終わりの世界とグラサン少女




終わりの世界とグラサン少女(下)



〜10〜



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「くそっ・・・くそっ、くそっ!」



病院の裏側にある、ひっそりとした林で、俺は木に拳を何度も打ち付けた。
木はびくりとも動かない。手に激痛が走るだけだ。
それでも、俺は拳打を止めようとはしない。
こんな痛みより、何十倍も、何百倍も、ひよりは苦しんでいる。
そう思うたび、俺は自分の無力さを呪うようにここに来て、身体を痛めつけている。

「やれやれ、またやってるのか、てめぇは。あんまり感心とは言えないな。」

院内で有名な患者と言われている、榊さんという50代後半の男が、俺の情けない姿を見つけて、そう言った。
すっかりハゲてしまっている頭、いつも何かを企んでいるような眼を持っている、怪しげな男だ。
ここでは禁止されているはずの煙草を口に加えて、ニヤニヤしている。

「あなたですか・・・。俺に関わらないでください。」
「ったく、あんなかわいい嫁さんを悲しませるようなことをするなんて、罪な野郎だなぁ。」
「あなたに何がわかるんですか?」

やれやれと言ったように首を振る榊さん。

「事情は知らねーなぁ。ただよ、虚しいと思わねぇか? てめぇは至って健康だ。その拳を除けば。
 一方、てめぇの大切な嫁さんは、表面では元気を繕っているが、裏じゃ常に痛みに苦しんでいやがる。
 この前も、ちょっとちょっかいでも出して元気づけてやろうと病室に入ったら、どうだ、
 嫁さんはベッドから転げ落ちていた。」

飄々と話すその口をすぐにでも塞ぎたくなる。
だが、相手は不良とはいえ患者だ、詳細は知らないが、かなり重い病気を患っているらしい。
殴ってそのまま死なれたら、それこそ困る。

「あん時、俺がナースのねぇちゃんを呼ばなかったら、危なかったんだぜ。」
「・・・その件に関しては、先日、しっかりお礼を述べさせてもらいました。」
「んなこと解ってんだ。そうじゃねぇ、俺が言いたいのは、そうやって木に己をぶつけても、他人の痛みは代わってやれねぇってことさ。
 てめぇの嫁さんがどんな病気なのかは興味もねぇが、てめぇがどんな”病気”なのかは手に取るように解んだよ。」

榊さんのその言葉に、何も言い返せなくなる。

「”捻じ曲がった愛”、てめぇの病気はそれだ。それも重症だぜ? いいか、俺は頭が悪いうえに、恋愛経験なんて皆無だがな。
 そんなバカな俺でも解る。てめぇのやるべきことは、ここで泣くことじゃねぇ。」
「・・・俺は、ひよりを守りたい。ただ・・・何をすべきかわからない。」
「せめて傍に居てやれよ。それが守るってもんだろ。」

榊さんは、そう言いながら左足を上げて、俺の腰を軽く横から蹴ってきた。
拳の傷の痛みに比べたら、病人の蹴りなど、痛くも無いけれど。

「今のは、俺なりの気合いの投入だからな。あんま病人に苦労させんじゃねぇよ。」

煙草を吸いながら、病人に苦労だのなんだのと言われても、ほとんど説得力は無いと思う。
しかし、それをあえて言う必要は無いだろう。本人もわかっているはずだから。

「・・・はい。すみません。」
「そしたら行ってこい。もうここに戻ってくるんじゃねぇぞ。ここは元々、俺専用の喫煙スペースだからな。俺の楽園だ。」

縄張りであることを強調してくる榊さんに一瞥し、俺はひよりの病室へ向かう。



ひよりの妊娠が発覚してから、ひよりの体調は悪くなる一方だった。
もちろん、それをひよりは表には出さない。気が強く、負けず嫌いのひよりにとって、それは当然であるがごとく。
でも・・・知っている。担当の医師から聞かされた。俺たちの子どもが、ひよりのお腹の中ですくすくと成長すればするほど、
ひよりが衰弱しているということを・・・。

現在、妊娠9か月だっただろうか。
医師は出産の成功率は50%と言っていた。
このままひよりが死んでしまうのではないか、そういう不安が頭をよぎる。
その考えを拭い去ろうと、首を左右に振る。大丈夫・・・。大丈夫だ、きっとひよりなら・・・。



1週間後、病院に来ると、院内が騒がしかった。
何があったのか、近くを通りかかった女医さんに聞いてみると、榊さんが亡くなったらしい。
病院の裏の林で倒れているのを、掃除のおばさんが発見したそうだ。
俺は、もしかしてあの時、煙草を辞めさせるべきだったのだろうか。いや、既に手遅れだったかもしれない。
・・・ただ、傍に居てやれ、という言葉をかけてくれただけでも、感謝しなければならないだろう。

榊さんが居た病室の前を通りかかった時、病室の中で泣き崩れている、50代ぐらいのおばさんを見つけた。
隣で医師が、おばさんの肩を優しく持っている。おばさんは、何度も榊さんの名前を呼んでいる。
・・・なんだ、榊さん結婚してたんじゃないか。嘘つきだなぁ。

なぁ榊さん、あんた楽園で死んだんだよな。奥さん残して先に死んだんだよな。
それで幸せなのか・・・? どうなんだよ。
俺はあんたの言葉を信用していいのか?



「ひよりっ!」

ひよりの病室に入り、すぐにひよりの寝ているベッドに駆け寄る。

「あら、まことさん。写真の掲載をお願いしてくる用事はもう済んだの?」
「そんなことはすぐに済ませてきたさ。ひよりの体調と、これから生まれてくる大切な娘のことを考えたら当然だろう?」

俺が抱えている不安を、ひよりに悟られてはいけないと、笑顔を見せる。
もしかしたら、この笑顔の真意も既に理解しているかもしれないけれど・・・。
でも今の俺ができることは、これぐらいしかない。

・・・大袈裟かもしれないが、榊さんは、俺を目覚めさせるために、わざわざ会いに来てくれていたのではないだろうか。
俺が林にいると、いつも突然後ろから榊さんが現れて、何かと俺に話しかけてきていた。
かといって、榊さんが林に入り浸っているわけでは無い。
ナースステーションで、新米のナースさんにちょっかいを出しているところも見かけた。
ロビーで休憩中の妊婦さんに、ナンパしているところも見かけた。
でも、決まって林に行くと会うのだ。もしかしたら・・・今から行ったらまた会えるんじゃないかという錯覚さえ覚えるほどに。

「ん? どうしたの? ぼーっとしちゃって。」
「あ・・・あぁ、なんでもないよ。ちょっと花瓶の水を取り替えてくるよ。」
「うん、お願い。」

帰るときには、また林に寄っていこうかな。俺は、なんとなくそう思った。



>>



目が覚めた時、私は、異変に気付いた。
身体の中・・・いや、頭の中で、何かが絶えず蠢いているものがあることに。
髪をかきむしりたくなる衝動に駆られた私は、急いでナースコールのボタンを押して、やってきた医師に症状を告げた。

お腹のなかの子に影響を及ぼさない範囲で検査をした。
・・・しかし、特に異常は見当たらない、との結果を受け、私はこのもどかしさがたまらなくなった。

最近、不思議な夢を見るけれど、もしかしたらそれが異変の原因だろうか?
私によく似た女の子が、大きな道の真ん中で泣きながら助けを求めている夢。
傍を歩く人たちは、まるでそこに泣いている女の子なんて居ないように、さっさと無視して通り過ぎてしまう。
私は耐え切れず、その女の子に声をかける。大丈夫だから、泣かないで、大丈夫だから、と声をかける。
すると女の子は泣き止んで、私を見る。あなたは誰? と目で訴えかけてくる。

【あなたは私の大切な人、私はあなたの大切な人。あなたは私で、私はあなたなの。】

どうしてそんなセリフが出てくるのか、一切わからないが、私はそれを口にする。

そこで、目が覚める。
不思議じゃ無い夢があるのか、と言われてみれば、夢なんて不思議で成り立っているものだから仕方ないけれど。
でも、引っ掛かりを感じる。明らかに普通の夢じゃ無い。だって、その夢を毎日、もう1週間も続けて繰り返しているのだから。
おまけに、2日前の夢からは、私が女の子役だったのだ。道路の真ん中で泣いている私を、私によく似た女性が慰めてくれる。
【あなたは私の大切な人、私はあなたの大切な人。あなたは私で、私はあなたなの。】
私によく似た女性は、そう言ってくる。



そろそろ出産予定日が近い。
医師は、私の頭の異常を考え、出産予定日を変更してはどうだろうかという提案をしてきたが、
いつに変えても同じです、と返答し、結局当初の予定通り、出産を行うことになった。

夕波美月、私の娘は、もうそろそろこの世に現れる。
私はいっぱい愛し、いっぱい可愛がるつもりだ。
そして、一緒に海にも行きたい、山にも行きたい。まことさんには、たくさん美月の写真を撮ってもらいたい。
駆け落ちしてここまで来てしまった私たちにとって、家族は私たち3人だけだから・・・。

・・・ベッドに備え付けられているテーブルの上に、手紙と封筒が置いてある。
いろいろ考えた挙句、私は万が一のことを思って用意した。万が一・・・そう、万が一だ。
もう手紙は書き終わっている。あとはこの病室に備え付けられている、小さなタンスに、封筒に入れてしまうだけ。
それだけなのに、なぜかベッドから起き上がる気にならない。ここまでしておいて、最後の最後で躊躇ってしまう。

「ごめんね、美月。こんなお母さんで。」

お腹の中にいる美月に優しく声をかけ、そして自分を鼓舞する。
決めたならやり通す。まことさんと駆け落ちするとき、それを自分自身のルールとした。
どうにかベッドから立ち上がり、ゆっくりタンスに手紙を入れた封筒をしまう。
これで良いはず。あとは運命に身を委ねることしか、私にはできない。

壁にかけられた時計を見ると、既に夜も遅いことに気が付く。
ゆっくり寝よう。十分に体を休めないと、お腹の中にいる美月にも悪い。



その日の夜に見た夢は、それまで続いた不思議な夢とは違っていた。
私は、まことと初めて出会ったあの海のビーチに立っていた。
まことの姿は見当たらない。その代り、私の目の前に、見知らぬ男が海を眺めて立っている。
ちょうど夕暮れ時のため、海のかなたに沈みゆく太陽が視界に映る。
眩しい。サングラスと麦わら帽子を着けている私は、それでも眩しく輝く太陽を直視することを躊躇った。

見知らぬ男が、夕陽を見ながら、突然何かを言いはじめる。
しかし、波の音にかき消され、いったい何を言っているのか、よく聞き取れない。
途切れ途切れに聞こえるが、ようやく【終わりの魔法】という言葉が解ったぐらい。
【終わりの魔法】・・・?

男は、さっと振り返り、私を見た。
背がまことさんより高く、銀色の縁のメガネをかけた、冷たい目を持つ男の人。
不気味な微笑を浮かべて、口を開いた。

「これから起きることが、世界の真実。そして君の真実。
 僕は【はじまりの魔法】に対抗すべく、この【終わりの魔法】を君に埋め込まなければならない。
 そうしなければ、世界は滅びる。世界を救うための唯一の手段なんだ。」

訳の分からない言葉をいきなり並べ立てられて、私は困惑し、後ずさる。
男は一歩、また一歩と私に近づいてくる。いや・・・来ないで・・・。
不気味な微笑が、私の不安を掻き立てる。この男は危険だ・・・私の第六感のようなものが警鐘を鳴らしている。

逃げるように私は走り出した。
しかし、どう動いたのか、男はまるで最初からそこに居たかのように、私の前に立ちはだかる。
「逃がしはしない。」と訴えんばかりの眼で、男は私を見つめる。

男は両手を、私に向けてかざす。
何をするつもりなのだろうか、と身構えた私は、その直後、全身を引き裂かれるような激痛に襲われた。
両手から光の玉のようなものを生み出したかと思うと、それを男は私に放ってきたのだ。
私は、その光の玉が放つすさまじい量の光を浴び、苦しみ、身を悶えた。
意識が朦朧とする中、男は確かこう言った気がする。

「【終わりの魔法】は、【はじまりの魔法】と混ざり合う。こうしておくことで、君は【はじまりの魔法】の脅威から守られる。
 それじゃあ・・・僕は行くとしよう。この姿で君と再び、直接会うのは、あとしばらく先になりそうだね。楽しみにしているよ。」

そこで私は目を覚ます。
いつもと変わらない、病室。まだ暗いから、そこまで眠り始めてから時間が経っていないかもしれない。
額に汗をかいている。昨日までの不思議な夢より、よっぽど性質が悪い。
あの男は誰なのか、わからない。顔を思い出そうとしても、メガネと不気味な微笑しか覚えていない。
ただ、言われた言葉だけは正確に覚えている。まるでテレビゲームに出てきそうな言葉ばかりが並んでいた。

寝るのが少し怖くなる。
これまで1週間、立て続けに同じような夢を見てきた以上、この怖い夢をまた見るのではないかという恐怖に襲われる。
しかし、人間の生理現象は恐怖をも凌駕するのかもしれない。いつしか私は再び眠りについていた。
幸いなことに、その怖い夢も、それまで1週間見続けてきた不思議な夢も、その日を境にまったく見なくなった・・・。



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「お会いできる日を楽しみにしていました。夕波みつきさん。」

この都市の長が、私にそう言ってくる。
私の隣にいる水原に勝るとも劣らない気味の悪い微笑を浮かべている、この男、進藤竜一。

「わざわざ出向いてきて下さるとは。本来であれば、こちらからご挨拶すべきでした。」
「おい、てめぇ、なぎさを返せよ!」

至って丁寧に話す進藤竜一に対し、蒼谷はもう喧嘩腰になっていた。

「・・・まぁ、そう焦らずともお返ししますよ。交換条件、ですが。」
「んだと?」

交換条件・・・。なぎさを取り戻すために、いったい何を要求してくるのか。
いや、もう私はその答えを知っている。進藤竜一は、私を殺そうとしているのだから・・・。

「蒼谷先輩、少し落ち着いてください。」

水原が蒼谷を止めに入る。
「くそっ」と悪態をついた蒼谷だったが、殴りかかっても敵わない相手と見たのか、水原に発言権を譲る。

「・・・進藤竜一さん、あなたの条件と言うのは、夕波みつきを渡せ、ということですか?」
「さすがだよ。やはり話が早いね、水原君は。」

私を犠牲に、なぎさを引き渡す。あまりにも残酷な交換条件だと、私は客観的にそう思う。

「・・・ならば、その条件は飲み込むことができません。あなたは夕波みつきを殺そうとしている。
 そんな人に引き渡すほど、僕は馬鹿じゃありません。」
「想定通りの御返事、ありがとう。でも、この条件を飲んでくれないと、君たちの状況は悪化する一方だよ。」

そう言って、進藤竜一は腰から銃を取り出し、銃口を私たちの方に向ける。

「なるべく穏便に済ませたい。そのためには君たちの協力が必要不可欠だ。」
「それは僕たちも同じです。・・・ですが、あなたの目的がわからなければ、協力しようにも、できません。」
「前に伝えたはずだよ。私は夕波みつきを殺して、世界を救う。【はじまりの魔法】を喰らって、世界を救う。」

一切、不気味な微笑を崩さない進藤竜一は、そう言った。

「【はじまりの魔法】は、このままでは人間を滅ぼす。一人残らず、呪い尽くす。私は、それを止めなければならない。」
「何も・・・止める方法が、他に無いわけじゃないはずです。僕は【はじまりの魔法】を作った【九神霊】こそ、
 唯一【はじまりの魔法】をどうにかできるんじゃないか、そう思っています。あなたは、違うんですか?」

水原は一歩も心理的に退こうとしない。
銃口を向けられてなお、毅然としている。

「・・・もう、やったさ。知ってるだろう? 私が【魔神ミニョルフ】と手を組んでいることは。
 それでも【はじまりの魔法】をどうにかすることはできないのさ。もはや呪いの生みの親でさえ、コントロールできなくなっている。
 あとは、私がやるしかない。唯一、滅びゆく世界を救うことができる力を持った私が。」

唯一・・・?
呪いを作った神でさえ、もうどうにもできないのに、この人はどうにかできるというのだろうか。
恐る恐る、私は口を開ける。

「あなたは・・・本当に一体何者なんですか?」
「世界の真実を、知ってる者です。」

狂っている。似たような不気味な微笑を浮かべる水原の方が、まだ人間らしい。

「さぁ、こちらに渡してください。そうすれば、なぎささんをお返ししましょう。」
「先に聞くけどよ・・・俺のなぎさはどこにいる?」
「慌てなくても、お渡ししていただければ、お教えしましょう。」

そう言われた蒼谷は、私の方を見る。
なぎさのこととなれば、後先考えずに行動するのが蒼谷だ。
・・・不安が頭をよぎる。

「・・・わかった。」
「なっ、蒼谷先輩!」

意を決したかのように言い放った蒼谷の肩を、水原は掴む。
珍しく、水原は言葉を荒げて取り乱す。

「正気ですか!?」
「・・・ごめん、夕波。でも俺は、なぎさに会えないまま、ここで死にたくない。」

その蒼谷の言葉に、軽く拍手をする進藤竜一。

「賢明な判断です。さぁ、こちらに。」
「僕は認めない!」

進藤竜一は、引き金に指をかけ、水原に銃口を向けなおす。

「この状況でも、君はまだ暗闇の中を模索し続けるのかい? 無駄だよ。【はじまりの魔法】は人間を滅ぼす。
 そうすれば、君も私も、もちろん夕波みつきさんも地獄を見る。」
「僕は・・・僕は、地獄を見せたりはしない。守るって決めたんだ。」
「やれやれ・・・子どもに何を言っても無駄か。」

ほとんど同年代にしか見えないのに、進藤竜一はそう言い放つ。

「強引な手を使いたくは無いのだけど、仕方ないね。」

進藤竜一は、そう言いながら空いている方の手を、背後の机に伸ばす。
1冊の本に触れたかと思うと、天井が青白く輝き始める。

「な、なんだ・・・?」
「・・・これは・・・。」

天井に幾何学的な模様が現れ、それと同時に、呻き声が上がる。
私の前に立つ水原と蒼谷が、苦痛の表情を浮かべ、その場に座り込んでしまっている。
いったい、何が起きてるの、と進藤竜一に尋ねる。

「なぁに、簡単な呪いですよ。この呪いは、【はじまりの魔法の欠片】の所持者に反応して、所持者の動きを奪うものです。」
「【はじまりの魔法の欠片】・・・?」
「あなたの身体の中に秘められている【はじまりの魔法】は、傍にいる者に感染していきます。
 家族、兄妹、友人・・・大切な人はどんどん【はじまりの魔法】に犯されていき、やがて体内に【はじまりの魔法の欠片】を宿します。
 あなたは既に気が付いているはずです。大切な人から、少しずつ失っていることに。」

そう言われて、私はドキリとする。
お母さんは、私を産むと同時に亡くなった。お父さんは、私が子どものときに交通事故で亡くなった。
はじめて出来た彼氏の八条はじめも、火事で死んでいる。公爵だって、元々出会ったときは幽霊だったとはいえ、私から去ってしまった。
公爵の場合、今は再会できているけれど・・・。それでも、進藤竜一が言っていることに、心当たりはある。

「【はじまりの魔法の欠片】は、その人の身を滅ぼします。そして、そこで蹲っている水原君も蒼谷君も、
 もう既に【はじまりの魔法の欠片】をその身に宿してしまっているんです。このままでは彼らも、そう長くは無いでしょう。」

水原と、蒼谷が、もう長くない・・・。
そんなことがあるはずない・・・。

「彼らを、助けたい、そう思いませんか?」

助けたくないわけがない。私にとって、水原も蒼谷も、大切な人だから。
数少ない友人・・・。それに、私は水原のことが好きだから・・・。

「・・・どうすれば、助けられるの?」
「だ、ダメです。耳を貸したら・・・ダメです・・・。」

水原は苦しそうな表情を浮かべながらも、なんとかそれを口にした。

「私が、あなたの背負っている【はじまりの魔法】を受け継ぎましょう。私は【はじまりの魔法】に対処することができる唯一の人間です。
 私なら、【はじまりの魔法】の拡大を止め、彼らを救うことができます。・・・そのためには、あなたには死んでもらわなければならないのです。
 【はじまりの魔法】本体は、所持者が死ぬことではじめて他の人の身体に移ります。」

・・・そうか、だから烏丸家は、完全断絶しなかったのかもしれない。
烏丸家の人間全員が、一度に【はじまりの魔法】・・・いや【烏丸家の呪い】にかかれば、呪いを受け継ぐ人が居なくなってしまう。
きっと、呪いを作った【九神霊】の長・・・確か、ディオリス・・・は、それを危惧して、呪いに工夫をしたのだと思う。

「私が死んだら、2人を救うことができるの? なぎさを返してもらえるの?」
「はい。」

ただ一言、進藤竜一は、憐みを含んだような微笑を浮かべて答えた。
水原は苦しそうな顔で私を見上げながら、何度も私を説得しようとする。

「いけ・・・ない。そんなことは・・・。」

でも・・・これ以上、苦しんでいるところを見たくない。
・・・お父さんやお母さんのところに行けるなら、水原たちを救うことができるなら・・・私は。

「わかりました。」



怖い。
進藤竜一は、何も言わず、銃を持ち直して、私に銃口を向ける。
怖いよ。
ありがとうございます、と笑う進藤竜一。
誰か・・・。
床でまったく動けなくなってしまっている、涙を流しながら苦しそうな表情を浮かべている水原と蒼谷。
誰か、助けて・・・。



「残酷な運命は、あとは私が背負いましょう。あなたは安心してお休みください。」

無情にも、引き金は引かれて。



最期に聞いたのは、銃声と、水原の叫び声だった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



部屋に銃声が響いた。僕は、今まで上げたことも無いような叫び声をあげた。
悪夢だ・・・。そんなはずがない・・・。何かの間違いだ・・・。

目の前で、夕波みつきが、銃で右胸を撃たれ、倒れた。

大量の赤が、夕波みつきの胸から出た。
間違いなく致死量に匹敵するだけの・・・赤。

気が付くと、呪いが解けていたのか、全身を駆け巡っていた激痛が消えていた。
僕はゆっくりと立ち上がり、倒れている夕波みつきに近寄った。

誰が見てもわかる。死んでいる。床に大量の赤が流れ出している。
こんな、こんなバカなことがあって、こんな・・・。

「嘘だろ・・・おい・・・夕波・・・」

僕の隣に、蒼谷ゆいが呟きながらそろそろと近づいてきた。
涙を流している。僕もそれを見て、ようやく僕自身も泣いていることに気が付いた。
進藤竜一の方を見る。進藤竜一は、笑っている。涙を流しながら笑っている。

「あとは、【終わりの魔法】を解除して【はじまりの魔法】を・・・」

そう言いながら一歩ずつ、進藤竜一はこちらに近づいてくる。
死んでいる夕波みつきを庇うように、僕と蒼谷ゆいは、進藤竜一に立ちはだかる。

「君たち、そこをどいてくれ。」
「ふざけんな・・・。ざっけんなぁ!」

泣き叫びながら、蒼谷ゆいは進藤竜一に殴りかかった。
蒼谷ゆいの右ストレートは、進藤竜一の身体を”突き抜けた”。
その異様な光景に、蒼谷ゆいは驚きの声を上げる。

「なっ、なんだよこれ!?」

まるで、僕がヴァンネルにナイフで攻撃されたときと同じ・・・。
まさか・・・進藤竜一も【はじまりの魔法】を・・・でも、どうして・・・。

「早く引き抜いてっ!」

思わず蒼谷ゆいに向かって叫ぶ。
蒼谷ゆいは慌てて腕を、進藤竜一の身体から抜くと、着ていた服の袖が、まるで融けたように無くなっていた。
幸いなことに、腕までは大丈夫らしい。

「て、てめぇ・・・。」

数歩後ずさる蒼谷ゆい。

「さぁ、夕波みつきをこちらに。」

相手も【はじまりの魔法】を抱えているのだとすれば、迂闊に手出しができない。
どこまで【はじまりの魔法】を使いこなせているのかわからないが、少なくとも僕よりは上に違いない。
どうすべきだ・・・。いったい、どうすれば・・・。



その時、僕は背後で、人が動く気配を感じた。



この部屋の扉は、僕たちが入った時に完全に閉められたはず・・・。
いったい誰だ、そういう疑問が頭をよぎる。

すぐ前まで迫っていた進藤竜一は、その歩を止めた。

そして、何故か、安堵したような表情を浮かべている。
いったいどうしたと言うのだろうか・・・。

「ようやく出てきましたね。【はじまりの魔法】を制御、封印している呪い・・・【終わりの魔法】。」

【終わりの魔法】・・・?
【はじまりの魔法】を制御、封印している呪い・・・?
一体何を急に言い出すんだろうか。

「私を目覚めさせたのは・・・あなたね?」

背後で、そんなかわいらしい声が聞こえた。
夕波みつきの声・・・とは少し違う。ほとんど同じに近いが、夕波みつきより、少し鋭い。

意を決して、振り返る。
進藤竜一の仕掛けた罠ではないかと思って、振り返るのを躊躇っていたが、どうやらそうではなかった。

そこには、夕波みつきによく似た、しかし、金色の長い髪に麦わら帽子、白いワンピースにグラサンをつけた女の子が居た。

「そうです。私の名前は進藤竜一です。【はじまりの魔法】を喰らうためにあなたを呼びました。
 【終わりの魔法】・・・いえ、こうお呼びした方が良いでしょうか。夕波みつきの母、夕波ひよりさん、と。」



夕波ひより、確かに進藤竜一は、そう言った。



続く