グラサン少女シリーズ外伝 〜僕と私と世界の呪い〜 1



「グラサン少女シリーズ」外伝

〜僕と私と世界の呪い〜



〜1〜 【世界を覆う呪いのはじまり】


右京家というのは、代々、幽霊退治を専門とする特殊な家系であった。
その歴史はかなり古く、右京家に伝わる唯一の家系図の祖先は神であった、ということになっている。
そうなっているだけであって、実際のところはわからない。

そして右京家の存在は、大っぴらにできるものではない。
霊に困り果てた人々の、ある種の駆け込み寺としての役割こそあれど、
右京家の存在が霊に広く知れ渡れば、それだけ任務をこなしにくくなる。

近年・・・特に明治期以降は、そんなわけから依頼が減少していた。
霊の力が強まっていること、文明開化から科学技術が発達し、
霊の存在が否定されはじめていることなど、いくつか原因はある。

だから、現在はおもに政府から仕事を請け負って、家系を継続させているのだが・・・


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「かはっ・・・かはっ・・・」

口から滴り落ちる赤い液体。
鉄の味が、味覚を超えて、全身を襲う。

今の攻撃で、肋骨が折れたか・・・
肺に骨が刺さっていなければいいのだが。

目の前には、右京家の当主・・・私の父上がいる。
腰には木刀が携えられており、両手には何も持っていないのだが、その手から繰り出される拳打は強い。

「どうした、こまち。その程度か。」

その言葉に、立膝をついていた私は立ち上がる。
全身に激痛が走る。しかし、動かなければ、一方的に父上に攻撃されるばかりでやがて私は死んでしまうだろう。
目の前にいた父の姿が突然消える。次の瞬間には、私はどうされたのか、宙に投げ飛ばされた。
床にそのまま叩きつけられると、再び父上が目の前に現れ、私の頭を床に強く押さえつけた。

「抵抗しなければ、死ぬぞ?」

父上は、どこから取り出したのか、白く細長い包帯のような帯を持ち、唱えた。

「呪いよ、光の呪いよ、この者を犯しつくせ。」

包帯が黄色く輝き始める。光の呪いだ。
呪われた者の視界を奪い、意識を奪い、やがて命を奪う。
最悪の呪いの1つだ。
その包帯が私の首に向かって飛んでくる。

「させ・・・るか!」

片手で、私の頭を押さえつけている父上の手をつかみ、もう片手で、私の腰から父上の持っているものと似たような包帯を取り出す。

「黄泉よ、冥界よ、その呪いを・・・消し飛ばせ!」

私の持っている包帯が紫色に輝き始めて、私の方へ飛んでくる父上の包帯に向かって飛び、呪いを打ち消す。
互いの包帯は力を失い、そのまま床に落ちた。

「それではまだこの状況は代わりは・・・ん!?」

父上は私に捕まれていた手を振り払って、私の頭から手をどけて、私から距離をとった。
私はなるべく痛みが起こらないように、ゆっくりと起き上がる。

「あぁ・・・あともう少しで私の勝ちだった・・・」
「・・・そうだな。」

父上は、私に捕まれていた自分の手首を見る。そこには紫色の斑点模様がついていた。

「なるほど、『紫炎帯』は囮か。わずかな時間を稼いで、私自身に呪いを送り込もうと。
 良い判断だ。だが、まだまだ甘いぞ、こまち。」

父上は再び何かを唱えると、持っていた包帯が再び黄色く輝き始めた。
しかし先ほどとは違い、その包帯は勢いよく父上の手首の斑点模様の部分にからみついたかと思うと、その輝きを増した。
数秒して輝きを失った包帯をほどくと、そこにはもう斑点模様は無かった。

「悪霊どもは、ますます力をつけている。我ら右京家も力をつけなければ、やがて世界は悪霊どもに飲み込まれる。
 我ら右京家は、幸いなことに倒した悪霊どもの力を奪い、自分のものにする能力が代々伝わる。
 こまち、お前が悪霊を倒せば倒すほど、お前は強くなるのだ。それを忘れず、精進しなさい。
 ・・・そうすれば、悪霊どもから世界を守ることが出来るだろう。」
「・・・はい。父上。」

父上は、また包帯を構え、何かを唱える。
すると、その包帯は、私の方へ飛んできて、体の損傷の酷い部分を中心に巻きつき、黄色く輝き始めた。
心地よいエネルギーが包帯から伝わってくる・・・治癒の魔力だ。

父上は、歴代の右京家当主のなかでも、抜群の才能を発揮している。
6歳ですでに、私の祖父・・・前の右京家当主を軽く凌駕していたというのだ。
そして、11歳・・・歴代最年少で、右京家に伝わる『魔束帯』と『影桜』という2つの武器を受け継いだ。

『魔束帯』とは、この私の持っている『紫炎帯』、父上の持っている『黄光帯』などの包帯の総称を意味し、
古くより右京家に伝わる、魔の力、霊の力を使用することができる。
定められた詠唱を行うことで、その力を発揮し、呪いの発動、相手の行動の制限など、多方面で活用することが出来る。
使いこなせるようになると、念じるだけで『魔束帯』が自在に動くというのだが、私はおろか、父上でさえ、
それを成し遂げたことはない。

そして『影桜』とは、右京家の当主だけが使うことを許された呪われし刀である。
この刀には曰くつきが多く存在するのだが、そのなかでもこの刀の誕生が一番の問題とされている。

まだ世界に数多くの魑魅魍魎がいたはるか昔、のちに紅天聖と呼ばれるようになる魔物討伐の剣士がいた。
紅天聖は、悪霊、化け物、呪い、あらゆる邪悪なものを多く斬り倒し、世界を救うが・・・
ある蜘蛛の化け物を切り裂いた時に刀にかけられた呪いによって、紅天聖は刀の力に酔いしれてしまい、
1人の息子とその刀を遺して、呪い殺されてしまった。
その息子は、紅天聖が使っていた刀を、誰にも奪われないように・・・
誰も呪い殺されてしまうことがないように、大切に保管し、次の代へ受け継いだ・・・。
そして、私の父上の代。そう、私と父上はその紅天聖の子孫にあたるのだ。

決して使うことを許されない、受け継ぐだけの刀。それが『影桜』だった。



「・・・さて、こんなものでいいだろう、こまち。」

『黄光帯』による治癒が終わり、私は解放される。
立ち上がっても、どこにも痛みを感じなかった。折れたと思われる肋骨も、治っていた。
『魔束帯』の持つ治癒能力は、使いこなすことが難しく、少し間違えば、治癒するはずの場所にダメージを与えてしまう。
それをいとも簡単にやってしまう父上は、私の誇りであった。
父上のようになりたい・・・そう思いながら育ってきた。

「こまち、お前の成長は、私ほどでは無いにしても、申し分ない伸びを見せていると、私は思っている。
 13歳で『魔束帯』を習得。15歳で、ある程度強力な呪いに対しても抵抗力を見せ・・・
 そして、お前は今日で20歳を迎えた。今までよく・・・生き延びた。」

そう、私は今日で20歳になったのだ。
20年・・・私は多くの肉体的精神的鍛錬や、呪いに対する耐性の育成を行い続けてきた。
思えば、よくここまで来れたものだ。死ぬ思いを何度もしたが、それらをすべて跳ね返し、ここまで・・・

「・・・総合的な能力では、6歳で当主になったころの私と・・・ほぼ同等といったところか。
 肉体的な部分では、性別の問題も少なからずあることを考えると少し劣るが。
 それでも、お前には呪いに対する耐性が、異常なほどに高いことがある。誇るべきことだ。」

呪いに対する耐性というのは、実戦で・・・悪霊などと戦うときにまず重視される要素である。
どれだけ高速で移動できたとしても、どんなに硬い金属をも切り裂く力があったとしても、
物理現象によらない呪いというものの前では意味を成さない。
霊の放つ力、呪いを跳ね除け、はじめて身体能力が発揮される・・・。
しかし、呪いに対する耐性は、本来その強さのほとんどが先天的に決まってしまい、
後から育成してもほとんどと言ってもいいほど伸びないのだ。

だけど私の場合は、なぜかその強さが異常に高く、鍛錬を重ねるほどに強さをどんどん増していた。
いつしか、父上の放つ、ほとんどの呪いに対してまでも耐性がついてしまうようになり、
先ほど父上が放った、人を直接死に至らしめるような、よほど強烈な呪いでなければ、
鍛錬の意味がないほどに成長してしまった。

「・・・あと少し、あと少しでお前に『影桜』を継がせることができるだろう。
 それまでの辛抱だ。全力で、生きろ。」
「・・・はい。父上。」
「今日の鍛錬はこれで終わりだ。明日も早い。ゆっくり休め。」

そう言い残し、父はこの鍛錬専用の部屋を出ていった。
途端に力が抜け、その場に私は座り込んだ。
1つの判断を間違えれば、死につながる厳しい鍛錬。
精神的にも肉体的にも極限状態まで追い込まれる。死と隣り合わせの鍛錬。

しかし、これはまだ鍛錬だから良い方なのだ。
実戦になれば、敵は容赦ない。少しでも隙を見せれば、魔を、呪いを放ってくる。
以前、最下級の霊と実際に戦闘を行ったときも、危うく強力な呪いによって殺されかけた。
最下級とはいえ、人間の域をはるかに超えた存在。人を狂わせる大半は、最下級の霊の仕業だ。
恐怖の底に陥れる悪霊から、人間を守る・・・それが、右京家の・・・

「役割・・・」

いずれは、右京家当主として、その役割を担っていかなければならない。
そのためには、強く、もっと強く。

そこで、部屋の襖が開き、妹のゆかりが入ってきた。

「こまち様。ご夕食の用意が整いました。準備ができましたら、居間の方へいらしてください。」
「わかった。ありがとう、ゆかり。」

そう言うと、ゆかりは下がっていった。
ゆかりは、私の3つ下の妹だが、直接血がつながっているわけではない。
いわゆる養子というもので、3・4年ほど前に右京家にやってきた。
元々は、右京家の遠縁の家系の娘だったのだが、年頃になった私の世話をする人間が必要だということで、
父上がゆかりを引き取って迎え入れたのだ。
それまで一人っ子な上に、学校というものにも行ってなかったため、話し相手がいなかったのだが、
ゆかりが右京家にやってきてからは、私の一番気の許せる人物になっていた。

「と言っても・・・ゆかりは私と距離を置いてるけどな・・・」

そのことに、私は少し寂しいと思う。
今まで話し相手がいなかったぐらいでは、そんな感情は私の中に存在しなかった。
しかし、ゆかりが現れてから・・・はじめて寂しいという感情を知った。
きっと、まだまだ私の知らないことはたくさんあるのだろう。外の世界さえほとんど知らないのだから。

まともにこの屋敷の外へ出たことさえ、鍛錬以外の場では無い。だから、外へ出るときはいつも父上と一緒だった。
そうしなければ、私は次々と悪霊に襲われてしまうかもしれないからだ。
右京家の人間は、その名前を悪霊たちの世界に轟かせている。
悪霊退治の専門家として、長い歴史を経るうちに、悪霊たちとは完全に敵対する形となってしまっているのだ。
そして悪霊や呪いから私たちを守っている屋敷を出てしまえば、何が起こるかわからない。

外へ出てみたい、そういう気持ちはあるのだが・・・


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ある日、私は右京家の屋敷に代々伝わる、鍛錬の部屋に入って心身を鍛えていた。
冥界とつながっているこの部屋は、普段は封印されているが、その封印を解けばたちまち悪霊たちが乗り込んできて、
呪いを、魔を、この世界に放ってくる。
私は、乗り込んでくる悪霊たちを次々と倒し、その力を我が物としなければならないのだ。
もしも1体でも悪霊がこの部屋を突破し、右京家の屋敷を出てしまえば、世界がどうなるかわからない。
最初にこの部屋で私が修行したときは、私の力が悪霊たちに及ばずあっさり精神を破壊されてしまいそうになったが、
危ないところで父上が私を助けてくれて、なんとか死ぬことは免れた。
そういう、死と隣り合わせの修行の場・・・それがこの部屋だった。

今も、この部屋の封印を解いた私は、次々と異界とつながる黒い穴から出てくる悪霊たちを『紫炎帯』で捕縛し、
悪霊たちの力を吸収していく。
こうして、どんどん私は呪いに犯され・・・人間ではなくなっていくのである。
でもそれが怖いとは思っていない。父上のように、紅天聖のように、邪悪な者たちから人間を守れるようになりたいのだ。
小さいころから、ずっとその目的のために生きてきた。恐怖よりはむしろ、一種の誇らしささえあった。

「ズギャアアアアアアアアアアァァグルアアアアアア!」
「・・・おっと、こいつはなかなか」

今、『紫炎帯』で捕縛した、巨大な鋏を持った黒い蟹の霊から、やや強力な呪いの叫びが発せられて、思わず私はそうつぶやいた。
呪いにかなり耐性を持っている私でも、これは少し面倒だ・・・と思うぐらいの威力。
私の体中に呪いが駆けずり回り始め、両足がガクガクと震えだす。しかし・・・

「この程度か。足止めにすら・・・ならないな。」

少し足に力を入れただけで震えが収まる。体を犯していた呪いの力が弱まっていく。

「黄泉よ、冥界よ、邪な者の力を祓え」

そう唱えると、『紫炎帯』は紫色に輝き始める。今度はこちらが黒い蟹の霊に呪いを送るのだ。
それまで激しく暴れていた黒い蟹の霊の動きがおとなしくなり、その姿がどんどん薄くなっていく。
完全にその姿が消えると、『紫炎帯』を手元に引き戻した。

最近は、ここから出てくる悪霊のほとんどは軽くあしらうことができるようになり、私と対等に渡り合える悪霊はいなかった。
千の霊、万の悪の力を奪っていくうちに、私はかなり高い位の悪霊まで倒せるようになっていた。
あともう少しで、若き頃の父上の力と同等になる。そうなれば、私は・・・

そこで、異界とつながる黒い穴から、新たな悪霊の気配を感じた。
・・・さっきのより、だいぶ強い力を持った悪霊か。

「さぁ、今度は何が・・・っ!?」

とっさに私は危険を感じ、右に跳躍する。
次の瞬間、私が1秒前にいたところに突然無数の火の玉が飛んできて、爆裂した。
その衝撃で跳躍していた私は大きく吹き飛ばされた。

「うぐっ」

壁に叩きつけられ、床に倒れる。とっさに受け身態勢を取っていたにもかかわらず、腕と足に激痛が走った。
右腕は、薄く火傷を負ってしまっている。
すぐに立ち上がろうとするが、足のダメージが思ったより深刻だったために、足元がふらつく。
部屋を見渡すと、黒い穴から、周りに鬼火を従えている、猫の顔を持った長身のスーツ男が出てこようとしていた。

「あらあら、避けられてしまいました。人間でその反応。さすがは右京家と言ったところでしょうか。」

猫男の口から、妙に高いそんな声が発せられた。
黒い穴から出てくるなり、こちらを向いて、やや猫背で立っている。

「でも、ダメージはあるみたいですねぇ。どうです?痛かったでしょう?」
「あぁ・・・痛いな。」
「今まであなたたち右京家に倒されてきた私の同志たちは、みな痛い思いをしたのですから、
 あなたにもその痛みを少しぐらい理解していただきたいと、前々から思っておりましたよ。」

そう言って猫男は笑う。

「さてさて。人間に用はありません。おとなしく・・・はははっ、死んでください。」

猫男は右腕を上に振り上げる。すると、猫男の周りを浮いていた鬼火たちが叫び声をあげながら、
一斉にこちらに襲い掛かってきた。その数、ざっと見ても30以上。

「くっ・・・」

ふらつく足を何とか動かし、迫りくる鬼火たちを避けようとする・・・が。

「おっと、どちらへ行かれるのでしょうか?」

一瞬にして猫男に先回りをされ、退路をふさがれてしまう。
猫男は、嫌らしいほどにするどい笑みを浮かべる。口からは八重歯が見える。

「死んでください・・・といったはずです。」

そう言って睨まれると、私は指1つ動かすことができなくなった。
金縛り・・・それもかなり強烈な分類。私の力をもってしても、解呪するのに時間を必要としてしまう。
こんなところで死ねば、父上はどれだけ悲しむだろうか、ゆかりはどれだけ悲しむだろうか。
いや、悲しんでいる余裕はないかもしれない・・・。こいつはきっと、父上たちにも襲い掛かるかもしれない。
そう思っている間にも、鬼火がこちらへ迫ってくる。
鬼火1つ1つが禍々しい邪気を持っている。こいつらを退治するだけでも私一人の力では・・・

死を、覚悟したその瞬間、一瞬にして鬼火たちが消え失せ、私の金縛りは解ける。
体の自由が効く。何が起きたのかわからないが、とりあえずは猫男と間合いを取った。

「んん? なんでしょう、私の鬼火が少し消えてしまいました。おまけに金縛りまで消えて・・・これは。」
「すまないが、私の娘に手を出さないでくれるだろうか。」

そんな言葉が聞こえ、私の肩に誰かの手が置かれた。
後ろを振り向くと、そこには父上がいた。かなり厳しい表情をしている。
父上は、私を後ろに隠すようにかばい、猫男に対峙した。

「願わくば、お引き取り願いたいところですよ。『九神霊』の1人、魔神ミニョルフさん。」
「おやおや、私を知っているようですねぇ。ということは、あなたが右京家の当主ですか。
 これはこれはお初にお目にかかりますねぇ。あなたのお噂はよく聞いてますよ。」
「・・・」

父上から、確か以前に『九神霊』については聞いていた。その話では・・・

この右京家の鍛錬の部屋からつながる異界は、その『九神霊』によって支配されている。
『九神霊』は、最高位の霊で、その力でかつて世界を支配していたが、私たち人間の手によって世界を追われ、
異界に移り住み、そこで人間たちへの反撃の機会をうかがっている。
人間が今住んでいる世界と異界をつないでいる場所はいくつか存在するが、その中でも、
右京家の鍛錬の部屋にある黒い穴が一番大きい。
そのため、強大な悪霊などが何度もこの穴を使ってやってこようとするため、
かつて『九神霊』の1人『魔神ミニョルフ』が使役していた巨大な蜘蛛の化け物を退治した、
あの紅天聖の、子孫である私たちが、代々この穴から出てくる悪霊たちを封印している。

というものだった。
その時の話に・・・この猫男の名前、魔神ミニョルフも出てきていた。
ということは、紅天聖がかつて倒した蜘蛛の敵討ち・・・だろうか。

「右京家・・・あの忌々しい剣士の子孫。私の大事な大事な1番の手下を倒した、剣士の子孫。
 1人残らず消す必要があるのですが・・・まぁ、それは良いでしょう。」
「・・・どういうことだ? いったい何しに来た。」

父上の問いに、ミニョルフは高らかに笑う。

「ははははっ! 何しに来た? 何しに来たと? まったく知らないんですねぇ、その様子だと。
 あの剣士の子孫にしては・・・ずいぶんと劣って見えますねぇ。」
「なにをっ!?」
「まぁ、知らない方が良いかもしれませんねぇ。人間たちにとっては。
 知ったところで救いは無いんですから。本当に哀れな存在ですよ、まったく。」

呆れたように首を振る。明らかに馬鹿にされているようで、私は腹が立った。
しかし、一歩踏み出そうとした私を、父上は手で制した。

「・・・何がいいたい、ミニョルフ。」
「そんなに知りたいのなら、お教えしましょう。ですがきっと後悔しますよ?
 知らなければよかった。なんでそんなことを教えたんだ・・・と。
 そしてあなたは自ら死を選ぶ。いや、死よりもなお辛い道を選ぶでしょう。」
「死を、選ぶだと? ふざけるな。」
「ふざけてなんて、いませんよ? 真実を言ったまでです。
 もったいぶるのは、どうやらあなたが今にも斬りかかってきそうなのでやめておきましょう。」

そうして、ミニョルフは今までで一番の笑みを浮かべる。

「あなたもご存じでしょう? 最高位の霊である私たち『九神霊』に関われば、逃れられない死があると。
 そういう言い伝えを先祖代々してきているのでしょうから。右京家のみなさんは。
 ・・・しかし、あなたはそれの本当の意味を知らない・・・。知っているのなら、もう気づいているはずです。
 人間にとって、最悪の呪いが動き始めたことを。」
「最悪の呪い・・・だと?」
「えぇそうです。人を1人残らず滅ぼす呪い。
 はるか昔に私たち『九神霊』の長が作り出した、人間に対する最強の呪い。
 その呪いが、ついに発動したのです。すばらしいとは思いませんか?」

それを聞いて、私は歯を食いしばることしかできなかった。
人間を滅ぼす呪い? そんな呪いが動き出した? ふざけるな。そんなことがあっていいはずがない。

「長い時を経て、ようやく動き出したのです。しかし・・・動き出すのは良いんですが、
 呪いの完全な効力の発揮にはそれなりの条件がありまして。条件を達成させるのが、
 私の使命なのですよ。ですから・・・」

ミニョルフは指をパチンと鳴らす。周りにあった鬼火の数が倍になる。

「それを妨害する可能性のあるあなたたちは、残念ながらここで死んでいただきます。
 あなたたちは自ら死を選ぶ・・・。人間が滅ぶという最悪の話を聞いて絶望し、その気持ちの中、
 私に殺されてしまうのですから、これ以上辛い道は無いでしょう?」

その言葉に、父上は腰に下げていた、包帯に巻かれている刀を手に取り構える。

「私は人間に絶望を、苦痛を与えるのが大好きなんですよ。
 ですから、なるべく苦しい顔をして死んでいただければうれしい・・・ですねっ!」
「・・・んっ!」

次の瞬間、父上とミニョルフは激突した。
私には、2人の動く瞬間がまるで見えなかった。次元が、あまりにも違いすぎる。
父上は、刀身が包帯に巻かれている刀で、ミニョルフのするどく伸びた・・・おそらく1mはあろう長い爪を受け止めていた。

「爪とは・・・ずいぶん・・・器用だな。」
「あなたこそ、そんな刀身を隠しているような刀で、この私の攻撃を受け止めるとは驚きました。
 反応、判断、そして手段。どれも人間のままにしてはもったいないですねぇ・・・。」

やや、父上が押され気味だ。父上はなんとかミニョルフに追いついているぐらいで、かなり辛そうな表情をしている。
そんな表情を見るのは、はじめてだった。今まで父上が、悪霊に苦戦を強いられていることなど見たことがない。
どれだけ、ミニョルフの力が強大であるかどうかは、ここにいるだけで嫌でも感じてしまう。
罪悪感、嫌悪感、そういったものが私の心の中に入ってきて、押しつぶそうとしている・・・。
これが『九神霊』の力なのだろうか。

私が刀を構えようとすると、父上が「何をしている・・・はやく、逃げろ!」と叫ぶ。
逃げることなんてできるはずがない。目の前で、最高位の悪霊と対峙している父上を見捨てることはでき・・・

「馬鹿者がっ! 状況を・・・よく見ろ!」

戸惑っている私に、さらに父上は強く怒鳴った。
その言葉に、私は冷静さを取り戻す。いつの間にか、罪悪感や嫌悪感などに丸め込まれそうになっていたようだ。
目の前には、『九神霊』のミニョルフが、父上と今も競り合っている。
父上は必至で抑え込もうとしているが、その表情は厳しい。それに対し、ミニョルフは余裕な笑みを浮かべている。

「自分の心配をしたほうがいいでしょう? そうでないと、ただでさえ人間は脆いのですから、
 命がいくつあっても足りませんよ?」

突如、ミニョルフの周りに浮いていた鬼火が一斉に父上に向かって襲ってきた。

「父上っ!」
「・・・くっ!」

父上は一旦ミニョルフの攻撃を弾き飛ばし、間合いを取ると、飛んでくる鬼火の対応に移る。
しかし・・・

「あぁ、あぁ、愚かですねぇ。私の大事な部下を倒した剣士の子孫とは思えないほど・・・愚かですねぇ。」

何が起きたのか、一瞬わからなかった。
目の前にあるのは、赤、朱、紅、緋。

その色は、血の色だ。

父上は・・・ミニョルフの爪に右肩を貫かれていた。
貫かれている場所からは血がひどく出ている。ミニョルフが爪を抜きぬくと、その色が増す。
父上は、その場にひざをついた。

「まさか、今の私の幻覚の呪いが見破れなかった、なんていうことなのでしょうか?
 あなたに差し向けた鬼火はすべて、あなたの脳が、イメージが勝手に見せてしまったものだということに、
 気づかなかったのでしょうか。本当に愚かですねぇ。」

まさか、今、父上に向けて放った鬼火がすべて幻だったというのだろうか。
幻覚対策の呪いも、この部屋と、この服、そして『魔束帯』に施されているというのに・・・。
でも確かに、ミニョルフの周りにあった鬼火はすべて、消えていた。

「ははは・・・確かに私は愚かだ・・・ただの人間が『九神霊』に太刀打ちできるはずが・・・ないのにな。」

父上は、途切れ途切れにそう言った。
右京家の当主として、人間離れした修行を積み重ね、多くの悪霊を討伐してきた父上が・・・床にひざをついている。
私の憧れだった、父上が、悪霊の前に屈している。

「さて、そうとわかったのならば、もう邪魔です。道を開けてもらいましょう。」

ミニョルフは、父上に向かってするどい爪を振り上げる。
このままでは父上が殺されてしまう・・・。このままでは・・・っ!

「・・・」

父上が、何かをつぶやいた次の瞬間、ミニョルフが爪を振り下ろした・・・が、そこには既に父上の姿がなかった。
私も、そしてどうやらミニョルフも、父上の姿が消えたことに、驚いた。

「おぉっと? これは・・・いったいどちらへ。」
「父上・・・うっ」

突然、私の頭に何かがぶつかったような感覚がして、私はその場に崩れ落ちそうになる。
しかし、誰かに支えられ、床に倒れることはなかった。
頭への衝撃のせいで、目がかすみ、はっきりと視界が取れない。
誰かが・・・おそらく父上だろうか、まるで遠くから話かけられているかのようにぼんやりと、声が聞こえる。

「すまない、こまち。できれば、早くこの場を離れてほしかった。手荒な真似はしたくなかった。
 ・・・だが、こうするしか他に方法が無かった。お前に、こんな私の姿を見られたくなかったのだ。
 自分勝手な父親で本当にすまない・・・。父親として・・・何も・・・あげられ・・・。
 こまち・・・お前・・・生き・・・」

・・・そこまでで、私の視界は完全に消え、気を失った。


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ここはどこだろうか。
今はいつだろうか。

そんなことを頭で考える。

なんだか、長い夢を見ていたような気がして・・・

そして私は目が覚めた。



目を開けると、見たこともない場所に私はいた。
薄暗い、地下にあるような部屋の簡易ベッドに私は横たわっていた。
部屋の明かりは今にも消えそうなほど、薄く灯っている。

「ここはいったい・・・」

何故私はこんな場所にいるのだろうか、はやく父上を・・・

「っ! 父上はっ!?」

ぼんやりしていて忘れていたことが、舞い戻ってきた。
『九神霊』の1人『魔神ミニョルフ』が、右京家の封印された修行部屋に現れ、殺されそうになったところ、
父上が助けてくれた・・・のだが、確か父上は右肩を爪で貫かれて・・・。
そこまで思い出したが、そこから先の記憶がない。
父上は、ミニョルフは、いったいどうなったのだろうか。

そこで、私はふと異変に気付いた。
確かミニョルフの攻撃を受けて、私は右腕に火傷を負い、足にも損傷があったはずなのに、それがまったく無くなっている。
普通なら、火傷の跡ぐらいは残るはずなのに、それすらも無い。
父上の治癒能力をもってしても、これほどの回復力は・・・。

そもそも、父上は生きているのだろうか。
封印された修行部屋で、誰かに気絶させられた私をここまで運んだのは誰だろうか。
いろいろな疑問がつきない。

でも、とりあえず・・・

「外に出てみなければ・・・何もわからないな。」

私は、この部屋の唯一の出入り口と思われる扉の前に行き、ドアノブに手を触れ、ゆっくりと回す。
少し音を立てたが、すんなり回ったドアノブ。呪いがかかっている様子も何もない。

「まぁ、ミニョルフほどの霊力がある者の呪いほどは、私も察知できないが・・・」

あの時、私は力の無さを痛感させられた。
目の前で父上は確かに膝をついて倒れた。
それをただ見ていることしかできなかったことに、悔しさを感じる。
もっと、もっと強くならなければ。

「さぁ・・・この扉の向こうは・・・何があるか」

ドアノブを引き、私はこの部屋の向こうを・・・見た。



続く