ひよりは、エレベーターを降りる。
ここは32階だ。目的地である30階までは、別ルートで向かわなければならない・・・。
階段は必ずどこかにあるはず、と夕波みつきが言ったため、俺たちは階段を探し始めた。
幸い、エメラルド色に光る、見慣れた非常口の案内板がすぐに見つかった。

「・・・さっきの話の続きだけどさ。【終わりの魔法】・・・って言ったか? 呪いってどういうことだよ。」

走りながら、尋ねる。

「私は、亀山弦一さんに作られた、【はじまりの魔法】を抑えつけるための呪いなの。【はじまりの魔法】についてはもう知ってるはず。」
「まぁ・・・詳しくは知らねーけど、なんか人間を滅ぼしちゃうような呪いなんだろ?」
「正確には、人間を狂わせる呪い。誰かを守るためなら、命を投げ出しても構わない、そう思わせてしまう呪い。」

誰かを守るためなら、命を投げ出しても構わない呪い・・・?

「どう思う? あなたは人のために、自分の命を捧げられるかしら?」
「そ、そんなのわかんねーよ・・・。そりゃ、すっげぇ守りたい人がいて、その人がピンチだっていうなら・・・。」

なぎさの顔が頭に浮かぶ。
なぎさがピンチの時、俺は命を投げ出しても、なぎさを守ろうとするだろうか。

「実際、人を守ろうとすることは、良い事だと思われているわ。でも、その考え方は一歩間違えれば、争いに発展する。
 誰もが、誰かを守るために、戦い、命を奪い合う。自分の命を顧みない人間がこの世を覆いつくしたら・・・どうなるかしら。」

バカな俺でもわかる。それは地獄だ。

「【はじまりの魔法】は、それ自体が物質を消滅させる力を持っているけれど・・・でもそれは二次的な効果でしかないわ。
 本来は、自分の命を軽視させてしまうような錯覚を持たせる呪い・・・それが【はじまりの魔法】。
 そして、あなたや水原月夜君は、その【はじまりの魔法】の影響を受けてしまっているわ。実感、ある?」

無いわけじゃない。
なぎさとの連絡が取れなくなってから、俺はいろんなところを走り回った。
空腹も考えず、体力の続く限り・・・。最終的に水原たちに会うことが無かったら、途中でぶっ倒れていた。
・・・いや、水原たちに会った直後も倒れたのだが・・・。

「その様子だと、あるようね。」
「・・・そうだな。」

非常階段を見つける。
やや薄暗く、足元に注意しないと転ぶ危険がある。

「あのさ、亀山弦一さんって何者なんだ? 【終わりの魔法】を・・・あなたを作ったんだろ?」
「・・・ごめんなさい、それについては私から答えることができないの。」
「口止めされてんのか? なんでだよ。」
「ごめんなさい。」

間もなく、30階に到着した。
ここまで誰も他の人に遭遇していない。
ここが敵の本拠地なら、武装した人間が居てもおかしくないはずなのに。

「さぁ、探しましょう。どこかに居るはず。」

夕波ひよりのその言葉に、俺は改めて気合いを入れなおす。
相変わらず、全体の状況はさっぱりわからない。
夕波ひよりが呪いであるとか、亀山弦一や進藤竜一が何者であるかとか。
でも、俺にできることは確かにある。今はなぎさを探そう。本来の目的を達成しよう。
難しい問題は、水原とかに任せておけば、そのうち解決するはずだ。あの雪山での事件もそうだった。



俺には、俺の、役割を果たすだけだ。



続く