はじまりの魔法とグラサン少女



〜2〜


>>>>>


「水原、お前にしては良い判断だった。」
「いえ・・・万が一のことを考えたうえで、一番良い方法だったものですから。」

僕は、右京こまちに褒められたことで、ようやく安堵の気持ちを持てた。

ここは、夕波みつきが倒れていた場所から、1kmも離れていないところにあった、インターネットカフェの1室だった。
眼の前には、42型の大きなテレビと、カラオケセット。各種テレビゲーム機などがきれいに置かれている。
その隣の、巨大なソファに、夕波みつきは今も眠っていた。
幸いなことに、夕波みつきは意識を失っているだけで、呼吸もあり、脈も安定していた。
目が覚めるのも、時間の問題だろう。

「確かに・・・水原の言うとおり、このまま夕波みつきを私の屋敷に連れて帰ることは、危険だった。
 あの燕尾服の男の正体もわからない。誰かにつけられている可能性もある。」

右京こまちは、珍しく笑みを浮かべていた。
まるで子どもが良い成績を取ったときの、喜ぶ母親のような・・・。

母さん・・・。

「・・・あまり、良い表情ではないな。せっかく私が珍しく褒めているというのに。」

右京こまちが僕の顔を覗きこんで、ふと、そんなことを言った。
僕のことを、少しは気にかけているのだろうか。今までそんなこと無かったのに。

「まぁ、好きな人が誰かに狙われていることは、確かだからな。」
「なっ・・・ぼ、僕は・・・」

体は右京こまちより大きいはずなのに、まるで縮こまってしまっている僕が、なんだかおかしかった。
やはり、僕は・・・。

「【僕は、夕波みつきのことが好きなんだ】ってねぇ。」
「つっ!?」

しまった。心を読まれてしまっていた。隙を見せると、すぐこれだ。
これだから、右京こまちと話すときは、気を抜いてしまってはいけないのだ。

「・・・ばーか。」

突然右京こまちはそう言いながら、右手の指を弾いて僕の額にパチンと当てた。
何とも言えない痛さが額から全身に回り、思わず呻く。

「今のは、呪いでもなんでもない。お前の顔に、そう書いてあったから言っただけだ。
 文句があるなら、自分を恨め。はっきりモノを言えない自分にな。」

腕を組んで、ふぅとため息をつきながら、ドサッと1人掛けのソファに座りなおす右京こまち。
その時の無表情からは、何を考えているのか、窺い知ることはできなかった。

「はは・・・まったくです。」

ドリンクバーから持ってきていた、冷え切っていない麦茶を飲む。
麦茶の味が、すっかり疲れていた脳を少しだけ癒してくれた。
それからの右京こまちは、天井を見上げっぱなしで、何も話そうとはしなかった。
無言に慣れていたはずの僕は、何故かこの時ばかりは、何かをしゃべらずにいられなかった。
それが、このもやもやした気を紛らわすためなのか、僕自身わからない。

「・・・こまちさん。」
「なんだ?」

天井を見上げ続ける右京こまち。

「これから、どうしましょうか? 夕波みつきが目覚めたら。」
「・・・さぁな。」
「・・・」

いつもなら、今後の行動の指針を示すのは、右京こまちだった。
僕が意見を述べても、あまり聞いてくれないことが多く、大抵は一喝されて渋々右京こまちの案に乗る。
だから、このインターネットカフェに来ることだって、最初僕は思いっきり反対されると思っていた。
それなのに・・・。

「なんか・・・こまちさん、変わりました?」
「・・・」

何も答えない。

「僕をいじめるのは、とりあえず話が終わってからにしてください。
 気のすむまでいじめてもらっても構いません。ただ、今は。今は、夕波みつきのことを」

そこまで言ったところで、右京こまちは天井に向いていた顔を戻し、こちらを向いて口をゆっくりと開いた。

「まだ、わからないのか?」

その言葉に、僕の思考は一瞬停止した。いったい何を言い出すのだろう。
僕が返答に困っていると、右京こまちは、ため息をつく。

「私たちは、今も見張られている。」
「えっ」



ドガァアアアアン!



そんな驚いた一声をあげると、ほぼ同じぐらいのタイミングで、部屋のドアが爆発し、轟音を響かせた。
破られたドアの向こうから、無数の黒い影が部屋に入ってくる。

「ちっ、また面倒なやつを・・・」

右京こまちは、瞬時に腰から刀を抜き、1人掛けソファから立つ。
僕も遅れて臨戦態勢を取るが、右京こまちが、眠っている夕波みつきの方を指差したため、夕波みつきの傍へ移動した。

無数の黒い影たちの正体は、僕を夕方襲ってきた「クィドル」だった。
闇よりも黒いマントの中に、無数の腕が生えた、浮遊している球体を持つ、異形の生き物。

「いいか、水原! 絶対そこから動くな!」

右京こまちの、威圧の籠ったその声を素直に聞き入れ、僕は夕波みつきの傍を離れることは、決してしないと心に誓う。

そして・・・右京こまちと「クィドル」たちが激突した。


<<<<<<


35度目の電話をかけるが、しかし、誰も出ることは無かった。
連絡が取れなくなってから、8時間ほどが経過しており、太陽は西に傾きはじめている。

普段なら、きっとケータイの充電が切れているんだろう、と思うのだけれど・・・
何故か今回は、そう思うことができなかった。
妙な、胸騒ぎがするからだ。

「くっそ、いったいなんなんだよ・・・」

いつも俺と俺の女神様がデートに使っているコースを、ひたすら走り続けていて、全身が汗だらけだった。
しかし、着替えたいなんて悠長なことを言っている場合では無かった。



時間は、少しさかのぼる。



今日、俺は、俺の女神様・・・大海なぎさ、との久しぶりのデートを楽しみにしていた。
最初に出会ってから、ちょうど今日で8年目という、記念すべき日。
万全のデートプランを考えた上、最後には、結婚してください、とプロポーズする予定だった、今日。
なぎさには、前もってデートに誘っており、今朝には電話で待ち合わせ場所と時間も確認していた。

しかし・・・その待ち合わせ場所で、いくら待っていても、なぎさが来ることは無かった。

最初は、準備に時間が掛かっているのかもしれない、電車が遅れているのかもしれない、そう思っていた。
でも・・・明らかにおかしかった。なぎさは、普段おっとりとしているが、だからといって時間にルーズではなかった。
むしろ、待ち合わせ時間よりずっと前に来て、俺を驚かそう、なんて考えていることもあるぐらいだ。

いくら待っても来ない、電話もつながらない・・・
俺の心の中で、異常事態の鐘が鳴っていた。

もう、何度往復したかわからない、いつものデートコース。
なぎさが気に入っていた、BLTサンドイッチを販売しているカフェ。
なぎさが欲しがっていた、かわいいオレンジ色のバッグを売っているブティック。
なぎさが目を輝かせていた、たくさんのカメラが所蔵されている小さな博物館。
どこを回っても、その姿は無い。

不安で、不安で、胸が張り裂けそうだった。



そんな時。

俺の視界に映った・・・10数メートル先、人通りの中を駆けていく、見覚えのある男の姿。それが目に留まった。



「・・・あいつは・・・水原?」

かつて、大学時代に同じサークルに所属していた、水原月夜という、俺より1つ年下の男の姿。

背が高く、インテリそうに見えるメガネをかけていて、黒い短髪・・・。
それだけなら、どこにでもそうなもんだが、それが水原だとわかったのは、表情だった。
ある意味、不気味で不敵な笑いをたまに浮かべるあいつの表情は、忘れたくても忘れられるものでは無い。
そんな表情を、浮かべていたのだ。

俺と水原は、そんなに仲が良かったわけでもない。
インテリそうで自信満々な表情で、何でも見透かしているような目を持っているあいつは、正直苦手だった。
向こうがどう思っていたかは、知らない。知りたくも無い。

だが、その時の俺は、そんな余計なことを考えている余裕は無かった。
もしかしたら、水原ならなぎさがどこにいるか、知っているかもしれない・・・。

俺は、走り去ろうとしている水原の後を、追いはじめた。

これでも運動神経には多少自信がある俺だったが・・・水原との距離はなかなか縮まらない。
人ごみの中をすり抜けるのは、意外にも困難で、何度も人とぶつかりそうになる。
途中、強面のおにーさんに怒声を浴びせられそうになるも、なんとかそれを避け、逃げるように走る。



1日で、トータルどれくらい走っただろうか。
気が付けば、見知らぬ閑静な住宅街に、俺は居た。
太陽は完全に落ちており、今は月が登っている。

水原月夜を、完全に見失ってしまった。
いったい俺は何をしていたのだろうか・・・。

ポケットから、ケータイを取り出し、電話帳のあ行の一番下「大海なぎさ」にカーソルを合わせ、
受話器を上げているプッシュキーを押した。ゆっくりと、スピーカー部分を耳に近づける。
何度かコール音が鳴ったあと、相手のケータイが電源OFFか、圏外の場所にいるであろうというアナウンスが入る。

「・・・」

電話を切り、ケータイをポケットにしまった。
依然としてなぎさとは連絡が取れない。ここまで追っていた水原月夜も見失う。
最悪の1日だ。

「あぁ・・・くっそ・・・どうすりゃ良いんだよ。」

薄暗いアスファルトの道路に転がっている石を、なんとなく蹴って飛ばした。
すると、石は思わぬ方向へ飛んでいき・・・傍にあった電柱に当たったかと思うと跳ね返り、俺の額に当たる。
それが意外と痛く、その場にうずくまる。

「痛てて、ツイてねぇなぁ・・・」

思わずため息をつきたくなったが、ふと、何かに気づく。
誰かの・・・足音だ。こちらに・・・近づいてくる? しかも、かなり駆け足で。

その時なぜか、嫌な気配を感じ取った俺は、咄嗟に傍の電柱に隠れた。
隠れる、という判断は、後から考えれば正解だったかもしれない。

遠くからこちらに向かって走ってくる・・・2人の姿。薄くぼやけて見えるが、どちらも知っている顔だ。
1人は、水原月夜。そしてもう一人は確か・・・。

「・・・右京こまち・・・さんだったか?」

そう。あの和装の女性に見覚えがある、間違いない。
あの事件の終結直前に、姿を現した絶世の美女だ。なぎさには及ばないけれど。

右京こまちを先頭に、それを追うように走る水原月夜。
一直線にこちらに走ってくるが、相当にスピードが速い。

何か・・・胸騒ぎがする。

「・・・なんかあったのか?」

道路に出て、2人を止めようかと一瞬思ったが、しかし躊躇する。
どこか、右京こまちには近づきがたいオーラがあったからだ。
最初に見た時からそうだった。まるで、見えないバリアでも張っているかのような・・・。

結局俺は、眼の前を駆けていく水原たちを黙って見ていることしかできなかった。
何やってんだ俺。



・・・そんなこと考えている場合じゃない。
今は、なぎさだ。



「くそっ・・・」

俺は、今日何十回目かの舌打ちをしたあと、ケータイを取り出す・・・が。
画面に明かりが灯らない。充電切れだ。幾度となく電話をかけたことが祟ったらしい。

「あぁ、やっぱり水原たちと合流すりゃぁよかったじゃねぇか!」

満身創痍の体を強引に動かし、水原たちが走っていった方向へ、俺も向かい始めた・・・。


>>>


あまりにも劣勢だった。
いくら私でも、水原月夜と夕波みつきを守りながら、大勢の「寡黙な球体(クィドル)」を相手にするのは、困難なことだった。

「ちぃ・・・」

狭い部屋の端に水原月夜は、眠っている夕波みつきを後ろに庇いながら、私の戦いを黙って見ていた。
何度か私が攻撃を外すと、そのたびに心配そうに水原月夜が何かを言おうとするが、それを制す。
ここは、なんとしても私一人で耐え凌がなければ・・・。

下等な悪霊たちは、次々と、直撃すれば死に至るような呪いを放ってくる。
それをどうにか、【紫炎帯】という伸縮・操作自在の包帯で打ち消しながら、右手に持った【影桜】という刀で「クィドル」たちを斬っていく。
しかし、いくら呪いを打ち消しても・・・いくら「クィドル」たちを斬っても・・・攻撃は止まない。

先ほどまで、「クィドル」たちの向こう側から人間の悲鳴が上がっていたが、それも今は聞こえなくなっていた。
果たして逃げ切ったのだろうか、それとも・・・。



「こまちさん! このままじゃ・・・」

水原の慌てたような声が、耳に届く。
実に不快だ。水原は常に冷静でなければならないのに、こんなにもふざけた声を上げている。

「いいから黙ってそこにいろ! 死にたいのかっ!?」

一喝し、水原を黙らせる。そうでもしなければ、心の底に湧き上がる怒りが爆発してしまいそうだ。



ここまで「クィドル」たちが必死になって攻め込んでいるということは、事態はついに来るところまで来てしまったと言っていいのかもしれない。
おそらくは、夕波みつきの中に、人間を滅ぼす「呪い」が入っていることが、バレてしまったのだろう。
【烏丸家の呪い】・・・いや、正確には【はじまりの魔法】・・・と言ったか。

烏丸家の本家最後の当主であった烏丸祐一郎公爵より、【烏丸家の呪い】が失われたことで、もうその呪いが動き出す心配は無かったはずだった。
しかし実際には【烏丸家の呪い】は、烏丸祐一郎の妹の子孫にも一部が遺され・・・。
そして、夕波みつきに宿ってしまった。

私の力をもってしても、消すことができない呪い。
もし誰かに夕波みつきを誘拐されて、その力を解き放たれてしまえば・・・。



その時、部屋の時計が午後8時を指し、この状況には場違いな、軽やかなリズムの音楽が流れた。



「・・・時間だ。」と私はつぶやいた。
ようやく、耐え凌いだ結果が実を結ぶことになる。
この時間になれば、”彼”を呼び出すことができるのだ。
体内にため込んでいた力を、少し外部に解き放つ。



「黄泉よ、冥界よ、次元を拓き、解放せん。」



「クィドル」たちの隙をついて、【影桜】で、眼の前の何もない空間を丸く斬りつけると、
突如、そこに人が一人通れるぐらいの黒く濁った穴が出現した。
その穴の奥から、丁寧な口調でしゃべる男の声が聞こえる。
「ようやく、そちらに戻れますね。」と、声は言うと、穴から何かが勢いよく飛び出してきた。

その姿は、黒い燕尾服に、腰には少しカールした洋風の剣を携えている。
整った顔立ちの長身の男・・・烏丸祐一郎だ。

「いくぞ、烏丸祐一郎。」
「えぇ。彼等に思い知らせてあげましょう。」

突然現れた烏丸祐一郎の姿に、「クィドル」たちは一瞬ひるんだが、すぐに態勢を取り戻し、一気に攻撃を仕掛けてきた。
先ほどよりも、さらに攻撃の数は増えている・・・が、それはこちらも同じだった。

烏丸祐一郎と私は、一度、目で会話をして、すぐに臨戦態勢を取って、「クィドル」たちを迎え撃つ。
私は、「クィドル」たちが放ってくる呪いの数々を、すべて【紫炎帯】で貫いて打ち消していく。
そして烏丸祐一郎は、攻撃を掻い潜りながら次々と「クィドル」の【核】の部分を、剣で切り裂いていき、無力化していく。
烏丸祐一郎が戦力として加わったことで、一気に形成は逆転。私たちは「クィドル」たちをどんどん部屋の外へ外へと押しやっていく。

そして、烏丸祐一郎が最後の1体の【核】を十字に切り裂いて消滅させたところで、戦いは終わった。
いつの間にか私と烏丸祐一郎は、インターネットカフェの店舗の外にまで出てきて戦闘を行っていたようで、やや冷たい風が、私の顔をなでた。
外に、もはや人の気配は無く、閑散としていた。

一般の人々が呪いによって消滅させられていないことを祈っていると、肩に剣を収めた烏丸祐一郎がこちらを向いてきた。

「危ないところでしたね、右京こまちさん。」
「あぁ。意外にも、あの部屋から異世界に次元をつなげるタイミングが限られすぎていたからな。
 少しでもタイミングを逃していたら、殺されていたかもしれない。」

夜空に浮かぶ月を仰ぎ見ながら、そう言うと、インターネットカフェの店内から、背中に夕波みつきを背負った水原が出てきた。
水原は、「クィドル」たちが居ないことを確認すると、1つため息をついた。

「水原君、ありがとう。みつきちゃんのことを守ってくれて。」

烏丸祐一郎がさわやかな微笑を浮かべ、水原に礼を言うが、水原の表情はあまり浮かない。

「・・・僕は、何もしていません。」
「そんなことは無いさ。君は立派にやってくれている。それに、君がいるから、私は安心してみつきちゃんを任せられるんだ。」

その烏丸祐一郎の言葉には、私も内心で同意していた。
夕波みつきを直接守れる人間は、水原、ただ一人しかいないと思っているからだ。
もう、家族の居ない夕波みつきにとっては・・・。


その時、この大通りの果ての方から、誰かがこちらに駆け寄ってくる気配を感じ、私は腰に下げていた【影桜】に手をかける。
気配の数はたった一つ。おまけに、何かを叫びながらこちらに近づいてくる。
「クィドル」の出現によって、周りの人々がまったく居なくなってしまった今、その叫び声は何かにかき消されることなく、
徐々に鮮明に、耳に入ってくるようになってきた・・・。

「・・・は・・・ら・・・ み・・・は・・・・ みず・・・」

その声に聞き覚えがある。しかし、良く思い出せない。
だが、その声の主を見たとき、何か、良くないことがさらに起ころうとしていることは、なんとなく感じ取ったのだった・・・。




続く