遭難事件とグラサン少女(下)




「遭難事件とグラサン少女(下)」



〜11〜



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いよいよ、明日は最終日で、帰る日だというのに、今日は一日吹雪だった。
夏に吹雪とは、とても考えられないが、この清宮山には雪女が住んでいて、
その雪女がこの山だけに大雪を降らせる、という伝説があるほど、この山の異常気象はひどかった。

朝起きたら、この『清宮山・徒然荘』の主人である枕崎紀之さんは、
私たちに外に出ないように忠告をしてくれた。どうも、私たちが寝ている間から雪が降り始めていたらしい。
「まったくこの季節にこんな大雪・・・今までは無かったんですけどねぇ・・・」と紀之さんはため息をついていた。

窓の外は、猛吹雪でほとんど何も見えない状態だった。
紀之さんが言うには、1階の高さまで雪が積もる可能性があるという。
一応この徒然荘は見た目木造に見えるが実際はコンクリートでできており、倒壊の心配こそないとは思うが。

徐々に冷えてきたため、ロビーをはじめ、ほとんどの部屋の暖房が使われていた。
まさかこんな夏の暑い時期に暖房を使うことになるとは思いもしなかった。

今は夕方の5時過ぎ。私たちはロビーの一角にいた。
一日中徒然荘の中に閉じ込められることになってしまったため、午前中は持ってきていたトランプや、
同じ宿泊客で紀之さんの友人の白河忠志さんたちが持ってきていた麻雀などをしていた。
しかし、それも少しずつ飽きてきてしまい・・・。

「あぅぅ・・・暇だよう、みつき〜。」
「そうだな・・・」

窓の外を眺めると、完全に雪に埋もれていた。これでは1階から外に出ることはもはや不可能だろう。
明日は2階から外に出ることになるかもしれない。天気が良くなれば・・・の話だが。

「そろそろ私たちは一旦部屋に戻ることにするよ。シャワーを浴びて、夕食を食べたらまたここに来るから。」
「みつきちゃん、なぎさちゃん、また後でねぇ〜!」

白河さんたち4人は、ぞろぞろと部屋に戻っていった。
私たちも、特にすることがないから、部屋に戻ってゆっくりするのも良いだろう。

「・・・部屋に戻られるんですか?」

椅子から立ち上がろうとした私を見て、別のテーブルでカメラの手入れをしていた水原がそう言った。

「あぁ、これといってすることもないしな。雪を見ながらお風呂にゆっくり入るのも良いとは思わないか?」
「・・・その雪は猛吹雪ですけどねぇ。」

水原は苦笑いを浮かべる。
水原もたぶん、この猛吹雪のことを少し不安に思っているのだろうか。
時折、外を眺めるしぐさをしていたのが気にかかる。

「まぁ、蒼谷さんもすっかりお疲れで寝てしまっていますから・・・ゆっくり部屋で休むのが賢明でしょうか。」

水原の座っている席の向かいには、テーブルに突っ伏した蒼谷の姿があった。
こうして蒼谷の寝顔を見ていると、性格とは裏腹に本当に女の子に見える。
本人はだいぶ気にしているみたいだが・・・。

「そうだな。それじゃあ、また後で。」
「またね〜水原くん。蒼谷くんにもよろしくっ!」
「・・・えぇ、わかりました。また後で。」

そう言葉を交わして、私となぎさはロビーを後にした。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「・・・さて、どうしましょうか。」

向かいの席に寝ている蒼谷ゆいの姿。
あまりにも気持ちよさそうに寝ているために、起こすのが少々ためらわられる。
だけど、それでいいのだ。蒼谷ゆいが寝ている方が、こちらにとっても都合が良い。

【困った事になったね。水原君。】

僕の体の中からそんな声があがる。
落ち着いた男の声。僕の声ではない。

【どうやら・・・近くに結構強い霊力を持った何かがいるようだよ。】
「・・・敵、でしょうか?」

僕の中から聞こえた声に、僕は問いかける。

【さぁどうだろう。少なくとも私たちの存在は気づかれていないようだけど。】
「・・・それなら、特に困った事でも無いと思うんですが、レニオルさん。」

声の主、それは、今から少し前に僕が出会った、魔神のレニオルという者だ。
レニオルは、右京家の普段封印されている部屋の中にある、異界につながる黒い穴から、
猫の顔をした紳士の姿で出てきて、たまたま部屋に侵入していた僕と会った。

僕は、レニオルに何かを協力する代わり、レニオルからある力を与えてもらったのだ。
その過程で、僕の体の中にレニオルが、ある種憑依する形で入ったことから、
今こうして体の中から声が聞こえるのだった。

レニオルは言う。

【ただ、困った事に、強い霊力を持っているのは1人だけではなさそうな感じだね。】
「・・・複数いるんですか。」
【今のところは2人・・・かな。こんな天気なのに外にいるのを感じるから、
 おそらくは寒さに耐性のある化け物の類か。】

寒さに耐性のある化け物・・・ということは、やはり雪女がいる可能性は高いかもしれない。
枕崎早子さんは、少し前に雪女を見たと言っていた。もしそれが本当だとするならば、
この山の異常気象は、きっと雪女が引き起こしているのだろう。
雪女には、そういう言い伝えがあることを、この合宿に来る前に少し調べて知っていた。
真っ白な長い髪に、真っ白な和服という容貌をしているというのが、雪女だそうだ。
冬の時期になると、住んでいる山に大雪を降らせるらしいが・・・今は夏。
季節外れもいいところである。

「本当に・・・迷惑な話ですね。雪で明日帰れるかどうかもわからないのに。」
【迷惑がっているようには、私には見えないけどね。水原君、楽しんでいないかい?】
「・・・やはり気づいてしまいますか。もうさすがに何度笑みがこぼれそうになったか。
 やはり、僕は夕波みつきのことが・・・」

そこで、テーブルに突っ伏して寝ていた蒼谷ゆいが、首を少し動かしたので、僕は一度言葉を止めた。
どうやら寝返りだけのようで、まだまだ起きる気配はないのを確認すると、
少しだけ声のボリュームを下げ、レニオルに話しかけようとする。しかし、

【君は、もう歩む道を決めたんだ。絶望しても構わないと思うことができるだけの道を。
 だから、君はもっと素直になればいい。素直に彼女と向き合えばそれでいい。】
「・・・でも、今の僕にはそれができない。」

今の僕は、素直に夕波みつきと向き合うことができない。
それは僕の気持ちの整理がついていないからではない。すべてを話すことができない呪いが、
いまだに右京こまちにかけられているからだ。
この呪いさえなければ、僕は夕波みつきに知っていることをすべて話して、
レニオルが教えてくれた、世界を滅ぼす呪いを喰いとめることができるかもしれないのに。
呪いを喰いとめるために、僕が犠牲になる覚悟もできているのに、話すことができない。

【本当に申し訳ない。私が君にかけられている呪いを解ければ一番良いのだけれど・・・。
 あの右京家の子孫の娘は、どうやら私以上に強い霊力を持っているから。】

レニオルも、話によれば結構霊力は高いらしいのだが、それでも右京こまちには及ばないらしい。
幸いなことに、レニオルは僕の体に入っている状態ならば右京こまちでも存在を見つけることができないため、
これまでレニオルがいることに気づかれることなくいられたのだが。

「・・・いや、レニオルさんのせいじゃない。うまく立ち回ることができてない僕自身のせいだ。
 だから、僕にできること。僕にしかできないことをやっていく。」
【あぁ・・・本当に君は聡明だ。やらなければならないことがしっかり見えている。
 人間は、もっと何も見えていない存在だと思っていたけど、その考えは撤回しよう。
 まぁ、君の場合は、真実が見えてしまっているからなのかもしれないけど・・・ね。】
「・・・」

その言葉を言ったきり、レニオルは黙ってしまった。
真実が見えてしまっている。そうだ、僕は真実を見ることができる力を得てしまっているのだ。
レニオルとの取引で・・・。

相変わらず、ぐっすり寝ている蒼谷ゆいは起きない。
このまま蒼谷ゆいを放置して、1人で部屋に帰ってしまうのは少し悪い気がする。
と言って、無理やり起こしたことで機嫌を崩されたら、それはそれで面倒だ。

僕は、結局ここに寝かしたまま・・・一応、体を冷やさないように、脱いでいた防寒着をゆっくりと被せ、ロビーを後にした。

3階の僕たちの部屋に戻ろうと、階段を上ろうとしたとき、階段の先にある廊下の奥から、
何かをトントンと小刻みに切るような音が聞こえ、立ち止まった。
確か、そっちは調理場があると聞いていた。
夕食まではまだ時間があるし、料理の邪魔をしない程度であれば、ちょっと時間つぶしに行ってみてもいいかもしれない。
そう思った僕は、階段を上がろうとしていた足の方向を変えて、調理場へ向かうことにした。
調理場に近づくにつれて、良い匂いが嗅覚を満たしていく。この匂いはおそらく鍋物だろう。

半開きの扉をゆっくりと開けて中を覗くと、意外にも広さのある調理場がそこにはあった。
こちらを背にして野菜を刻んでいたのは、このロッジの主人の息子、枕崎兼好さんだった。
まさか料理が得意とは、僕にとっては意外だった。

僕の視線に気づいたのか、兼好さんは手を止めて、こちらに振り返った。
最初に会ったときと同じ、無愛想な表情で、口を真一文字に結んでいる。

「あ、すみません。良い匂いがしていたのでつい・・・」
「・・・そうか。」

ただ一言それを言って、再び野菜を切り始める兼好さん。
それにしても見事な包丁捌きだと僕は思う。
十字に見事な切込みの入ったしいたけや、均等なサイズに切られた白菜などが、
兼好さんのいる場所から少し離れたまな板の上に並んでいた。
僕は、料理の邪魔にならないよう、兼好さんの動きを見ながら、少しずつまな板の方に近づく。
すると・・・

「・・・そんなに料理に興味が?」
「あ、いえ。そういうわけでないんですけど、枕崎さんの切った野菜が、まるで芸術作品のように見えたので。」
「・・・ふん。」

兼好さんは、まったくこちらを見ることなく、表情を変えないままそう言った。
僕は、どうやらほめ言葉を扱うのが苦手なのかもしれない。

しかし突然、兼好さんは手を止め、こちらに歩いてきた。
そしてまな板の上に乗っているしいたけの1つを手に取って、こんなことを言った。

「・・・俺は、こんな料理なんて嫌いだ。」
「えっ?」
「料理だけじゃない。親父も、妹も、このロッジも、この山も。どれも嫌いだ。
 雪なんて、嫌いを超えて、この世から消えてなくなってしまえば良いとさえ思っている。
 でも、俺はここにいる。嫌いな雪に囲まれ、嫌いな山の嫌いなロッジに、嫌いな親父と妹と一緒に住んでいる。」

そう言いながら、持っているしいたけを上に軽く投げては掴み、を何度か繰り返している。

「仕方なく。仕方なくだ。有名ホテルの料理人に弟子入りして、何年も修行して、せっかく技術を習得したのに、
 俺は結局、こんな場所でこんな料理を提供している。」

パシッと良い音を立てて、やや強めに、上に投げていたしいたけを掴んだかと思うと、
数メートル先にあったゴミ箱に見事に投げ入れる。

「・・・今のは、切込みが深すぎて、しいたけの本来の形の美しさが損なわれていた。俺もまだまだ未熟なもんだよ。」

そう言ってから、兼好さんはまな板の上に乗っていた野菜たちを、木の皮でできたざるに盛り付け始める。
僕は、兼好さんの言っていることに対して、何かを言えるような立場ではないと思い、黙ってそれを見ていた。
綺麗に盛られていく野菜たちは、とても生き生きしているように見える。
きっと、本当はこの料理が好きなのかもしれない。表情から内心を探ることはできないけど、なんとなくそう思った。

僕はそれから10分ほど、黙って料理している姿を見続け、
そろそろ一度ロビーに戻って蒼谷ゆいの様子を見に行こうと思い、一度「失礼しました」と言って会釈し、調理場を後にした。


>>


私となぎさは、部屋に戻って、シャワーを浴びることにした。
なぎさに先を譲り、私は部屋で一人、持ってきていたカメラの手入れをしていた。

毎日の手入れが、よいカメラを長く維持し、よい写真を撮るためにとても大切なことだと、生前のお父さんは言っていた。
お父さんは、まだ幼かった私に不自由させないよう、一生懸命に働いてお金を稼いでいた。
その時はもっとお父さんと一緒にいたい、そう思っていたけど・・・
今考えれば、お父さんはお父さんなりに、時間を作ってくれていたのかもしれない。

お父さんが今も生きていたなら、こうは考えなかった。
失って、はじめて気づいた。

「・・・」

知らないうちに、私は涙を流していた。
カメラの手入れをしていた手の甲に、落ちた涙の粒がつく。

「お父さん・・・やっぱりそんなに強くは生きられないかも。」

小さく、独り呟く。

あまりにも、大切な人を小さい頃から失いすぎた。
お父さんも、お母さんも、公爵も・・・。
これ以上は大切な人を失いたくない。失ってしまったら、もう・・・。

「もう、立ち直れない?」

そんな言葉が突然聞こえ、私は顔を上げ、周りを見渡す。
でも、どこにも人の姿は無い。なぎさがシャワーを浴びている音が少しだけ聞こえるぐらいで・・・。

幻聴、

「幻聴じゃないよ。」
「だ、誰? どこにいるの?」

確かに聞こえる、若い女性の声が。でもその出所がわからない。
公爵のような、幽霊だろうか・・・?

「ここにいるよ。」

視線を感じて振り向くと、そこには180cmはあろうか、巨大な鏡があった。
そこに映し出されているのは、背の低い私の姿だけ。
なのに、私はしゃべっていないのにもかかわらず、鏡の私は、笑顔を見せて言う。

「こんにちは。よかった、やっと会えた。」
「あなたは・・・誰?」
「私が誰かは、あなたが一番よく知っているよ。」

私が一番よく知っている・・・そんなことを言う、鏡に映る私。
ということは。

「あなたは、私、なの?」
「そう。私は、あなた。私は、夕波みつき。私は、あなたを守る者。」

鏡に映る私は、私が動いていないのに、こちらに向かって歩き出してきて、なんと、鏡から出てきた。
烏丸祐一郎公爵のように、半透明・・・ではない。完全に、私の姿そのものを持っている。
私は思わず、数歩後ずさりしてしまった。

「なにが、どうなって・・・」
「もっと簡単に言えば、私は昔の夕波みつき。まだ、あなたが大切な人を失う前の。」
「大切な人を、失う、前の?」
「そう。まだ悲しみを背負っていなかったころの。
 ずっと、こうして会いたかった。ずっと・・・ずっと。」

目の前の私は、後ずさりする私と会話をする間にも、その距離をどんどん縮めてくる。
そして、後ろの壁にぶつかった私は、髪を、目の前の私にそっとなでつけられる。

「大丈夫、怖がらなくて良いんだよ。私はあなたなんだから。」
「わ、私はただ一人。夕波みつきは、私一人しかいないっ!」

そう強く言った私に、髪をなでていた手を止めた目の前の私は、少し悲しげな表情を浮かべた。

「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。ただ、私は・・・」

目の前の私は、うつむいて左右に首を振る。
何度か深呼吸をしたあと、微笑を浮かべて、落ち着いた口調で、目の前の私は言った。

「今はわかってもらえないかもしれないけど。私は、あなたを悲しみから、絶望から救ってあげられる。
 もし、あなたが悲しい、辛いと思ったら、いつでも私を呼んでほしい。あなたの力になってあげるから。」
「・・・どういう、こと?」
「詳しいことは、今のあなたにはまだ教えられないの・・・。ごめんなさい。
 でも、その時が来たら、教えてあげる。あなたのことも、私のことも。」

そう言い残し、目の前の私は、出てきた鏡の方へとゆっくりと歩いていく。
途中、こちらを振り返り「それじゃあ、またね」と言って、するりと、鏡の中へ入っていった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


み・・・ちゃん・・・
みつ・・・ん・・・
みつき・・・ちゃ・・・



「みつきちゃんってば、起きて。」
「ん・・・んん〜?」

私が目を覚ますと、私の隣に、お風呂上りのなぎさがいた。
浴衣に着替えており、長い髪を今はポニーテールにしている。
少し、体から湯気が出ており、どうやらしっかりと暖まってきたようだった。

「もう、やっと起きたぁ。こんなところで寝てると風邪ひくよ〜?」
「・・・あぁ、うん。そうだよね。」

カメラの手入れをしていた私は、いつの間にかテーブルに突っ伏して寝てしまっていたらしい。
肩や腕が少し痛む。それに、ちょっと寒い。
どれぐらい寝ていたのだろうか。なぎさに今の時間を聞いてみる。

「今、何時?」
「うぅんとねぇ、夜の7時だよ。まだ外の吹雪は続いてるみたいだし、明日帰れないかもね。」

午後5時過ぎに部屋に戻ってきて、それから先になぎさがお風呂に入って・・・
とすると、1時間半ぐらいは寝ていたのだろうか。

「明日も継続して泊まらせてもらえるようにお願いしなきゃいけないね、みつき。」
「あぁ・・・うん。」

延長となるとその分のお金を払わなきゃいけないが、みんなそれだけのお金があるかどうか。
まぁ、自然災害だから仕方ないか。困ったときはみんなで協力しよう。
とりあえず、ここの経営者の枕崎紀之さんに早めに言いに行こう。
そう考えた私は立ち上がる。

「それじゃあ、今のうちに言いに行こうか。」
「うん!」

なぜか笑顔を浮かべているなぎさ。
きっと、ここに泊まれる期間が長くなることが、嬉しいのかもしれない。
なにせこの合宿を一番楽しみにしていたのは、ほかでもない、なぎさなのだから。

部屋の暖房がついていたことが幸いして、私が感じていた寒気は少し収まってきた。
念のため厚着をして、浴衣姿のなぎさと一緒に、部屋を出てロビーへ向かうのだった。



ロビーへ向かうため、階段を下りていた私たちは、2階を通過するとき、廊下に誰かの姿を見つけた。
ドアの前で、コンコン、コンコンとドアを叩いている人の姿。あれは確か・・・

「亀山・・・さん?」

私たちと同じように、ここに宿泊している人の1人、亀山弦一さんだった。
出会った時からそうだったけど、表情はあまり豊かそうには見えない。
どちらかというと、寡黙な印象を受けるが、これでも警察官だという。
そんな亀山さんが、やはり無表情で、しかし、しきりにドアをノックしていた。
その様子が、妙におかしいと感じ取り、1階に降りるのをやめ、亀山さんの方へ私たちは向かう。
亀山さんは、私たちが近づいてきたことに気づいたのか、ノックしていた手を止め、こちらを向いた。

「亀山さん、どうかしたんですかぁ?」

私が何か言う前に、先になぎさが亀山さんに話しかける。
そういえば、自己紹介の時以来、あまり亀山さんの声は聞いていなかった気がする。

「・・・」

亀山さんは何も言わず、ノックしていたドアを見つめる。
身なりはしっかりしてるし、背筋もしっかり伸びている。顔は無表情だが、決して不細工ではない。
普通の人見知りにしては、少し変なようにも思える。

「あぁ! もしかして、ドアが開かないんですか?」

なぎさの言葉に、黙って亀山さんはうなづいた。
なるほど、どうも部屋に入れなくて困っていたということか。

そこで「確か、鳥羽さんと一緒の部屋って聞いていましたけど。」と私が尋ねると、
ようやく亀山さんは口を開いた。

「・・・鳥羽先輩は、部屋にいるはずなんですが。いくらノックしてもでないんです。」

とても落ち着いた口調。本当に人見知り・・・なのだろか?

「それじゃあ、枕崎さんにお願いして、マスターキーを借りちゃえば良いんじゃないですか?
 鳥羽さん、きっと部屋で寝ちゃってて気づかないとか。」
「・・・そうですね。」
「ちょうど、私たちもフロントの方に行く用事があったので、借りてきましょうか?」

そう私が言うと、亀山さんは首を横に振った。

「君たちだけに行かせるのは悪いから・・・私も行くよ。ここにいても仕方ないから。」
「それじゃあフロントに行こーっ!」

1人、機嫌の良いなぎさが先に階段の方に行ってしまい、私と亀山さんは後についていくように、
なぎさの下へ向かい、1階ロビーを目指した。

ロビーに到着すると、ちょうどそこには、ここの主人である枕崎紀之さんが、
狭いフロントカウンターの上に置いてある小型ラジオをいじっていた。
ラジオから音は出ているものの、途切れ途切れであまり聞こえない。きっとこの大雪のせいだろう。

私たちがやってきたことに紀之さんが気づくと、ラジオを一旦止めた。
こちらの方を向いて、少し浮かない顔をして言った。

「やれやれ、参ったよ。ラジオで天気予報でも聞こうかと思ったけど、ほとんど聞こえなくて。
 これじゃあ明日もちょっと下山するのは危険かもしれないねぇ。」
「枕崎さん、それについてなのですが・・・」

私が明日も引き続き泊めてもらえるようにお願いしようとすると、それを理解したのか、
紀之さんは先に口を開いた。

「あぁ、大丈夫ですよ、心配しなくて。こういう自然現象はどうしようもないですからね。
 宿泊代についても、明日以降の分はいただきませんから。」
「えっ、でも良いんですかっ? 宿泊代まで。」

なぎさが驚いたように言う。
紀之さんはそれに対し「えぇ、構いませんよ。」と笑顔で言った。
そして私たちと同じように、明日ここを出て下山する亀山さんたちについても、同様の扱いをするとも言った。

「・・・どうもありがとうございます。」

亀山さんは、紀之さんの計らいに深々と頭を下げた。
私も、ここは、紀之さんの好意を素直に受け取っておこう。
そこでなぎさが、亀山さんが部屋に入れないことについて、紀之さんに告げた。

「あらあら、そうですか。わかりました。それじゃあドアを開けに行きましょうか。」
「・・・お手数かけてしまってすみません。」

紀之さんは、フロントの後ろの壁にかかっていた鍵を手に取って、カウンターから出てきた。
そして、私たちは紀之さんを先頭に、再び2階の、亀山さんたちの部屋に向かった。



戻ってくる途中、私たちは、部屋の中で寝ていると思われる鳥羽さんのことについて、いろいろと話をしていた。
おもしろおかしい話を次々と繰り出してきた鳥羽さんは、退屈な時間をすっかり楽しい時間に変えてくれた人だった。

その時は、まさか鳥羽さんが部屋の中で死んでいるとは思わなかった。



だから、紀之さんがマスターキーを使って、部屋のドアを開けたとき、私は目の前の光景に、一瞬目を疑ったのだ。

部屋の中央で仰向けに倒れていて、ちょうど胸の心臓の辺りに刺された痕。
右手には握りしめられた血だらけの包丁。鳥羽さんの周囲に散らばる、血の跡。



「きゃあああああああああああああっ!」

なぎさの悲鳴が、響き、事件が発覚した。



続く