終わりの世界とグラサン少女




〜2〜


<<



「こ、公爵・・・その姿・・・」

傍に居た夕波みつきは、悲壮な表情を浮かべて、そう言った。
今、僕たちの目の前にいるのは、烏丸祐一郎のはず・・・だった。
つい先刻まで巨大な蜘蛛と戦闘を繰り広げていた、紳士は、しかし、姿を消していた。
代わりに、そこには巨大な悪魔が立っていた。

「ファアアアア・・・」

黒く濁った鋼のような皮膚、右手にはカールしている洋物の剣。
そして鬼のような恐ろしい顔だちには、鋭い目つきと尖った耳、突き出した2本の角。妖しくギラリと光る鋭い牙。
2mか、それ以上ありそうな巨大な悪魔。

「公爵・・・だめ・・・そんな・・・」

一歩、また一歩と、悪魔に近づこうとする夕波みつき。

「グギャァアアアアアアアアアアアアアアア!」

その夕波みつきを狙って、巨大な蜘蛛の悪霊が、再び口から光弾を発した。
咄嗟に、僕は夕波みつきを庇おうと、夕波みつきの前に飛び出す・・・が。

「ファアアアア・・・」

さらに僕の前に、悪魔が飛び出してきて、光弾を剣で受け止め、弾き飛ばした。

「ブジ、カ?」

悪魔は後ろを振り返り、僕と夕波みつきにそう言った。
これが・・・烏丸祐一郎、だというのだろうか。

「え・・・えぇ。大丈夫ですが・・・。その姿は一体。」
「コレハ、ワタシノ・・・身体ニ潜ム、悪魔ダ。」

身体に潜む悪魔。そう言った。

「公爵、大丈夫なの・・・?」

僕の背後から、ゆっくりと顔を出す夕波みつき。
さらにその後ろには、驚いて腰を抜かしている蒼谷ゆいの姿もあった。

「アル程度ノ、コントロールガ出来ルヨウニナッタカラ。」

どうやら、2人の様子からして、過去にも烏丸祐一郎がこの姿になったことがあるらしい。
それがいつなのか、どういった時なのかはわからないが、夕波みつきの心配しているような様子から、
かつては烏丸祐一郎がこの姿に変化したことは、ただ事では無かったと想像できる。

その間にも、巨大な蜘蛛は新たな光弾を放ってきた。
しかしその光弾を、烏丸祐一郎は、巨大な悪魔は器用に剣を振り、光弾を弾き飛ばす。
部屋の至るところに、弾かれた光弾がぶつかるが、しかし傷一つ無いのは、右京こまちが屋敷にかけた呪いのためだろう。

悪魔は一気に跳躍して、蜘蛛の頭に剣を突き刺す。その動きは、とても2m以上もある巨体の持ち主とは思えない。
蜘蛛は今までで一番大きな怒号を上げる。剣を突き刺した個所からは、漆黒の液体が噴出している。
さらに追撃するように、悪魔は蜘蛛の脚を一気に2本、捩じ切る。蜘蛛はそれによって体勢を崩し、倒れ込んだ。
完全に動けなくなった蜘蛛を見て、悪魔は唸り声を上げる。

「圧倒的だ・・・。」

思わず、僕はそう呟いていた。
【獣神霊ヴァンネル】にも匹敵するんじゃないだろうか、と思うぐらいの動きの速さと力強さ。
これが烏丸祐一郎なのか。

唸り声を上げ終った悪魔は、烏丸祐一郎の姿に戻っていた。

「3人とも、大丈夫だね?」

冷静な表情を浮かべて、烏丸祐一郎はこちらを見る。
それを見て、真先に飛び出したのは夕波みつきだった。夕波みつきは、烏丸祐一郎に抱き着く。

「心配かけちゃったね。でも大丈夫。ちゃんと、みつきちゃんのところに戻るって、決めたから。」

夕波みつきの頭を優しく撫でている烏丸祐一郎の姿を見ていると、まるで僕の入る余地は無いような気がする。
・・・やはり、僕では夕波みつきを守ることはできないのかもしれない。

「さて、こいつの後片付けをしないといけないね。右京こまちが居れば早いんだけど・・・。」
「呼んだか?」

いつの間にか部屋の端に、右京こまちと【魔神レニオル】の姿があった。
いつからそこに居たのかわからないが、2人とも少しボロボロの様子を見ると、どうも向こうでも苦戦していたらしい。

「あぁ、ちょうど良いところに。」
「お前の言いたいことはわかる。こいつの力を、私が取り込むとしよう。」

右京こまちはそう言うと、倒れて動けなくなった蜘蛛の前に立ちはだかった。

「すべては灰に返り、すべては虚無に返り」

腰から刀を抜いていた右京こまちは、蜘蛛に向かって、スッと刀を振り下ろす。
すると、ザザッと音を立てて蜘蛛が灰になってしまう。

「力を我が身に」

刀の柄と刀先を持って、右京こまちがそう呟くと、灰となってしまった蜘蛛は、刀に吸い込まれていく。
あっという間に巨大な蜘蛛の悪霊は、消滅してしまった。

「これでとりあえず、一段落したな。」

刀をしまう右京こまちはそう言った。
僕は右京こまちたちの方の話を尽かさず聞こうとするが、右京こまちは口を閉ざして何も言わない。
代わりに、こんなことを言いだした。

「このまま屋敷に居ても、もうここも安全とは言えなくなった。」
「まぁ・・・そうでしょうね。さすがにここまで襲撃を受けてしまうと、向こうもさらに狙ってくるでしょうし。」

烏丸祐一郎は、そのように冷静に付け加えた。

「私もようやく、本来の力を取り戻すことができた。これ以上は、待機するだけ無駄だと思う。」
「・・・それじゃあ、国家国防省に?」

僕の問いかけに、右京こまちはゆっくりと頷く。

「明後日。明後日の午後10時に出発する。国家国防省がどこにあるかについては、私は知っているからな。」
「でも・・・どうやって移動するんですか? まさか徒歩で行けるとは思いませんけど。」
「移動手段については、もう手配してある。」

手配してある。その言葉に、僕たちは顔を見合わせた。

「それまでに準備をしておけ。」
「準備・・・って何をするんだよ?」

蒼谷ゆいが、そんな質問を投げかけた。

「心の準備だ。」

右京こまちは、そう言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。



>>>



「連絡が入ってきました。ついに向こうも動き出すみたいです。」
「・・・そうか。高倉、ありがとう。」

目の前で、白河先輩と高倉先輩が話しているのを、僕は黙って見ていた。

数日前に僕たちが隠れている倉庫を襲撃してきた【魔神ミニョルフ】は、椎名先輩を連れて、姿を晦ました。
結果としては、僕たち全員がミニョルフの攻撃を受けることは無かったが、それでも不可解な発言がミニョルフにはあった。

《話は聞いているよ。残酷な運命を変えるため、失われようとしている世界を救うため、行動していると。》

いったい、誰からミニョルフはそんなことを聞いたのだろう。
僕がこうして動いていることは、誰も知らないはずなのに。
それにミニョルフは、僕と言う存在を越えることができない、とも言っていた。
どういうことだろうか・・・。

「亀山、ついに右京こまちから連絡が来た。明後日の夜だそうだ。」
「・・・そうですか。」

右京こまち。世界最強とも言える悪霊討伐と呪いのエキスパートの名前だ。
彼女もまた、夕波みつきとはいろいろな経緯があって、関係のある人間でもある。
そして・・・僕にとっても、彼女はある意味、特別な存在になっている。

右京こまちとは、あの雪山での事件の解決時に逢っていた。
その時に事情聴取をしたこともあってか、連絡先を知っていた。
頻繁に連絡を取っていたわけではないが、僕が個人的に「呪いについていろいろ聞きたい」と尋ねた時は、
彼女は妙にうれしそうに受け答えをしていた。

そして今回。
ついに動き出した国家国防省に対して、僕たち警察の一部と、右京こまちは結託することになったのだ。
白河先輩をはじめとして、僕や高倉先輩は夕波みつきたちとも直接面識があり、特に夕波みつきは仕事柄、白河先輩とはよく会っていた。
国家国防省と、かつて関係があった右京こまちにとっても、今回の事件についてはまったく見過ごすことができない。
水原月夜という存在も、右京こまちを縛り付けている鎖になっているのも事実であろうが・・・。

「まったく・・・改めて、この事態が異常だということを思い知らされるな。」

僕の傍で椅子に座っている、ある男が言う。

「そうだな。だが、この異常事態を収束するためにも、俺たちは動く必要がある。
 さて、今後の事を話すぞ。みんな、集まってくれ。」

白河先輩が、手を叩くと、その音は倉庫内にこだまする。
各位置についていた仲間たちが集合してくる。

「みんな、今まで倉庫での長期間の待機、ご苦労だった。先ほど、連絡があり、ついに俺たちが行動できるタイミングが生まれた。
 日時は明後日の午後8時。この倉庫を出て、2チームに分かれて行動する。チームの振り分けについては高倉にお願いしてある。」

白河先輩の発言に続いて、高倉先輩がチーム分けの説明と振り分けを行った。
僕と高倉先輩が入るAグループは、右京こまちたちの元へ向かい、
白河先輩が入るBグループは国家国防省のビル周辺に待機することになった。

「そういうわけで、明後日までの残り時間は少しあるが、引き続き、気を引き締めるように。以上。」

その言葉で、みんなは一斉に動き出す。
今まで準備していた荷物を運び出す者、地図をテーブルの上に広げて、移動経路を確認する者。
待ち望んでいた出発の日が、目の前に現れたことで、倉庫内の空気は一気に変わり・・・。

そして、明後日の月を待つのであった・・・。




>>>



「なんだい、話があるって。」

私は、水原君にそう質問した。
ここは右京家の屋敷の庭。今は草木も眠る丑三つ時。風の音さえしない、静かな空間に、私は呼び出された。
夕食後、誰にも気づかれないように、水原君は私に「話があるので、今日の夜中2時に庭に来てください」と書かれた紙を渡されたのだ。

「・・・」

しかし、目の前に立っている水原君は何も答える気配が無い。

「明後日のために、しっかり身体を休めておかないと。私もとりあえずは寝ておかないと動けない存在でもあるし。」
「・・・」
「用件があるから、私を呼んだのだと思うんだけど。何か言ってくれないとわからないよ?」

水原君の眼が、表情が、何を語ろうとしているのかはわからない。
ただ、唯一わかるとすれば、それは、水原君がみんなの前で話せないようなことを、私に話そうとしていることだ。

「・・・僕と、ここで戦ってください。」

突然、水原君の口から、そんな言葉が出た。いつも以上に冷たい表情で。
でも・・・その言葉を聞いて、私は水原君の中に潜むモノを垣間見えた気がした。

私は、無言で腰から、カールしている洋物の剣を抜く。
それは紛れも無く、私からの了承のサイン。水原君もそれがわかったのか、あの不気味な微笑を浮かべる。

「ケガをしても、知らないよ。」

1つだけ忠告をして、私は動き出す。水原君の周りを、時計回りに高速に走りはじめる。
そんな私の動きを、水原君は冷静に見ているだけで、動こうとはしない。
人間が追い付ける、ギリギリのスピードに落として動いているものの、
今の私の動きは、おそらく水原君は完全に見切ってはいないだろう。

「はっ!」

水原君の死角である背後から、私は剣を刺突体勢に構えて突撃する。
しかし、水原君はまったく背後を見ずに、身体を横にずらすだけで剣を回避した。
水原君の腰を狙った刺突は逸れる。そして、回避した水原君は、的確に剣を持っている私の手を狙って、右足でキックしようとする。
なんとか腕を引き戻して、蹴られるのを阻止するが、一瞬体勢を崩してしまったところを、今度は足払いしようとしてくる水原君。

「くっ」

左足一本で、私は跳躍し、水原君と距離を置く。それでなんとか足払いは回避できた。

まるで力を見誤っていた。水原君の頭の回転には、私も舌を巻くほどだったが、実際のところ戦闘に関しては素人と思っていた。
普通の人間、しかもどちらかといえば身体より頭を使う方が得意な人間だと、ずっと思っていた。
・・・しかし、この様子だと少し見直さなければならない。

「烏丸公爵。僕のことを見くびっていた、と。そう思ってますよね。」
「・・・」

それは図星だが、それを表情に出しては、水原君の思う壺だろうと思い、留まった。

「実際のところ、僕は戦闘に関しては、まったくの素人です。身体を使うことはとても苦手でして。」

左右に首を振る水原君。

「はは・・・それじゃあ、どうして私と戦おうなんて思ったんだい?」
「どうして、ですか。その答えはもう、知っているのではないですか。」

そう言いながら、水原君はこちらに向かって突撃してきた。
武器も何も持っていない、丸腰で、剣を持っている私に突撃してくる。
それも、私の移動速度に比べれば、かなり遅い。まるで無謀なことだ。普通ならしない・・・。
でも・・・きっと水原君は何かを仕掛けてくる。

何が来ても良いように、身構える私の視野の端に、何かが高速で飛んだのを見た。
一瞬だったが、それを見逃さなかった私は、その何かを思わず見てしまう。それが失敗だった。

「うぐっ」

水原君の右の拳が、私の腹部を殴った。
ダメージは大きくない。やはり普通の人間の力だ。しかし、それでも少し怯んでしまう。
もう一発、今度は左の拳で私を殴ろうとしていた水原君の手を、何とか私は掴む。
掴んで・・・投げ飛ばす。

「はぁ・・・はぁ・・・さすがだよ、水原君。」
「どう、いたしまして。」

投げ飛ばされ、地面に仰向けに叩きつけられた水原君は、そう答えながらゆっくりと立ち上がった。
視線を別の方に向けると、地面に、月明かりに照らされてキラキラ光っているビー玉を見つけた。
水原君が、投げたのだ。それも、まったく関係ない方向に。
しかし、感覚の鋭い私は、そんな無害であるはずのビー玉にさえ、一瞬反応してしまう。

やはり・・・上手い。
策士としての素質は、以前からある程度認めていた。
何の力も持たない普通の人間にも関わらず、ここまで【九神霊】や、人間を脅かす呪いの存在について深く関与することができているのは、
水原君が私の想像以上に、知力を振り絞って、戦っているからに違いない。そう思っていた。
でも、もはやここまで来ると、他に何か得体のしれない力を秘めているのではないか、そういう風に疑ってしまう。

水原君をそこまでさせているのは・・・。

「水原君。私と戦って・・・そして勝ったとしたら、どうするつもりなんだい?」

少し乱れてしまった服を直しながら、私は問いかけた。
すると、一瞬の間が空いて、水原君は口を開け・・・

「・・・どうするつもりもありません。僕は、今の僕の力を試したいだけです。」

嘘だ。明らかな嘘。

「正直な、君の気持ちが聞きたい。それは真実じゃないだろう?」
「・・・真実です。ただの人間である僕が、どこまで戦うことができるか。それが知りたいだけです。」

水原君の表情は、先ほどからほとんど見た目には変化していないが、私には手に取るようにわかる。

「君ほどの人間なら、自分の実力ぐらいは知っているはずだよ。君では、私に勝てない。
 いくら君が、策を練って、言葉でじわじわと追い詰めようとしても、私はそこまで弱くない。
 今のように少しは攻撃を当てられるかもしれないけれど・・・。それでも、人間じゃなくなってしまった私には勝てない。」
「・・・それぐらいわかっています。それでも、僕は戦う必要があるんです。」

再び、戦闘体勢を取る水原君。

「そこまで、みつきちゃんのことを守りたい、そう思っているのかい?」

水原君は、しかし何も答えない。

「悪霊や化物たちを相手に、君は素手でも良いから、みつきちゃんのことを守りたい。心の底から思っているのかい?」

正面から突撃してくる水原君は、やはり口を開けない。

「・・・わかったよ。全力で来ると良い。君じゃ、私には勝てないから。」



そこまで言って・・・
私は、水原君に、右頬を思いっきり殴られた。
思わず、後ろに数歩よろめいてしまうが、なんとか倒れずには済んだ。
私は・・・殴りかかってきた水原君の顔を見て、心に秘めていた言葉を吐き出すことにした。



「・・・水原君。本当なら、私が君の立場であるべきなんだよ。それなのに、君は、私に対して拳を与えた。
 私が殴られたこの痛みは、君の痛みでもあるんだ。本来なら、君が私に殴られるはずなんだ。
 私にとって・・・みつきちゃんは、大切な家族。私に残された、たった一人の家族。
 君は、私の大切な家族を、ある意味で奪おうとしているんだ。だから、本当なら私が君を殴らなければならない。
 でも・・・私は、君を殴る資格が無い。私は、人間じゃない。人間として、かつて生きていた。今じゃ、化物!幽霊!
 私のこの手で、誰を殴れるんだろう? 人間じゃない私は、誰を責めることができるんだろう!?」

水原君の眼には、少し涙が滲んでいるように見える。

「水原君は、私のことをどう思っているのか。それがずっと気になっていたんだ。
 おそらく・・・恨んでいるだろう。妬んでいるだろう。羨ましがっているだろう・・・。
 いつか、君は私に牙を向けて襲い掛かってくるんじゃないか。そんな恐怖ばかり持っていたよ。
 でも私に、水原君をどうにかする権利は無い。だから、今日という日が来るのが・・・怖かった。
 君の正直な気持ちを聞くのが怖かった。みつきちゃんのことを心の底から守りたい、そういう君の気持ちを。」
「・・・僕は・・・」

土で汚れてしまった手で、そのまま涙を拭く水原君は、一度言葉を区切って、言う。

「僕は、僕なりの戦いをするだけです。誰もが・・・得意な戦い方で良いと思います。
 人間に限らず、幽霊であっても。僕が戦っているのは、僕自身です。
 僕自身を乗り越えるために、みつきさんを守る。そう決めたんです。」

その言葉を聞いて、やはり私は間違っていなかった、そう思った。
水原君なら、みつきちゃんを任せても大丈夫ということが。

「自分を乗り越える・・・か。君なら、できるかもしれないね。」
「・・・まだまだ、です。」



その場に座り込んだ水原君は、服の乱れも気にせず地面に横たわり、空を見上げはじめた。
私もつられて空を見上げるとそこには、綺麗に金色に輝く、月が1つ、泳いでいた。



続く