終わりの世界とグラサン少女




〜7〜



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この街の中で、1つの仕掛けが動き始めたのを感じ、僕はほっと安心した。
それに気づいたのは、目の前の机の上に並べられたトランプが1枚、独りでに裏返ったからだった。
裏返ったカードはスペードの10。マークは方角を示し、数字はここから・・・【都市中央機構棟】の距離を示している。
スペードの10が裏返る30分ほど前には、既にスペードのキングが裏返っていた。
スペードのキングは、この都市の唯一の出入り口を意味していて、それが裏返ったということは、そこに何らかの問題が起きたということになる。
・・・すなわち、それは何者かの侵入を許したことになるだろう。

先に、都市の外側の様子を見に行った大海なぎさと、その後を追っていった【魔神ミニョルフ】の状況が少し気がかりになる。
もちろん、2人とも無事に帰ってくる・・・はずなのだが・・・。

コンコンと、部屋のドアがノックされる。

「どうぞ。」

一声かけると、ドアがゆっくりと開いた。【魔神レニオル】と、大海なぎさだ。
・・・ただし、大海なぎさは、どうやら気を失っている状態でレニオルに背負われている・・・。

「・・・大海なぎさに何をした?」

やや不満を込めた口調で僕は言ったが、部屋に入ってきて、ソファにゆっくりと大海なぎさを寝かせたミニョルフは何喰わない表情だった。

「なぁに、ちょっと状況が悪くて、仕方なしにちょっと眠らせただけさ。」
「大海なぎさは・・・右京こまちと対峙したんだろう・・・?」

質問にミニョルフは答えず、ただ、その猫顔に笑みを浮かべるだけだった。

「右京こまちが何を言ったかは知らない。でも、大海なぎさの想いを揺らがせるような言葉を、右京こまちが言った。そうだな?
 ・・・そうじゃなければ、お前は僕の考えに背いたことになる。原則として、大海なぎさに手を出すな、ということに対して・・・。」
「そうだね。まったく、あの紅天聖の子孫も随分と人間らしくなったよ。おかげで、危うく大海なぎさを奪い返されるところだった。」

危うく・・・奪い返される・・・。

「それでも、こうして大海なぎさを守ることができたのは、まったく幸運だったね。」
「・・・そんな言葉で、僕が納得すると?」
「おおっと・・・。怒らせてしまったみたいだね。申し訳ない。これからはもう少し発言を慎しんだほうが良いかい?」

笑みを崩さずにそんなことを聞いてくるミニョルフに対して、先ほどから殺気を与え続けていた自分が馬鹿だったかもしれない。
所詮、こいつも悪霊や化け物と同じだ。人間じゃあない。人間じゃないやつに、人間の心を理解しろといってもできない相談だろう。

僕は、その質問に対してはミニョルフに何も答えないことにした。

「まぁ、君はこの程度の事で取り乱すほど愚かな人間じゃないってことはわかっているよ。」
「・・・余計な話は、あまりしたくない。それより、お前が連れてきた悪霊の中に、どうも問題があるやつが見受けられる。
 それがいったいどういうことなのか・・・説明してもらおうか。」

この場所で、いつも耳を澄ますと聞こえてくるのは、ミニョルフが異界から連れてきた悪霊たちの唸り声だった。
その唸り声の多くは、【はじまりの魔法】を欲している、まさしく欲望に飢えた声・・・。
低階級の悪霊が、もしも【はじまりの魔法】に触れでもしたら、一瞬でも消し飛んでしまうだろうに。

「いやぁ、そのことなんだけれどね。もちろん、私の息のかかった霊体は、とても従順で、指示に従ってくれるのだけれど。
 ただ、一部に、そうじゃない霊体が混ざりこんでしまったみたいでねぇ。困ったもんだよ。」

緊張感がまるで感じられない言葉に、憤りさえ感じる。
やはり、他人事なのだろう。

「それじゃあ今から対処するかい? 欲望のままに動く霊体たちを抑えて、【はじまりの魔法】が他の誰にも奪われないように。」
「・・・それは無い。どのみち、【はじまりの魔法】は簡単には奪われないようになっている。」
「君がそう言うのであれば。」

今でこそ、僕とミニョルフは協力しているが、いつ裏切られるかはわからない。
この僕がもっとも恐怖している相手は、夕波みつきでもなく水原月夜でもなく右京こまちでもない。このミニョルフだ。
いくら国家国防省の戦力が高まっているとはいえ、この状況でミニョルフに反逆されれば、一瞬で人間ごと滅ぼされるかもしれない。

「それで、今の状況はどうなんだい? もう侵入してきているんだろう?」
「亀山弦一は幻覚の中の僕と会話しているよ。残りは、お前の”所有していない”悪霊と交戦している。」

”所有していない”を少し強めに言ったが、ミニョルフは別段気にする様子もなくこう答えた。

「なるほど。じゃあ今のところ、私が出る幕は無いんだね。」
「やつらがこの部屋に来るまでは、待機だ。」

そう言って、僕は机の上に乗っていたベルを鳴らす。
すぐにドアから使用人が入ってくると、僕は大海なぎさを部屋に運ぶように指示した。
大海なぎさは、使用人に担がれて、気を失ったまま去っていった。

「・・・大海なぎさは、良いのかい?」
「牢に閉じ込めろ、とでも言うのか? 僕はお前とは違う。大海なぎさは、大切な存在だ。そんな扱い方はしない。
 ・・・むしろ、ミニョルフ。僕は今すぐにでもお前を牢に入れてやりたい気分だよ。」

そんな皮肉をこめても、ミニョルフは笑みしか浮かべない。
本当に厄介なやつだと・・・心から思う。

窓の外に意識を移せば、時間はそろそろ昼時に近くなっていることを、太陽が教えてくれていた。



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「う〜、くっそ。ダメだ。電話つながらねぇぞ!」

4度目の試みも虚しく、電話はつながらなかった。蒼谷は今にも、携帯電話を片手に地団太を踏みたそうな態度を示した。
私たちは、先ほどの大通りから1つ入った裏路地に来ていた。普通なら、野良猫の1匹ぐらい居そうなものだけれど、見当たらない。
人間さえまったく大通りから消えてしまったのだから、無理もないだろう。

「亀山さんが言ってたこと・・・嘘だったのかな。」

そんなことを呟いてみるが、誰も答えることは出来なかった。
姿を消した亀山さんを探そうかとも思ったけれど、今の状況では無暗に動くのは危険だと水原は言った。

「・・・僕は嘘だとは思えない。あの人が嘘をつくとはどうしても思えない。」

しかしながら、水原の眼はまだ現状を打破しようとする意識を失ってはいなかった。

「とりあえず、これからどうするかだけど。亀山さんが居なくなってしまった今、この都市の詳しい構造を知っている人はいない。
 幸いなことに、予め大まかな地図を渡されているから、まったく目的地がわからなくなってしまったわけじゃないけれど・・・。
 それでも、明らかに戦力面で低下しているから、次に悪霊たちと対峙したときは、もう死を覚悟するつもりでいた方が良いよ。」

公爵の”死の覚悟”という言葉に、私たちは息を呑んだ。
今まで意識していなかったわけじゃない。死に対する恐怖を感じなかったわけじゃない。
それでも改めて、そういうことを言われると、やはり身構えてしまう。

「僕は、最初からそのつもりです。それで、僕はこれから真っ直ぐ【都市中央機構棟】に向かった方が良いと思うのですが・・・。
 どうでしょうか。このままこの場所に留まるだけでは、埒があきません。
 仮に亀山さんがはぐれてしまっただけだとしても、僕たちと目的地は変わりません。」
「そうだね、それには賛成だよ。」

水原の意見には、私も賛成だった。
あの亀山さんが簡単に誘拐されるようには思えない。裏切り者とも思えない。
はぐれてしまった・・・と考えるのが一番だと思う。

「【都市中央機構棟】へは、この地図を見る限り、あと半分の道のりがあると思います。」

地図を取り出した水原は、私にも見えるように、屈んで地図を広げた。

「時間にして、地図上の計算では約45分は歩くでしょうか。ですが、先ほどのように僕たちがまた襲撃を受けないとも言い切れません。
 大通りは、もしかしたら既に監視の目が光っている可能性もあります。実際は1時間以上かかると思った方が良いでしょう。」

地図には、縦横に大通りが記述されている。今私たちがいるような裏路地は記述されていないところを見ると、
闇雲に裏路地を使って【都市中央機構棟】に向かおうとすれば、道に迷ってしまうかもしれない。
そう考えると・・・やむを得ないけれど、大通りを使って移動するしか・・・。

「なぁ、これ、どうだろ。」

突然、蒼谷がすぐ後ろを振り返って、ある場所を指差した。
そこには、ところどころ塗装が剥げている古ぼけたビルの非常階段があった。

「ほら、映画かなんかであるじゃん。ビルからビルへジャンプしていってさ。あっという間に目的地に着いちゃうアレ。」
「・・・ジャンプできるの?」

私の質問に、蒼谷は何も言い返すことができなかった。
しかし・・・その提案に、公爵は思わぬ反応を示した。

「良い案かもしれないね。私ならそれぐらいは跳べるから、みんなを担いで行けばいい。」
「えっ・・・でも担ぐって・・・。そんなことできるの?」
「あの力を使えば、ね。」

公爵のその言葉に、私は、公爵が悪魔のような姿に変貌した時のことを思い出す。
出来れば、あの姿をもう見たくないのだけれど・・・でもそんなことは言っていられない現状では、我慢しようと思う。

「みつきちゃん、そんな顔しないで。大丈夫。もう私はあの力をコントロールできるようになったから。」

私の表情を読み取ったのか、公爵は優しくそう言ってくれた。



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「うぉおおおおお、怖ぇえええええ! でもすげぇええええ!」

蒼谷君が感動のような絶叫のような声を上げるなか、私はビルからビルへと、みんなを背負って跳んでいた。
最初に登ったビルの屋上からは、この都市でいちばん大きな建物がすぐに目についた。
それが私たちの目的地である【都市中央機構棟】・・・という名前だっただろうか。

「・・・これなら当初の計算よりも、だいぶ早く着きそうですね。」
「問題は、敵に気づかれずにたどり着けるかどうか、だよ。」

水原君の言葉に、普段より低い唸り声になってしまっている私が、そう答えた。

この都市のビルの高さは均一になっていないため、高低差が激しく、なるべく高低差の少ないビルを使って移動する。
しかしながら、それでも時折、ビルの壁を蹴って高いところに登らなければならないこともあり、単純にはいかなかった。

「公爵、大丈夫? 疲れてない?」

みつきちゃんの呼びかけに、息を切らしながらも「大丈夫」と答える。
これ以上、みつきちゃんに心配はかけさせたくない。ただでさえ、みつきちゃんには悲しい思いをさせてきてしまったのだから。
・・・でも、身体はやはり正直なのかもしれない。先ほどの戦闘による疲労も、まだ回復し切れていない。
その上で”魔神化”という、この能力を使用しているのだから、実際のところは心身ともに相当なダメージが来ている。
みつきちゃんたちは気づいていないだろうけど、もう何度か跳躍後の着地に失敗し、両脚に大きな負担をかけてしまっている。

そしてついに・・・

「うわっ!?」
「きゃっ!」

着地時に両脚にかかる負担に耐え切れなくなり、私は倒れてしまった。

「こ、公爵! 大丈夫?」

すぐに私の背中から降りて、私の様子を伺ってくるみつきちゃんの表情は、心配顔そのものだった。
あぁ・・・またやってしまった。みつきちゃんに、そんな顔はさせまいと思っていたのに。

「・・・やはり、足に相当負担がかかっていたみたいですね。」

水原君は、私の足を見て冷静に言った。
元の姿に戻った私は、そのままビルの屋上で仰向けに寝た。
少しでも足を動かそうとすれば、激痛が走る。

ここで少し休息を取りましょう、という水原君の提案により、30分ほど身体を休めることになった。
もし30分経っても回復しないようであれば、その時はどうするか改めて相談することにして・・・。



雲1つ無い青空を見上げていると、隣にみつきちゃんがやってきて、横になった。

「ねぇ、公爵・・・私が高校生の時に足を怪我したこと、覚えてる?」

もちろん覚えている。みつきちゃんとの思い出を、私は片時も忘れることは無かった。
そう、みつきちゃんは、1度烏丸家の屋敷の階段を登りそこなって、左足を階段に打ち付けたことがあった。
不幸中の幸いで骨折には至らなかったが、それでもみつきちゃんはだいぶ痛がって、少し涙を流していた。
普段は気丈に振る舞うみつきちゃんの、時折見せるそんな姿も含めて・・・私はみつきちゃんのことが好きだった。

「公爵ったら、その時、何度も何度も【大丈夫? 痛くない? 大丈夫?】って私に聞いてきたんだよ。」
「そうだったっけ。あんまりそこまで覚えてないなぁ。」
「それで、痛み止めの薬とか湿布とか、た〜っくさん公爵が持ってきて。どこから手にいれてきたの?
 って私が聞いても、それは秘密、って言ったよね。あれって、本当はどうしたの?」
「ん〜、秘密、かな。」

私の返答に、みつきちゃんはクスクスと笑う。

「あ〜あ、”お兄ちゃん”のケチ〜!」
「まぁまぁ・・・やっぱり出来の良い”妹”を持つと、”お兄ちゃん”は苦労するなぁ。」

そんな冗談を言い合って、私とみつきちゃんはお互いに笑った。
・・・みつきちゃんにとって、私は”兄”なのだろうか。
逆に、私にとって、みつきちゃんは”妹”なのだろうか。

気がつけば、最初にみつきちゃんと出会ってから、10年以上の月日が経過していた。
【はじまりの魔法】の影響故に成長が止まってしまっているみつきちゃんの見た目は、最初に会った時とさほど変わっていない。
そして、既に人間としての生を終えて、幽霊となってしまった私も、見た目は変わっていない。
でも・・・精神的な面においては、みつきちゃんはとても大人っぽくなったような気がする。

『人間と、霊は、相容れない。それを知っていて、なぜお前は。』

最初に右京こまちと剣を交えた時に言われた、その言葉が、今も胸に深く突き刺さっている。
みつきちゃんを愛する気持ちは、消えていない。その愛する気持ちが、果たして”兄妹愛”なのか”男女愛”なのかは別として。
ただ、その気持ちが正しいものでは無いことを、右京こまちの言葉が教えてくれる。
右京こまちが教えてくれなかったら、みつきちゃんを愛しているという水原君を殺して、みつきちゃんを自分だけのものにしていたかもしれない。

ビルの屋上の端で、都市全体の様子を見張るように立っている水原君の姿が見えた。
水原君と対峙したあの夜のことを思い出す。

『僕は、僕なりの戦いをするだけです。誰もが・・・得意な戦い方で良いと思います。
 人間に限らず、幽霊であっても。僕が戦っているのは、僕自身です。
 僕自身を乗り越えるために、みつきさんを守る。そう決めたんです。』

水原君なら、それが出来ると思う。心の底から、そう思う。
・・・水原君にとって、私は敵ではない。自分自身を敵と見なして、戦っている。
そして・・・それを手助けできるのは、聡明な人間だけだろう。
みつきちゃんは、まさしく水原君の隣に立つことがふさわしいかもしれない。
みつきちゃんも・・・それが良いと思っている。

そこに私が立ち入ることは、もはやできない。

「・・・公爵、泣いてるの?」
「あ、いや、目にちょっと埃が入っちゃったみたいで。」

みつきちゃんが、ハンカチを差し出してきてくれた。
その厚意を受け取り、私は”埃”を取り去る。



それと同じぐらいのタイミングで、水原君が突然、蒼谷君を連れてこちらに向かって駆け寄ってきた。

「東南の方角から、【クィドル】が飛んできています。急いで隠れましょう。」

【クィドル】・・・あの【九神霊】でもかなりの霊力を持つ【呪曹カロッサ】が従えている悪霊。
1体1体の力こそ大したことは無いが、集団で来るとなると、相手にするには厄介となる。
ましてや、このメンバーではまともに戦えるのが私しかいない。
水原君も先ほどの戦いを見ている限りでは、まだ【はじまりの魔法】に呪われたことによって使えるようになった呪いを扱い切れていない。
・・・だとすれば、水原君の言うとおり、隠れてやり過ごすのが良策だろう。

足を休めることができたために、蒼谷君の肩を借りつつ、ちょうどこのビルの屋上にあった倉庫の影に移動した。
もしも気づかれたら・・・という不安を抱きながら、静かに【クィドル】たちが居なくなるのを待ち続けた・・・。



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烏丸祐一郎公爵が動けなくなってしまった状況を鑑みて、僕はこのビルの屋上で少し休むことを提案した。
無理に体を動かして【都市中央機構棟】にたどり着いたとしても、おそらく進藤竜一や【魔神ミニョルフ】には手も足も出ないだろう。
右京こまちとも、いずれは合流したい。白河警部の話では、大海なぎさと右京こまちが交戦したらしいことを言っていたが・・・。
まさか敗北を喫することは無いだろう。右京こまちは、僕によく似てとてもしぶとい。
逆に、大海なぎさの身を案ずる必要さえ出てくるだろう。
いくら人智を超えた能力をミニョルフに与えられたからといって、右京こまちを簡単に超越できるほど甘くは無い。

左手の人差し指に巻かれている包帯を見る。
この包帯は、普通の包帯では無い。右京こまちにもらった【魔束帯】の1種で、名前を【黒月帯】と言うらしい。
見た目は、右京こまちが妖刀【影桜】の刀身に巻いている【紫炎帯】という【魔束帯】と変わらない。
右京こまち曰く、精神力とそれに見合うだけの技術があれば、自在に操ることも可能らしいが、
ただの人間の域から片足を少しはみ出しただけの僕では、そこまで扱うこともできない。

・・・そんな僕に、この【黒月帯】を与えられたのには、大きな理由があった。

異界でヴァンネルと戦闘を繰り広げたあの時、僕は身体に内在する【はじまりの魔法】の力に気づかされた。
物質を一瞬で無に帰す光り輝く魔法陣・・・。僕の身体中にそれが巡っている。
改めて【はじまりの魔法】が大変恐ろしい呪いであることを知って、右京こまちは恐れた。
もっとも夕波みつきに近い人間から感染していく【はじまりの魔法】が、もしどこかで暴走したら・・・。
【九神霊】の過激派の思惑通り、人間は残らず滅んでしまうだろう。

僕は最初、【はじまりの魔法】を僕の武器とする提案を、右京こまちに告げた。
すると僕はいつになく猛烈な反対を受けた。あそこまで真っ向から反対されるとは、正直思っていなかったので、驚きもした。
ただ、その反対に僕は屈しなかった。
「夕波みつきを守るためなら、リスクを顧みない。」そう熱心に訴え続けた僕は、ついに右京こまちを屈服させた。

そして、【はじまりの魔法】を制御するために必要だとして与えられたのが【黒月帯】だった。
約束だった・・・。【はじまりの魔法】を使ったあとは、必ず【黒月帯】で身体の傷跡を塞ぐことが。

先ほどの戦いで、やはり【はじまりの魔法】が危険な呪いであることを再認識させられた。
無暗に使うものでは無い。奥の手、最終手段として使うべきだ・・・。右京こまちの再三の忠告も、こうして考えてみると納得せざるを得ない。



このビルの屋上で、一番周囲が良く見える場所に立つ。
そこまで高さは無いビルではあるが、遠くにそびえる【都市中央機構棟】はよく見える。
風は全く吹いていない。当然だろう。透明なドーム状の壁に、この都市は守られているのだから。

「・・・しかし、妙ですね。街の人々はどこへ消えてしまったのか・・・。」

縦横に伸びている道路を覗き見ても、人は全く見えない。ここまで閑散としていると、とても不気味に感じる。
あるいは、最初から人や車たちは幻だったのだろうか。【九神霊】ともなれば、幻覚を見せるぐらいは容易いだろう。

「うっ」

突然、目に激しい痛みを感じ、両手で目を抑えた。
眩しい光を見たわけでは無い。目にゴミが入った? それにしては・・・両目が同じタイミングだ。
目をゆっくりと開けようとするが、激痛に身が悶えそうになる。それでも痛みに耐えながら、目を開ける。
すると、僕は目の前に広がった異様な光景に、声を上げざるを得なかった。

「・・・なんでしょうか、これは、いったい・・・」

数秒前まで、ビルの屋上にいたはずなのに・・・。
どうして今の僕は右京家の屋敷にいるのだろうか。

「幻覚、でしょうか?」

僕の静かな問いかけに、しかし誰も答える人はいない。
縁側から外を見れば、庭の桜の木があと少しで満開になろうかとしている。
・・・やはりおかしい、桜の時季では無いはずなのに・・・。
いや、そもそも右京家の屋敷の庭に、一本も桜の木は無いはずなのに。

少し耳を澄ますと、キン、キンと、金属同士がぶつかりあう音が聞こえることに気づいた。
庭から聞こえてくるが、この部屋からは見えない・・・。僕は縁側に出た。

「なっ・・・あれは。」

2人の男女が、剣を交えて戦っていた。
1人は、どこかで見たことがある、見たものを貫かんとする意思の溢れる切れ長の眼に、長い黒髪を後ろで束ねた、紺色和服の美少女。
・・・間違いない。あれは右京こまちだ。ただ、とても若い。まだ10代半ばに見える。
今の年齢を聞いたことがないために、いったいどれぐらい前の右京こまちなのかは解りかねるが・・・。

そしてもう1人の男は・・・見たことが無い。
幼き右京こまちの数倍もの大きな身体を軽やかに動かしながら、次々と右京こまちが繰り出す攻撃を、刀で防いでいる。
どことなく・・・顔つきが右京こまちに似ているような気がする。もしかすると、右京こまちの父親、だろうか?

父親らしき男に攻撃を幾度も仕掛けていく右京こまち。
しかし、それらの攻撃をすべて見切られていることは、素人の僕でもわかる。
刀を振るスピード、判断力、パワー、すべてが僕の知っている右京こまちの半分も無い・・・。

ガキーン!

甲高い金属の音が庭中に響き、右京こまちの刀はあっさり弾き飛ばされてしまった。
次の瞬間には、右京こまちの首元に、刀が突き付けられた。

「・・・やはり、まだ真剣で交えるのは早かったな。自惚れは敗北に直結する。
 呪いに対する抵抗力の鍛錬がうまくできたからと言って、闇雲に背伸びをしても成長はできん。」

心の底が震え上がるような・・・怯えを他人に与えるような凄みのある声で、父親らしき人物はそう言った。
刀を一瞬で、腰の鞘に戻したかと思うと、振り返って、こちらを見てきた。
目が、合ってしまった。

「ふむ、そろそろ昼の時間か。午前の鍛錬は、少し早いが終わりにするぞ。」
「・・・はい、父上。」

やはり、右京こまちの父親のようだ。父親はずっと僕を見ている。
僕も、もう目を離すことができなくなってしまった。射竦められてしまったと言っていいだろう。
あまりの威圧感に、一歩でも動くことを許されないような気さえしてしまう。

右京こまちが先に庭を去ってしまうと、その父親は、なんとこちらに近づいてきた。
一歩、また一歩・・・。そして・・・。

「よっこら。」

縁側に、座った。
・・・僕の存在には・・・気づいていないのだろうか?
そもそも、どうして僕はこんなところにいるのだろうか?

「桜が満開になるのも近いな。まぁ、ここに来い。一緒に桜でも見ながら話をしようじゃないか。
 そう・・・名前は、水原月夜・・・だったな。」

気づかれていた。

「怯えることは無い。未来からこの時代に来ることは、私は知っていた。
 ・・・そうか【黒月帯】を、こまちは君に渡したのか。」
「何が・・・どうなって・・・」

急な展開に、思考が追いつかなくなり始めていた。
未来からこの時代に来る・・・それはすなわち、僕がタイムスリップしたということだろうか?
しかも、僕の名前を知っていて、僕がタイムスリップをすることを、知っていた?

「心配するな。私もすべての事情を把握しているわけでは無い。
 私が知っているのは、君という存在と、君がいずれ私の前に現れるということだ。」
「どうして、僕のことを・・・」
「君は、この手紙に見覚えがあるかい?」

そう言うと、右京こまちの父親は、懐から1つ手紙入りらしき封筒を取り出した。
宛先は「右京家当主様」になっていて、差出人は「水原月夜」になっている。
・・・しかし、僕はこんな手紙を作った覚えはない。ましてや、この時間が過去だとすれば、過去に向けて手紙を送ったことになるか。
同姓同名の水原月夜・・・は考えにくい。そもそも珍しい名前なのだから。

「・・・いいえ、ありません。」
「そうか。中身を読まさせてもらったけど、君の簡単な経歴や、こまちとの関係、これから起こるかもしれない戦いについて書かれていた。
 最初は何かの冗談と思っていたが・・・どうも頭の片隅に引っかかってな。なるほど。」

一人、そう納得した右京こまちの父親は、その封筒を僕に渡してきた。

「もし、水原月夜が現れたら、この手紙を封筒ごと渡してほしい、と手紙の最後に書いてあった。
 だから、これを君に渡そう。きっと何かの意味があるんだろうな。これには。」
「あ・・・ありがとうございます。」

受け取ってはみたものの・・・僕が差し出したという、覚えのない手紙なんて、不気味そのものである。

「君とは、もっといろいろな話がしたいのだが・・・。まぁ関わり過ぎては支障が出るだろう。
 ・・・未来のこまちの様子は気がかりだが、君になら任せても良いだろう。頼んだぞ。」

右京こまちの父親の言葉を聞き終わるや否や、僕の眼に再び激痛が走り、思わず目を閉じる。
これはタイムスリップなのだろうか? それともただの幻覚を見せられただけなのだろうか?



ゆっくりと目を開ける。
そこには、国家国防省が作った都市が広がっていた。
戻ってきたのだ。過去から? それとも夢から? 幻覚から?
具体的なことはわからない・・・。ただ、片手には、右京こまちから渡された封筒がしっかりと握りしめられていた。
謎の現象に戸惑った僕は、これを報告しようかと思い、【都市中央機構棟】の方角から背を向けた。

・・・その時、東南の青空に、黒い影がいくつもあったのを、僕は見逃さなかった。
鴉にも思えたが・・・少しずつこちらに近づいてきている黒い影の姿を見て、その考えを改めた。
黒いマントがヒラヒラと宙を舞っている・・・。間違いない。【クィドル】だ。
空からの偵察隊だろうか。僕たちを探し回っているのかもしれない。



僕は急いでみんなを集め、【クィドル】の偵察範囲から隠れることを提案し、屋上にあった倉庫の影に逃れたのだった。



続く