グラサン少女シリーズ外伝 〜僕と私と世界の呪い〜 2



「グラサン少女シリーズ」外伝

〜僕と私と世界の呪い2〜



〜1〜 【狂い、呪い、異界】


狂っている。あまりにも狂っている。
まるで、世界中の狂気がここにあるんじゃないかとおもうぐらい、この場所は狂っている。
とても暗い、僕の目の前に広げた手のひらさえ見えない。

この暗闇にいる限り、僕は狂い続ける。
この暗闇にいる限り、僕は彷徨い続ける。

手足の感覚が研ぎ澄まされていくのがわかるのに、視界は良くならない。
頭がどんどん冴えわたっていくのがわかるのに、狂いは無くならない。

これは呪いだ。
世界を滅ぼすほどの力を持った呪い。
この呪いを作ったのは、ほかの誰でもなく、僕自身だ。
僕が自分で作り出し、自分でかかった呪い。
自分の動きを制御するために、自分が道を間違えないようにするために、かけた呪い。

どこからともなく声が聞こえる。

【あぁ、君はなんてすばらしいんだろうか。人間というものは、これほどまでに、
 自分の力だけで狂いながら前に進むことができるのか。】

声は、感動するように言ってくる。
まるで喜んでいるようだ。でもどうして彼が喜んでいるのだろうか。

【私は今まで君のような人間に会ったことがないからだよ。
 いや、君を人間と呼ぶのはもはや失礼かもしれないね。
 あの右京家の娘とはまた違った方法で、君は人間を超えた存在になりつつある。
 私は・・・それに直接立ち会うことができてうれしいんだよ。】

僕が、人間を超えつつある・・・か。
確かに体中から感じる異常なまでの感覚の鋭さには、どこか人間を逸脱している感じはある。
だけど、僕はまだ人間のはずだ。人間として、ずっと生きてきたのだから。

【でも君は人間をやめた。いや、やめざるを得なかったんだ。
 それを君はもう理解していると思っていたけど・・・そうじゃないのかい?】

僕は理解していたのだろうか。
やろうとしていることの途中に、僕が人間をやめなければならなくなる理由があったのだろうか。
わからない。他のことには冴えわたる僕の頭は、それを考えた時だけ機能が鈍化するのだ。

【それが呪いさ。君が自分でかけた呪い。
 君は、人間をやめなければならなくなった理由を見つけることはできない。
 そういう呪いを、君は自分でかけたのだから。】

あぁ・・・そうなのか。
それじゃあ、僕はこの現実を受け止めて前に進むしかないのか。

【そうだよ。さぁ、はじまりの時は近づいているよ。
 『はじまりの魔法』は、もうすぐ動き出す。そうすれば、君が望んだ世界が創れる。
 あともう少しだけ、君が必要なことをすれば、もう世界に絶望することはないよ。
 君が世界を救うんだ。さぁ、はじめよう。】

そうだ、はじめよう。
世界に絶望する必要がなくなるように、『はじまりの魔法』を使って、世界に呪いをかけよう。
それが成功すれば、もう誰も辛い思いをしない。誰も世界に絶望しない。
あぁ・・・なんてすばらしい世界になるんだろう。

僕は、目を閉じて、再びこの暗闇に身を委ねた。


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「水原。確かに、夕波みつきはそう言ってたのか?」
「・・・」

僕は目の前の和服の美女にそう尋ねられて、返答に困ってしまった。

ここは、古来より幽霊や化け物退治を専門としてきた「右京家」という特殊な家系の屋敷。
その屋敷の一番広い畳敷きの部屋の中央で、僕「水原月夜」と、右京家の当主「右京こまち」は、
向かい合って座っていた。

時は夕刻。外に見える庭の池には、夕焼け空の赤が反射して映っている。
普通なら、この夏の季節。蝉などの虫の鳴き声が騒々しくしていてもおかしくはないのに、
なぜかこの屋敷の中にいる間は、それらがまったく聞こえない。
そんな一種の不思議な空間に、僕と右京こまちは2人でこの広い平屋の屋敷に住んでいた。
右京こまちの下に、僕は半ば無理やり押しかける形で、ここにやってきたのだ。
最初は、右京こまちは僕がいることをよく思っていなかったみたいだったが、
「夕波みつきについて得た情報を提供する」という係を僕がやっているために、
やむを得ないと判断したのだろう、ここのところはそれほど不快感を露わにするようなことは無くなった。
・・・心の中でどう思っているかはわからないが。

「黙っていては話にならないな。」
「・・・すみません。確かかどうかと聞かれると少し怪しいんですが。」
「ならば聞き方を変えよう。夕波みつきは、おかしな独り言を言っていたんだな?」

右京こまちが僕から聞き出そうとしているのは、僕や夕波みつきが入っている
写真同好サークルの夏季合宿での1件についてだった。
夏でも大雪が降るというおかしな山「清宮山」に、僕たちは行ったのだが、
そこで、滞在していたロッジ内で殺人事件に遭遇してしまったのだ。
不幸中の幸いというべきか、犯人は無事見つかり、逮捕されたのだが・・・。

その時ぐらいから、夕波みつきは度々独り言を言うようになっていたのだ。

何を言っているのかは、断片的にしか聞こえなかった。
あまりにも小さい声で何かを言っていたのだ。
最初は、殺人事件の推理か何かだと思っていたのだが・・・

合宿から帰ってきても、その独り言を言っている姿が時折見られたために、僕は不思議に思ったのだ。
夕波みつきの性格や行動パターンを数年調べてきた僕だが、それまで独り言が多いという部分を
見つけることは無かった。僕だからこそ、そのおかしさに気づいたのだ。
ただ、僕が調べていた情報が完璧とも限らない。だからこそ、それが確かであるかどうかはわからない。

「・・・少なくとも僕は、おかしな独り言だと思います。」
「ふむ・・・水原がおかしいと思うのなら、きっとそうなんだろうな。」

右京こまちはそう言って肩をすくめる。
どうも右京こまちは、人間観察に関しての僕の能力を結構高く評価してくれているようで、
以前に僕が右京こまちに情報を提供したときも、あまり疑うことなく理解してくれた。

「僕の耳がおかしくなければ、幻聴でなければ、の話ですけどね。」
「だが、夕波みつきは独り言のなかで『時間が無い』と言っていたんだろう?」
「・・・えぇ、僕にはそう聞こえました。」
「ならば・・・意外とはやく水原にかけた私の呪いを解除することになるかもしれないな。」

僕にかけられた右京こまちの呪い・・・。
それは、僕が夕波みつきに『烏丸家の呪い』のことなどについて必要以上に話すことができないように、
僕の思考や行動を制限させる呪いだった。

右京こまちは、どうも夕波みつきに呪い・・・たぶん『烏丸家の呪い』がかかっているのを知っているのだろう。
そして、夕波みつきは、自身に呪いがかかっていることをおそらく知らない。
だから呪いがかかっていることを夕波みつきが知ってしまったら、
何かが起こるということを右京こまちは見越している・・・のかもしれない。
あくまでこれは推測の域だ。右京こまちからは、僕もまだあまり教えてもらっていない。
ただ、この推測が当たっている可能性は高い。その理由は、右京こまちが僕に呪いをかけたあとの言葉にある。

『私が良いと言うまで、私はお前の呪いを解かない。
 夕波みつきに秘められた呪いが動き出すまで、私はお前の呪いを解かない。』

これは言い換えれば、右京こまちが夕波みつきに秘められた呪いの全貌を解明して呪いを解除するか、
呪いを解除する前に夕波みつきの呪いが動きだしてしまうまで、僕は必要以上に動けないことになる。

呪いが動き出してしまえば、数々の霊を討伐してきた右京こまちでも対処できない可能性がある以上、
余計な手出しをされて事態が悪化してしまうのをふせぐために、僕に口封じをしたのだろう。
その判断は、今思えば正解かもしれない。

「僕にかけた呪いを解除するとき・・・夕波みつきはどうなっていると思っているんですか?」
「さぁな。最悪の場合、死んでいるかもしれないが。それは、私たちのがんばり次第だ。」

あっさり右京こまちはそう言った。
がんばり次第ということは、まだなんとかなる可能性があるのだろう。
夕波みつきにかけられた呪いを解くことができれば・・・。

「・・・時間が無いと言うのなら、そろそろやるべきことをやっておかなければならないな。
 水原、出掛けるから準備をするぞ。」
「出掛ける・・・ですか? 僕も一緒に?」
「あぁ、そうだ。」

突然そんなことを言われ、僕は驚いた。
部屋を出ようと立ち上がる右京こまちに、いったいこれからどこに行くのかを尋ねる。

「そうだな。異界とでも言っておこう。」

異界、そんな場所に僕はついていくことになるのか。
そこで右京こまちは何かをやろうとしているのか。でも僕がついていく必要があるのか?
これまで右京こまちは、どこに行くにしても、一言「出掛けてくる。2・3日は帰らない。」と言うぐらいだったから、
いったい出掛けた先で何をしているのか、僕はほとんど知らないのだ。
何度か後をつけようと思ったが、屋敷の外を出たところで一瞬にして姿をくらまされてしまっていた。

右京こまちが部屋を出た後、僕は、いったい何の準備をすればいいのかを考えた。
しかし、異界と言うような場所に、どんなものを持っていけばいいのか、あまり見当がつかなかった。
唯一、以前に右京こまちが僕に渡してきた『武器』が1つだけあるが・・・
それが武器だとは到底思えないほど、心もとない物なのだから、正直なところ不安である。

【・・・右京家の娘の気配が消えたみたいだね。あぁ、本当に人間をやめてしまっているみたいだ。
 水原君。君は不安に思っているようだけど、あの右京家の娘の近くに君がいれば、大丈夫だと思うよ。】

そんな言葉が、突然僕の体の中から聞こえた。
この声の持ち主は、『魔神レニオル』という猫の顔を持った紳士の男のものだ。
レニオルとは、右京こまちが屋敷を離れているときに、僕が右京家の封印されている部屋に侵入し、そこで出会った。
僕が欲しいと思っていた力をレニオルがくれる代わり、僕の体の中に一時的にレニオルを匿う、ということで、
僕はその交渉に応じて、現在ともに行動している。

「・・・レニオルさん。異界って、右京こまちは言ってましたけど。
 それって、もしかしてレニオルさんがいた場所のことになりますかね?」
【たぶん、そうだろうねぇ。異界に行って、何をしようとしているのかまではわからないけど・・・】
「レニオルさんは、『烏丸家の呪い』というものは・・・」
【君の体の中を巡っている、この不思議な呪いのことだね。】
「なっ・・・」

僕の体の中を、巡っている?

【非常に似ている呪いなら、私も見たことがあるから、
 たぶんその呪いの派生か何かじゃないかな、と私は思っているよ。】
「ちょっと待ってください。僕にかけられている呪いは、すべて右京こまちがかけた呪いだけじゃないんですか?」
【あぁ・・・君は気づいてなかったのか。君にも、あの夕波みつきって子にかけられているものと同種の呪いがついてるよ。】

僕に『烏丸家の呪い』がかけられている・・・?

【でも・・・】
「でも、ですか?」
【私が見た限り、夕波みつきにかけられている呪いと、水原君に右京こまち、それに大海なぎさと蒼谷ゆいっていう子たちに
 かけられている呪いは、少し形状が違うみたいだね。】
「僕だけじゃなくて・・・右京こまちも、大海なぎさも、蒼谷ゆいも『烏丸家の呪い』が・・・」

これはいったいどういうことなのか。
『烏丸家の呪い』は、夕波みつきだけにかけられていると思っていた。
しかし、レニオルは、僕や右京こまち、さらには大海なぎさたちにまで『烏丸家の呪い』が及んでいるという。
『烏丸家の呪い』は感染するものなのだろうか。

「教えてください・・・。この僕にかけられている『烏丸家の呪い』は、いったいどんな効果があるんですか?」
【う〜ん。今は別に何も悪さをしてないみたいだけどね。
 こういう呪いは、何かが引き金となって発動することが多いから。】

何かが引き金となって・・・。
その引き金が引かれれば、『烏丸家の呪い』が発動するのか。
だがそれはいったい何なのだろう。

【私の予想では、夕波みつきにかけられている呪いが怪しいと思うよ。
 右京こまちが君に口封じをしたこと、夕波みつきの呪いだけ少し形状が違うことなどを考えると、
 夕波みつきの呪いの発動が引き金となって、君たちにかけられた呪いが動き出す・・・かな。】

なるほど、確かにそう考えるのが筋か。

レニオルの仮説が正しければ、僕が右京こまちと最初に会ったときの時点で、
僕に『烏丸家の呪い』がかけられていることを見抜いていて、僕に口封じさせたことになる。
口封じをさせたのは・・・レニオルが言った「右京こまちにも呪いがかかっている」ことに関連するだろう。
烏丸家の屋敷で最初に会ったとき、もうすでに右京こまちは『烏丸家の呪い』にかかっていたとすれば、
僕が余計なことをして、夕波みつきの呪いを動かしてしまうことを止める必要があったに違いない。
右京こまちが、どこまで『烏丸家の呪い』について知っているかはわからないが、
僕に口封じの呪いをかけることぐらいできるのだから、ある程度知っているのだろう。

「・・・助かりました。レニオルさん。これでもう少し僕は動きやすくなりそうです。」
【君が動けるようになってくれれば、私としても助かるからね。私が知っていることなら話そう。】
「・・・はい。」

レニオルが、何を目的として僕の体の中に隠れているのか、それはいまだにわからないが、
僕の思考の及ばない部分もしっかり補完してくれている限り、僕にとっては利用価値がある。
もしかしたら逆に利用されているのかもしれない。でも、そこは運命共同体の関係だから、あまり問題ないはず。
レニオルとしても、僕という存在は必要不可欠なはずだから。

「・・・さて、それじゃあ異界とやらに行く準備をしましょうか。」

そうつぶやいて、僕は自分の部屋に向かうのだった。
気が付くと、外はもう日が落ち、月が浮いていた・・・



>>>



「異界は・・・この先にあるんですか?」
「あぁそうだ。」

右京こまちは、目の前にある黒い穴から目を離さずに、そう言う。
ここは、右京家の普段は封印されているという部屋。
僕とレニオルが出会った部屋でもある。

目の前にある黒い穴の向こうは、禍々しい何かが渦巻いている。
ただならぬ気配が僕にも感じ取られる。この前レニオルと出会ったときより、
その嫌な感じは強くなっているような気がする。

「・・・僕、準備と言われても大したものは持ってきていないんですが、それでも大丈夫でしょうか?」
「じゃあ問うが、心の準備はできているのか?」

そんなの、当然できていない。
いつだって心の準備なんてできていない。何が起こるかわからないのがこの世界なのだから。
でも、僕の心の準備なんて関係なく、世界は回り続けている。
時は、世界は、待ってくれないのだ。
僕はそれにとりあえず従うしかない。いつ死ぬかもわからないのだから、流れにせめてうまく乗れるように
なるべく良い立場を保ち続けて少しでも生き残れるようにあがく他ない。
だからこそ、僕は言う。

「・・・僕の心の準備が出来ていなかったら、そもそも僕はこの場にはいません。」
「その通りだな。」

逃げ出したい気持ちはあるけれど、残念ながら僕は逃げることができない。
逃げてしまえば、好きな人を救うことはできないからだ。

「それじゃあ行くぞ。水原、手を貸せ。」

右京こまちに言われるがまま手を差し出すと、その手に右京こまちの手が重なる。
そのまま引っ張られて・・・

「目を瞑れ。少し酔うかもしれないが、なんとか耐えろ。」

目を閉じた僕はそのまま引っ張られて数歩前に進むと、突如、宙に浮いた感覚が全身に襲いかかった。
なんだこの妙な感覚は。とてもふわふわする。
と、思ったら、今度は全身が押しつぶされそうな感覚に変わる。
頭が、お腹が、強く締め付けられるような・・・。
思わず目を開けてしまいそうになると、

「目を開けるな、死にたいのか。」

そんな右京こまちの声が聞こえて、なんとか耐えた。
度々起こる、体を襲ういろいろな感覚たちに耐え続け、どれくらいが経っただろうか・・・。
とてつもない体のだるさから解放され、僕の足に何かがついた感触がした。
地面・・・だろうか?

「・・・もう目を開けても良いぞ。」
「はい。」

恐る恐る、目を開ける僕。
目の前に開けた視界には、まるでどこかのスラム街のような赤レンガ造りの建物が左右に並んでいて、
空は真っ黒な雲に覆われている世界が広がっていた。
地面には、あらゆるゴミが散乱していて、不快な臭いがこのあたり一帯を包んでいるようだ。
思わず鼻をつまみたくなる。
ずっと僕の手をつかんでいた右京こまちは、いつの間にか手を放していて、隣に立っていた。

「・・・ここが異界ですか?」
「あぁ。黄泉、冥界とも呼ばれている。」
「もっと荒廃した場所かと思っていましたが、意外とまともなんですね。」

すると、右京こまちは空を覆う黒を見ながらこんなことを言う。

「・・・昔は、人間も住んでいたからな。」
「人間が・・・ここに?」

右京こまちはそれ以上何も言わず、歩き始めた。
僕は数歩後ろから、追うように歩く。

左右にある赤レンガ造りの建物は、ほとんど隙間なく並んでいて、やや圧迫感を感じる。
あまり、良い気持ちはしない。まぁ当然か。
しかし・・・人間どころか悪霊すらも見当たらない。
異界というのだから、もっと魑魅魍魎が蔓延っているのだと思っていた。
今、僕の体に匿っているレニオルのようなやつが少しは居てもおかしくないはずなのに。
そう考えながら右京こまちの後ろを歩いていると、

「水原、しゃがめっ!」

突然そんなことを言われて、とっさにしゃがむ。
お出ましだろうか? そんな悠長なことを考えてしまうが、右京こまちと一緒にいるときは
大抵悪霊の10体や20体に襲われることはたまにあったので、こんなことにはもう慣れてしまっていた。

僕の頭上を何かが通り過ぎる。
前もそうだったが、悪霊というのは頭部を狙うのが好きなのだろうか。

通り過ぎた何かを、右京こまちは腰に下げていた、刀身を包帯で巻いた刀で受け止める。
刀で受け止めているそれは・・・やや大きめのクワガタ虫だった。

「んっ!」

右京こまちは、刀を掃い、クワガタ虫を赤レンガの建物の方へ弾き飛ばす。
とんでもない速さで飛ばされたクワガタ虫は、建物の壁に見事な穴を開けてどこかへ行った。
いったい、どんな敵が現れたのだろうか。
そう思って、僕はクワガタ虫が飛んできたと思われる後ろを振り向く。

しかし、誰の姿も・・・

「水原、私の後ろに隠れていろ。」

僕の前に、右京こまちが立ち、何かを警戒している様子で刀を構えた。
今気づいたのだが、左右に赤レンガの建物の並ぶこの道は果てしない直線のようで、
前も後ろも、地平線の彼方まで見えるほど、同じような景色が続いていた。

「・・・どうやら面倒な相手にさっそく見つかったか。」
「大丈夫、ですか?」
「どうだろうな。」

話している間も、警戒をまるで解かない様子を見ると、どうも本当に面倒な相手みたいだ。
ここまで緊張感を持っている右京こまちの姿を、今まで見たことが無い。

「くっ!?」

いきなり、右京こまちが刀を何度か大きく振る。
1度振るたびに、何かが刀にぶつかる音がして、また左右の赤レンガの壁に穴を開けていく。
さっきはクワガタ虫が見えていたが、今度はまるで何も見えない。
どんどん右京こまちは刀を振るスピードを上げていく。僕の眼には、もう残像しか見えない。
そこで・・・

突然右京こまちの長い髪の右側が何かにバッサリ斬られた。

「・・・ちぃ」

それでもなお、右京こまちは刀を振り続ける。残像すら見えないスピードで。
もはや人間の域を超えている・・・にも関わらず、右京こまちは目に見えて劣勢だった。
しかし、僕にはどうすることもできない。ただ、見ていることしかできない。

何に攻撃されているのか、相手はどこにいるのかもわからない。
このままでは右京こまちも、僕もこの攻撃の前に殺されてしまうだろう。

「水原・・・少し、離れて・・・いろっ。」
「はい。」

言われるがまま、右京こまちから10歩ほど離れて、距離を置く。
右京こまちは、刀を振りながら、少しずつ前に進みだした。

「空蝉の共鳴っ!」

そう、右京こまちは叫んだかと思うと、右京こまちの姿が霞んだ気がした。
次の瞬間、耳を鋭く刺すような甲高い音が響きわたり、僕は思わず耳をふさぐ。
周りの建物の壁に、ヒビが次々と入っていく。いや、壁だけじゃない。
僕たちが立っているこの道にもヒビが入る。

数秒してそのノイズが消えると、離れて立っていた右京こまちは刀の構えを解いていた。
見えない攻撃は終わったのだろうか。
右京こまちに、僕は駆け寄っていく。

「・・・終わったんですか?」
「とりあえず、今の攻撃はすべて無効化した。」
「・・・見えない攻撃たちは一体なんだったんですか?」
「あれは、一種の超音波だ。それも虫が出す鳴き声を超音波にしたもの。
 私が放った【空蝉の共鳴】は、呪いの1つでな。ある空間一帯における、虫の鳴き声をすべて、
 無効化するという呪いだ。これで相手は、虫の鳴き声を使った音波攻撃はできない。」

虫の鳴き声を無効化する呪い・・・おそらく、右京家の屋敷に虫の鳴き声が聞こえなかったのも、
この呪いが働いていたからなのだろう。

敵は、虫使いか何かなのだろうか?

「それで、敵はどこに?」
「さぁな。まぁこちらが攻撃を無効化したから、それを感じ取って一旦退散したかもしれない。
 先に進むぞ。こっちだ。」

右京こまちは、歩きながら、斬られてしまった髪を整えようとして、
しかしそれがどうにもならないと思ったのか、それとも面倒だと思ったのか、
結局途中で整えるのをやめてしまった。
長かった髪は、右側だけがバッサリと無くなっているために少々不格好になってしまっている。
そんな右京こまちの後ろ姿を見ながら、僕は付いて歩いていった。



続く