終わりの世界とグラサン少女




終わりの世界とグラサン少女(上)



〜1〜



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「・・・俺は、もう待ってられない。」

テーブルの向かいの席に座る、蒼谷ゆいは、無言の空気を破るように声を発した。

「なぎさを助けに行く。いけ好かないあの野郎から、なぎさを取り戻す!」
「まぁ、落ち着け、蒼谷ゆい。」

いきり立つ蒼谷ゆいを宥めるように、テーブルの上座に座っていた右京こまちが言った。

「まだ戦力が足りていない。レニオルは、異界に戻ったきり、3日帰ってきていない。
 【九神霊】に対抗するには【九神霊】の力が不可欠だ。今の状態で、国家国防省に乗り込んでも、返り討ちにされるだけだろう。」
「それでも、たとえ俺一人でも行くぞ。」
「状況を読め。先走って、お前はもう何度失敗した?」

ピシャリと厳しい言葉をかける右京こまちに、思わず蒼谷ゆいはひるんだ。

「誰も、国家国防省に行かないとは言っていない。大海なぎさを助けるためでもあるが、【はじまりの魔法】を使って、
 世界を滅ぼそうとしているあいつらのことだ。いずれは夕波みつき、お前を狙ってくるだろう。」

夕波みつきは、箸を動かす手を止めた。

「私は・・・。」
「僕が守るから大丈夫です。」
「私が守るから大丈夫です。」

言いよどむ夕波みつきを余所に、僕は、隣に座っていた烏丸祐一郎と同時にそんなことを口走った。
烏丸祐一郎と目が合うと、やわらかな微笑を向けられた。

「それは別に構わないが。ただ、国家国防省に乗り込む場合は、一緒に行かなければならない。
 どこかの地に身を隠したところで、見つかって囚われたら終わりだからな。一緒に居ればそれだけこちらとしても守りやすい。」
「・・・それは確かにそうですね。」
「だが、どのみち、レニオルが戻ってこないことには・・・」
「先ほどから、私の名前を言ってるけど、もしかして待たせてしまったかな?」

突然そんな言葉がリビングに響いたかと思うと、右京こまちの真後ろにレニオルが現れた。

「・・・遅かったじゃないか。【魔神レニオル】。」
「これでも急いだつもりだったんだけどね。グローチェリアに、戦場に駆り出されて、結構大変だったんだよ。」

レニオルは、猫の顔に笑みを浮かべてそう言った。

「異界の方は、切迫した状況のようだな。」
「そうだね。この屋敷も時間の問題だよ。異界につながっている場所だから、いつやつらが攻めてくるか・・・。おっと?」

レニオルは振り向いたかと思うと、右手を前に掲げて、手のひらから銀色の矢を生み出し、リビングのドアに向かって放った。
轟音と共に放たれた矢は、ドアに突き刺さったかと思うと、野獣のような何かの叫び声があがった。
ドアからドサッと何かが床に落ちる。洗濯機ほどもの大きさはあろうかという、巨大な蜘蛛だ。
どうやら、カメレオンのようにドアの色に擬態して、隠れていたらしい。

「あー・・・すみません。どうやら、いくらか連れてきてしまったようです。」
「まったく・・・。この様子だと、まだ屋敷内にいくらか潜んでいるな。
 私とレニオルは悪霊の討滅、烏丸祐一郎、お前は3人を守ることに徹底だ。」

その言葉に、やはり僕はまだ、夕波みつきを守れるだけの力が無いことを、思い知らされた。
最低限、自分の身を守れるだけの呪いのかけ方などを、レニオルや右京こまちから貰っていたが、それでも彼等には遠く及ばないのだ。

右京こまちは、レニオルと一緒に部屋を出て行った。
既に右京こまちは、腰の刀を抜いており、臨戦態勢を整えての出撃だった。

「気が抜けないね。食事の途中だけど、これは中断した方がよさそうだ。」
「お、おい、大丈夫なのかよ・・・ここは安全じゃなかったのか?」

蒼谷ゆいが、心配そうな声をあげる。言ってみれば、最も一般人に近い立場であるのだから、そう思うのも仕方ないだろう。

「公爵がいるから大丈夫。」
「そんなこと言われてもなぁ・・・。」

とりあえず僕たちは、1か所に集まって、いつ何が起きても対応できるように準備した。
やがて、屋敷のどこからか、爆音やら轟音やらが遠く唸りはじめる。戦闘が始まったようだ。

「3人とも、部屋の隅に。」

烏丸祐一郎に促されるまま、部屋の隅に移動する。そして、烏丸祐一郎は僕たちを守るよう、僕たちの前に立った。
腰から、カールしている剣を抜き、いつ襲撃されても対応できるようにしているところを見ると、近くにまだいるのかもしれない。

「・・・水原君。いざというときは、2人を頼むよ?」
「はい。」

振り返り、微笑を浮かべた烏丸祐一郎は、そう言うと、突如部屋の中央に向かって走り出した。
右から左へ薙ぎ払うように剣を構え・・・物凄いスピードで振う。

「グギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

そこには何も見えてなかったはずなのに、烏丸祐一郎がそこで剣を薙いだや否や、獰猛な獣があげるような叫び声が部屋の空気を支配した。
先ほどの蜘蛛とまったく同じやつが、カメレオンのようにやはり周りの風景と紛れて、そこに存在していたようだった。

蜘蛛がその姿を現す。先ほどのやつより、いくらか大きい。
ギョロギョロ動く目の数が10個もあり、見ただけでもかなりの嫌悪感を感じさせる。
身体の色は、紫と赤をぐちゃぐちゃに混ぜたような感じだが、烏丸祐一郎に斬られた脚からは青の蛍光塗料のような液体が噴出している。

「うわっ、気持ち悪っ!」

青白い顔をしてそう言う蒼谷ゆいを横目に、僕と夕波みつきは、冷静に状況を見据える。
蜘蛛は、1本脚を失って少しだけバランスを崩したが、倒れることは無く、口から異臭のする液体を垂れ流しながら、未だ戦闘体勢を維持している。

「【呪曹カロッサ】は、虫の形をした悪霊を使役することは知っていましたが・・・まぁ蜘蛛が厳密には虫じゃないことは、
 この際置いておきますけど、それでもこの蜘蛛は別格でしょうか。」

烏丸祐一郎は、一人、そう呟く。

蜘蛛は、口から糸を、烏丸祐一郎に向かって発射した。
それに対して、糸を剣で斬り払おうとするが、糸は斬れずに、そのまま剣に絡みついてしまった。

「くっ、なんて強靭な糸だ。呪いで強化されているのか。」
「グルガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

烏丸祐一郎の動きが制限されてしまったところへ、蜘蛛はさらに追撃するかのように、口から光弾を何発も発射した。

「仕方ない、ここは少し本気を出そうか。」

そう烏丸祐一郎が言った直後、烏丸祐一郎に光弾が直撃した。
あまりの爆発の眩しさに、一瞬僕らは目を閉じてしまう。
夕波みつきは、「公爵!!」と叫びながら・・・。



次に目を開けたとき・・・そこに烏丸祐一郎の姿は、無かった。
代わりに、そこには、蜘蛛にも劣らないばかりの巨大な”悪魔”が居た。



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「ちっ、なかなかに厄介な相手だな。」
「・・・そうですね。」



次々と襲い掛かってくる子蜘蛛を【影桜】で薙ぎ払いながら、レニオルとそんな言葉を交わす。
ここは、通常は理由あって封印している鍛錬部屋。部屋の中央には、人が一人、入れるぐらいの黒く澱んだ穴が開いている。
穴の向こうは異界につながっているのだが、その穴からは次々と蜘蛛の子どもが湧きだして、異様な状況を作り出している。

おそらく、この蜘蛛たちは、先ほど倒した蜘蛛と同様のものだろう。
いくらかサイズが小さいのは、まだ成長しきれていないからだろうか・・・?

それでも、拳くらいの大きさのある体を持った蜘蛛たちは、集団で私たちを襲ってくる。
あるものは物凄い跳躍力で跳ね上がって体当たりしてくる。またあるものは、毒性の強い唾液を飛ばしてくる。
その蜘蛛の数は、もう100に届きそうな勢いで増えつつあった・・・。

「これは間違いなく・・・【呪曹カロッサ】の使役する悪霊たちだな?」
「えぇ。それも、結構強い霊力を持った悪霊です。小さいですが、一個体で「クィドル」に匹敵する力を持ってます。」

レニオルは、霊力で作り出した、いまいち形を正しく維持していない、吹けば揺らぐろうそくの火のような銀色の槍を片手に、
器用に蜘蛛たちを倒していく。しかし・・・それでも蜘蛛の数は一向に減らない。

「キリが無いな。ここは、私が呪いでまとめて消すことにしよう。それまで、蜘蛛たちを引き付けてくれ。」
「わかりました。善処しましょう。」

私は、それまで右手に持っていた【影桜】の刀身を【紫炎帯】で包み、腰に収める。
レニオルの後ろに回り、レニオルに守られながら、呪いを形成していく。

「30秒ぐらいが限界ですので、それまでにお願いします。」

揺らぐ銀色の槍を振いながら、レニオルは冷静に言う。
私は、右手を上下左右に動かし、呪いを発動させるための印を宙に刻んでいく。
威力・範囲・効果・周囲への影響などを慎重かつ効率よく設定していき・・・そして完成する。

「合図と同時に、霊力を前方に放って、お前は下がれ。このまま呪いを撃ったら、レニオル、お前にも当たるからな。」
「わかりました。」

3・・・2・・・1・・・

「行くぞっ!」

合図と同時に、レニオルは強烈な霊力を前方に解き放つ。あまりにも強いその力に、蜘蛛たちは次々に飛ばされていく。
そしてそれを確認したレニオルは私を跨ぐように跳躍して、後方に退避する。

レニオルが下がったことを確認して、私は呪いを発動する。
印は、無数の赤い閃光を生み出して、1つ1つ的確に蜘蛛を撃ちぬいていく。
指定した範囲内に存在するものに対して、自動的に追尾性のある閃光を放つ。
以前は、この呪いは閃光を生み出すことができる数に制限があるという欠陥があったが、
それを克服したことで、効率の良い攻撃手段となった。
【九神霊】相手に使うには、印を刻むのに時間が掛かるものの、こういう場合は便利なものだ。

しかし・・・

「キリが無いな。底なしなのか?」

いくら蜘蛛たちを破壊し続けても、次から次へと新たな蜘蛛が、部屋の中央の黒い穴から飛び出してくる。

「・・・もしかしたら、向こうに子蜘蛛を生み出している親蜘蛛がいるのかもしれないですね。」

レニオルは状況を見て、そう言った。
その可能性は大いにある。そうだとすれば、親蜘蛛を倒さない限り、こいつらは延々と生み出され続けるだろう。
いろいろと考え、私は展開していた呪いを解除する。

「どうするつもりですか?」
「使用する呪いを変更する。レニオル、さっきと同じように、私を守ってくれ。」

新たな呪いを、私は生み出し始める。
先ほどとは違って、印は使用せず、腰に下げた【影桜】から、刀身に巻かれている【紫炎帯】を抜く。

「了解しました。今度はどんな呪いを使うつもりですか?」

再びレニオルは私の前に出てきて、蜘蛛たちと戦闘を始める。

「異界につながる、あの穴を消す。」
「なっ!?」

私の言葉に、レニオルは思わず振り返って、私を見た。
正気かと疑うような目で。

「いくら呪いに長けたあなたでも、あの穴を消すことはさすがに・・・」
「わかっている。でもやるしかないだろう?」
「まったく、無茶な・・・」

1度ため息をついたレニオルは、気を取り直して言う。

「わかりました。私も少し本気を出しましょう。」

レニオルは、獲物を捕らえるときのような微笑を浮かべた。
猫顔が故にまるで大好物の鼠を見つけた時のような・・・。



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あの日から・・・。
最初に進藤竜一さんと出会った、あの日から、1週間以上が過ぎていた。
蒼谷くんや水原くんたちと再会して、この建物・・・国家国防省という国の組織の建物に戻ってきて。
進藤竜一さんに、広い部屋を1つもらって。私は、それからずっと、この部屋に引きこもっていた。

この広い部屋には、3人ぐらいはゆったり座ることができそうな巨大なソファや、どこかの国のお姫様が寝るような天蓋付きベッド。
ご丁寧に私の気に入りそうな、かわいらしいクマやイヌやネコのぬいぐるみまで置いてある。
テレビもあるし、テーブルの上にはいつでも使用人を呼べるように電話機まである。
外を見ようと思えば、それなりに広さのあるテラスに出て、景色を眺めることができる。

たぶん、私が結婚して・・・蒼谷くんと結婚して、2人でこんな部屋のある家に住むことができたら、相当幸せかもしれない。



何でも揃っている部屋に、しかし私はほとんど手を付けていなかった。
ぬいぐるみに触れる気も起こらないし、テレビを見る気力も、今の私には無かった。
時折、テラスから外を眺めるぐらいで、他にしたいことも見当たらない。

今日も、私はテラスから外を見る。
ビルが立ち並ぶ都会にあるこの建物は、他のどの建造物よりも高い。
はるか遠くに峰を連ねる山々、遠方に見える青く澄んだ大海原、遠雷や大雨とともにこちらに迫ってくる雲たちまで、
このテラスからは見渡すことができる。

ただ、そんな景色を見ていても、やはり気は晴れない。
私に与えられた”力”を、少しだけ使ってみる。
すると、目に映るあらゆる場所に、黒く澱んだ”何か”が現れる。
”何か”を、進藤竜一さんは【はじまりの魔法の欠片】と言っていた。
【はじまりの魔法】については、既にいろいろと聞かされていたが、欠片、とはいったいどういうことなのだろうか。

進藤竜一さんは、毎日、この【はじまりの魔法の欠片】を見ているらしい。
「見たくないけれど、でも仕方ないんだ」と本人は言っていた。私のようには”力”の行使を選択できないみたいで。
仕方ない、仕方ない。進藤竜一さんは、いつも、そう口にしていた。
運命を変えたい、世界を変えたい、それなのに「仕方ない」と言って、諦めているような素振りを見せる。
それが、進藤竜一さんだった。

最初に遭った時、進藤竜一さんの口から語られた話は、とても信じることの難しいものであったけれど。
それでも進藤竜一さんの眼を見ていて、嘘を言っているようには見えなかったし、
私についての本来知り得ないようなことまで、進藤竜一さんは知っていた。

悲しい悲しい、とても1人の人間が本来背負ってはいけないようなことに、ただ一人押しつぶされそうになっていた進藤竜一さんを。
そんな進藤竜一さんを・・・私は見捨てることが、できなかった。

蒼谷くんには、申し訳ないことをしたなぁ・・・と思う。

できることなら、蒼谷くんもこちらに連れてきたかった。一緒に、この景色を見たかった。
進藤竜一さんを助ける手伝いを、一緒にしてほしいと思った。
でも、そう簡単に物語は進まないようで。

そして、そのたびに進藤竜一さんは悔やむ。
自分の判断が間違っていたんじゃないか。自分の行動が間違っていたんじゃないか。

・・・もしかしたら、進藤竜一さんは、ずっと。ずっとずっと前から、そうだったのかもしれない。
愛する人を目の前で死なせてしまったこと。世界が滅んでいく未来を知ってしまったこと。



進藤竜一さんの姿を見ていて、私は”あの人”に会いたくなった。
会ったところで・・・私は何もできないかもしれないけれど。



「大海なぎささん。夕食は、いかがいたしましょうか。」

テラスに居た私に、部屋の中から使用人が声をかけてきた。
私は少し考えた後「パスタかなぁ・・・」とつぶやいた。特に理由は無いのだが、何かしら食べないと人は生きていけない。
とりあえず、少しでも栄養がつくものであれば、なんでもかまわなかった。
たまたま、この前蒼谷くんと2人で行ったイタリアンのレストランで出てきたパスタを思い出したから、それだけ。
その時は「私、イタリアンが食べたいの」なんて可愛らしく言った気がする。

「かしこまりました。」

使用人はそういうと、部屋を出ていく。
それと入れ替わるように、進藤竜一さんが入ってきた。使用人は、進藤竜一さんを見て、会釈していく。

「少しは、落ち着いたかい?」

そのままテラスに出てきて、私の横に並んだ進藤竜一さんはそう言った。

「この空を見ていると・・・明日も同じ空であって欲しいって、思う。」

私はそう呟いた。

「残酷な呪いに塗れた空を見ても、君はそれを言うことができるんだね。」
「それでも、この”黒”が今日より深く世界を覆わなければ良いな・・・。」

そうは願っても、実際のところは叶わぬ願いかもしれない。
昨日よりも、一昨日よりも、この世界の至る所にある黒い【はじまりの魔法の欠片】は増え続けている。
このままいけば、【はじまりの魔法の欠片】が世界を覆い尽くしてしまうかもしれない。
それが世界にどのような影響を及ぼすのか・・・。
みつきが、【はじまりの魔法】が、それとどのような関係があるのか、それはわからないけれど。

「・・・大丈夫さ。すぐに、とは言えないけれど。それでも、きっと世界は救われる。僕が救うんだ。」

進藤竜一さんは微笑を浮かべているけど、それは私をごまかすための仮面じゃないかな、と思う。
きっと、心の中では涙を流し続けている。叫び声を上げ続けている。助けを求め続けている。
でも涙を流しても叫び声を上げても、誰も助けてくれないことを知っているからこそ、仮面をかぶっている。

「明日を、手にいれるために。」
「明日を、手にいれるために。」

私と進藤竜一さんは、自らを縛る呪いの合言葉を交わす。
この合言葉を交わし続けられる限り、私は進藤竜一さんを助けていきたい・・・そう思う。



続く